今、何回目?

久世 空気

第1話

 午後7時。田舎の道は真っ暗で、私はキャンプ用の大きな懐中電灯で足下を照らしながら境内に入った。この神社は地元の集会所みたいな扱いになっていて神聖さを感じたことはない。でもこの時間に、祭りの日でもないのに鳥居をくぐるのは初めてで、緊張でうなじあたりがぞわぞわとする。

 今日は集会もないから誰も来ていないはずだし、神主さんも少し離れた自宅に帰っているだろう。ここには私しかいない。

 私はお社の裏手に、足下に注意しながら向かった。昼間に下見に来ていたのですぐに目的のものを見つけた。

 手押し式ポンプの井戸。傍らに懐中電灯を置いて、両手で押してみると十分な量の水が出てきた。昼も確認したが、やっぱり現役の井戸だ。そしてまた懐中電灯をつかんで周りを照らす。井戸の横にサイコロが5つ、お供え物のように白い陶器のお皿にのって置いてある。白い石で出来ていて、年季が入っている。

 これからするおまじないは、私のおばあちゃんでも知っているほど昔からあるらしい。この小さな町の女の子、または女の子だった人たちは全員このお呪いを知っている。

 私は手順通りにサイコロを手に取った。そして

「井戸の神様、私の願いを叶えてください。井戸の神様、私の願いを叶えてください。井戸の神様、私の願いを叶えてください」

 呪文を3回唱えてサイコロを振った。出た目は3、3、4、5、6。結構大きな数が出てしまった。サイコロを拾い、元の場所に戻す。ここからが本番だ。

 私はポンプの持ち手を握って押した。水が出る。

(1回)

 続けて、繰り返し、押していく。

(2回、3回……)

 サイコロで出た目は合計21。つまり21回ポンプを押さないといけない。サイコロの目だけポンプを押せば願いが叶う。それがこの井戸のお呪いだ。ただし、回数を間違えたら願いが叶うどころか、井戸の神様に呪われてしまう。

 ちなみにこれは一人でしなくてはいけない。人に見られるのはかまわないけど、お呪いの間は声を出してはいけないし、中断することは許されない。

(4回、5回、6回……)

 ポンプは意外と軽かったが緊張で手が震える。汗も流れてきた。

(7回、8回、9回……)

 ざばざばと出てくる水がスニーカーをぬらす。脱げばよかったと後悔した。でもこのまま完遂しなければいけない。井戸の神様の呪いが恐いわけじゃない。これしか私の願いを叶える方法がないから。

(10回……15回……)

 水音が思考をかき消してしまうような気がし、心の中で大きく数え続ける。

(16回、17回、18回……)

 大丈夫、後3回。

「ねえ、どんな願掛けしているの?」

 思わずポンプから手を離しそうになった。懐中電灯の光の中に、スカートと白く伸びた足が見えた。同い年くらいの女の子だろうけど、誰だかわからない。地元の女の子はみんな知っているはずだけど、声にも聞き覚えがなかった。でも『願掛け』といっているから、ここの言い伝えは知ってるはずだ。

 このお呪いをしているところを見られることは別にかまわないが、こっちが返事できないのに、話しかけてくるのは無神経じゃないだろうか。少し腹は立ったがポンプを押す。

(あれ?)

(今の、何回目?)

 話しかけられたとき、18回を唱えた。でも声にびっくりして手を止めた気がする。いや、後3回と考えたんだから、今のが19回目だ。……多分。

 ドキドキしながら20回目を押す。水が大量に噴き出す。

「恋のお願いかしら。好きな人がいるの?」

 相手はかまわず聞いてくる。イライラしながら21回目。思いっきり取っ手を振り下ろす。これが最後だ。

 私は「はぁ」と息をついた。力を入れて握っていたせいか腕が痛い。懐中電灯で声の方を照らすと、見たことがない制服を着た女の子が微笑んでいた。

「話しかけないでよ。気が散る」

 クレームを言っても彼女は笑ってい。

「恋の悩みね」

「違うわよ。あんたには関係ない」

 邪険にして帰ろうとしたら、その子は言った。

「今の、本当に21回目かしら?」

 ギクッとして振り返る。彼女はまだ笑っていた。何で21回と知っているんだろう。サイコロをお皿に戻したとき、振った目とは違う目が上を向いていたはずだ。最初から見ていた? こんなに暗い場所で? 懐中電灯も持たずに?

 そう考えたらその女の子が得体の知れない物に思えてきた。私は後ずさる。

「駆け落ちするの?」

 距離をとろうとしていた足が止まった。

「あなたじゃない人と、その人は駆け落ちするのね」

 そう、駆け落ちするのは姉と、姉の彼氏。私は姉のメールを見て、二人は一緒にこの田舎から出て行くつもりだと知った。二人とも私が生まれる前からの友達だと思っていた。でもずっと秘密で付き合っていたのだ。そしてこの町を捨てるんだ。

「別に、恋とかじゃない。二人が勝手なことをするのが許せないだけ」

 そう、別に姉の彼氏のことが好きなわけじゃない。私にとっては優しい兄のような人だけど。姉と付き合っていると知ったときは驚いたけど。

「彼以外の人と、駆け落ちしても、あなたは許せなかった?」

「……そうね」

「じゃあ、ただお姉さんが許せないのね」

 この子に姉だと話しただろうか。その子の顔をもっとよく見ようと彼女の顔に光を当てる。まぶしそうに少し顔をしかめたが、それでも微笑んでいた。

 そのとき、光が少しかけていることに気づいた。地面に置いたときに汚れたのだろうか。

「あなたはお姉さんがどこかに行くことが許せないのよ」

 懐中電灯には黒い糊のような物がべったり付いていた。縁も欠けている。どこかでぶつけたように。

「ところであなた、いつ懐中電灯を手に取ったの?」

「え?」

 そういえば、ポンプを押してから懐中電灯を持ち上げるまでの記憶が曖昧だ。でもそれはこの女の子の存在が気になっていたからで……。

 井戸の横に人がいた。倒れている。姉のように見えた。頭から血を流して、うめいているように見えた。

 どうしてあんなところに姉が倒れているんだろう。


 その瞬間、見たこともない恐怖の表情がフラッシュバックする。姉の頭に懐中電灯を振り下ろしたような衝撃が腕に感じたことを、思い出す。


 何なの、この記憶。今、私が姉を殴ったみたいじゃない。

 女の子は動けない私にすっと近づき、耳元でささやいた。

「それが、21回目よ」

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