5 アイシャが協力的になると
アイシャが協力的になると事態は速やかに進展した。あくる日、彼女は普段より早めの夕方からメイラーの部屋に現れ、ふたりで今後のことを話し合った。
落日が街を赤く染めている。アイシャは窓枠に寄りかかり、どことなく不吉な夕空を見あげながら言った。
「もしこれが見当外れなら、いい笑いものだ。容疑を固めるためにも、できるだけ念入りに手はずを整えたい」
「まどろっこしいな。すぐにあいつの部屋へ踏み込めばいいじゃないか」
とメイラー。
「それでなにもなかったらどうする?」
アイシャは説明するのも面倒だという顔だ。
「現状では行方不明者といっしょにいるところを見かけただけだ。相手がしらばっくれれば、なんの罪にも問うことはできない」
「ふむ。問題は女の行方だな……いったい、どこへ消えたんだ」
「いや、それは後回しだ。とりあえずアーミテイジを捕らえるのを優先しよう」
「なにか考えが?」
「まずは正攻法でゆく。わたしはこれから憲兵隊本部に出向いて、アーミテイジの経歴を徹底的に調べる。書庫にある住民の記録台帳を調べれば、だいたいの素性はわかるだろう。家族関係に前科の有無。いつからラクスフェルドに住んでいるのか、なにをやって食い扶持を得ているのか。そのあとはもっと手を広げて奴の身辺を探る。どんな小さなことでもいい、もし違法行為に手を染めていれば、当たりだ。それを突破口にして、奴のねぐらへ踏み込む」
限りなくあやしいものの、なかなか尻尾を出さない犯罪者を拘引する定石である。メイラーはそれを聞いて拍子抜けした。
「意外とふつうだな。おまえたち神聖騎士団なら、夜道で待ち伏せて強引にしょっぴくかとも思ったが」
「それは時と場合による。いまは緊急を要する段階ではないからな。──しかし書類仕事には手間がかかる。ウォレスを借りるぞ、あの若いのにも手伝ってもらう」
「あいつなら暇を持て余しているだろう、どんどん使え。で、おれはなにをすれば?」
「いまのおまえになにができる? ここでじっとしていろ」
身も蓋もない言われようだが、その通りだった。メイラーは渋々ながら了承せざるをえない。そうしてアイシャが部屋を去ろうとしたところ、彼女はなにかを思い出して踵を回した。
「そうだ、今日の昼間、魔術協会へいってこれを調達してきた。おまえに渡しておこう」
寝台までもどり、アイシャがメイラーに手渡したのは二巻の巻物だった。
「これは、魔術スクロールか」
「暗視と使い魔のな。この手のスクロールはわたしも任務でよく使う。先日、黒ローブの件があったろう。そのときに知り合ったステラという魔術師に頼んで、作ってもらったんだ」
魔術スクロールとはさまざまな呪文の効果を封じ込め、魔術師でない者もその恩恵にあやかることができる便利な代物である。もし自分がいないときにアーミテイジが動いたら、その魔術スクロールを用いて監視しろとアイシャは言った。それから彼女はマントの隠しを探って、小さな本を取り出す。
「あと、魔術協会で手伝いをしているペルという少年が、これをおまえにと」
「ペル? ああ……あの王立翰林院の修練生か」
メイラーはあらためてラクスフェルドを大騒ぎさせた黒ローブ事件を思い出した。ペルはその折に騒動に巻き込まれ、メイラーと顔見知りになった少年である。
「おまえが吸血鬼だなんだのと話していると知って、心配していたぞ」
メイラーがアイシャから受け取ったのは、全冒険者必携のモンスター事典(文庫版)だった。
「これで勉強しろということか。はは、ありがたい」
メイラーは寝台脇の小卓へ魔術スクロールとモンスター事典を置いた。用が済んだアイシャは今度こそ部屋を出るため、扉へ向かった。その彼女へメイラーが声をかける。
「気をつけろよ、アイシャ。なにせ相手は吸血鬼だからな」
「それはまだわからんだろう」
少し振り向き横顔をちらりと見せて、アイシャは姿を消した。
メイラーは、ほっとひと息ついた。事態が好転しているように思えた。アイシャは自分よりこういった捜査活動に慣れているのだ。もしかしたら、明日にはこの件も解決するかもしれない。
安心したら腹が空いてきた。時刻はちょうど夕食時である。ほどなく賄い婦が配膳しにきた。例によって味気ない食事だったが、いまばかりは気にならなかった。そしてふと思い立ち、メイラーはペルからもらったモンスター事典を手に取る。索引を調べ、食事をつづけながら吸血鬼の項目がある頁を開く。
モンスター事典いわく、吸血鬼は数多のアンデッド・モンスターのなかでも最も警戒すべき存在のひとつである。見た目こそ人間と大差はないものの、高い知能と凶悪な戦闘力を備えた吸血鬼は、まさにわれわれ定命者の天敵といってよい。このアンデッドの最大の特徴は、人の生き血を常食とする点だろう。さらに真祖と呼ばれる上級吸血鬼に至っては、吸血行為をくり返した人間を自らの下僕とすることが可能だ。真祖に血を吸われた者はおなじく吸血鬼となり、闇の住人へと生まれ変わるのである。もし吸血鬼と戦闘になった場合、まず気をつけたいのは魅了の視線だ。吸血鬼に意識を奪われ魅了状態となってしまえば、こちらに為す術はない。ほかにも物理耐性、負傷をごく短時間で治す超回復、すばやい連続攻撃、噛みつきや変身能力など、厄介な特徴を数多く備えている。以上から、吸血鬼へ正面から立ち向かうのは愚策である。しかし一見すると完全無欠に思えるこのアンデッドには、弱点も多いのだ。具体的には日光に対して致命的な過敏性反応を示し、流れる水に触れてもダメージを負う。加えて心臓に木製の杭を打つことができれば、一時的にではあるが麻痺状態に持ち込める。よって吸血鬼を倒す場合、それらを踏まえて奇襲を仕掛けるのが望ましい。昼間に棺で眠っているあいだに杭を打ち込み、首を切り落としてから火で焼いて、完全に消滅させるのが最善の手段となるだろう。と、モンスター事典には書かれてあった。
このような伝説に登場するアンデッドが身近にいるなどと、にわかには考えにくい。だがメイラーには確信があった。昼間は完全になりを潜め、夜に女性のみを狙うアーミテイジの行動は吸血鬼そのものだ。人の多く住む街中で潜伏するのは、常識を逆手に取っているのかもしれない。だとすれば知恵のある奴だ。油断はできない。
賄い婦が食器を下げにきた。メイラーと短く会話したあと、彼女は窓の鎧戸を閉めるかと訊ねた。メイラーは、開けたままにしてくれと頼んだ。賄い婦が怪訝に思うほどの、険しい表情で。
そのときメイラーは窓の外を見ていた。視線の先には、暗がりに紛れて中庭を横切る男の姿があった。建物の隙間から表通りに歩いてゆくその背中へ向け、メイラーがつぶやいた。
「腹が減って出てきたのか? 見ていろ、怪物め……」
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