4 翌日の晩、アイシャは約束を
翌日の晩、アイシャは約束を果たしてメイラーの部屋へ現れた。彼女が姿を見せるなり、メイラーは膝を乗り出して彼女に訊いた。
「どうだった?」
「残念だが、おまえの期待するような話は聞けなかった」
「詳しく話してくれ」
アイシャは椅子を持ってきて寝台の横に座ると、話しはじめた。
「最初にあの部屋を訪ねたが、留守のようだった。それから大家のところへいった。住んでいるのはアーミテイジという男で、大家が言うには六年ほどまえから居座っている。特に問題を起こす店子ではないそうだ」
「なにをやってる男だ? 仕事は?」
「さあな。大家は知らんと言っていた」
「そんな身元が不確かな相手に部屋を貸したのか?」
「あの建物の大家は一昨年に亡くなったんだ。いまは代替わりして、息子が大家を引き継いでいる。契約をしたのは父親だったから、息子のほうはアーミテイジをよく知らないそうだ。近所の住人に聞いても、みんな口をそろえてつきあいがなく姿を見たことはないと」
「家賃の払いは?」
「定期的に数カ月分をまとめて払っているようだ。大家もそれ以外では顔を合わせたことがないらしい」
「あやしいぞ。極力、人の目を避けてるみたいじゃないか……」
とメイラー。
「そうとも言えるが、人づきあいが苦手な者もいるだろう。大丈夫かおまえ……少し心配になってきたぞ」
アイシャには、もはやメイラーが疑心暗鬼となっているように見えた。彼女はメイラーの顔を両手で挟むと、無理矢理に自分のほうへ向かせた。
「食事はちゃんと摂っているんだろうな?」
「あたりまえだ。味気ないが、ここでの飯は数少ないたのしみのひとつだからな」
「その割には顔色がよくない」
「最近は昼に寝て、夜通し起きているんだ。そのせいだろう」
「まさか、夜はずっとあの部屋を監視しているのか?」
「そうだ。あそこには、絶対になにか秘密がある。おれの考えを聞いてくれ」
「ああ、いいぞ」
なんだか精神を病んだ患者と話している気分になったアイシャへ、メイラーは真剣な顔でこう言った。
「あの部屋には──おそらく吸血鬼が住んでいる」
「ばかかおまえは。わたしはもう帰るぞ」
アイシャは椅子から立ちあがると、その日は早々に帰っていった。
それからしばらく、アイシャがメイラーのところへ顔を見せることはなくなった。会うたびに彼の妄想話を聞かされては無理もあるまい。メイラーはそのあいだに、また男が女を連れて例の建物に入ってゆくのを目撃した。そしてそのときも、やはり女は出てこなかった。
このままでは犠牲者が増えるばかりだ。そう考えたメイラーは、ある強行策に出た。自分の従騎士であるウォレスに連絡を取り、アイシャへの言伝を頼んだのだ。オーリア王国の首都であるラクスフェルド──そこで最近に捜索願の出された、行方不明者の名簿を書き写して持ってきてくれと。
アイシャがメイラーの部屋を訪れたのは数日後だった。彼女がくるのは、いつも仕事帰りの夜だ。その日もそうだった。
「おっ、きたか」
待ちわびたメイラーはアイシャの姿を見るとぱっと顔を輝かせた。だがアイシャのほうはといえば、あからさまに不機嫌そうな様子である。
「メイラー、いいかげんにしろ──」
手に持っていた羊皮紙の束をメイラーに投げつけると、アイシャは静かに怒りをぶちまけた。
「なんでわたしがおまえのためにタダ働きをしないといけないんだ!」
「そう怒るなよ。ほら、おまえの大好きなデコポンがあるぞ」
メイラーが寝台脇の小卓にあったオレンジを手に取って、アイシャへと差し出す。
「そんなもので誤魔化されるか」
言って、アイシャはお気楽な笑顔をするメイラーからオレンジをひったくった。そうして彼女は、
「おまえ、自分が預かる従騎士の足下を見てうまく利用したろう。あのウォレスという奴、もしわたしが断れば、自分が騎士となる道が閉ざされるといって泣いて懇願したんだぞ。まるでわたしが悪者みたいじゃないか」
その場面を想像したメイラーは大笑いである。しかしそうでもしなければ、アイシャはこの件を聞き入れてくれなかったろう。それにメイラーからすれば、おなじ任務へ就いたのに自分だけが大怪我を負い、ウォレスがぴんぴんしていることに不満を感じていた。しかも彼は最初にこの療養所を訪れて以来、まったく顔を見せない。上役を軽んじ、無下にするとこうなるのだ。
アイシャがいつものように椅子を持ってきて寝台の隣に座った。彼女はオレンジの皮に爪を立てて、指で剥きはじめる。
メイラーはアイシャから受け取った丸めた羊皮紙の紐を解き、丁寧に足の上で拡げた。数枚に分かれた行方不明者の名簿は、憲兵隊本部に保管されている捜索願の写しだった。当該人物の名前と身体的な特徴、いなくなった日付などが、アイシャの字で丁寧に書き込んであった。メイラーはそれを見て満足そうな表情を浮かべる。
「よし。なんであれ、これでおれとおまえのどちらが正しいかはっきりする」
「だといいが」
と、熟れたオレンジの房をひとつ口に運びながらアイシャ。
「四人目と五人目のときは憶えている。あの晩は月夜だったからな、女の様子がよく見えたんだ」
メイラーは自分の記憶と名簿の記載を入念に照らし合わせた。そうして、しばらくのあと──
「あった!」
羊皮紙の一枚を指さし、メイラーは食い入るように見つめた。
「四人目の女と特徴が一致する。それに、おれが見た数日後に捜索願が出されている」
「たしかなんだろうな?」
横からアイシャが訊ねると、メイラーは大きく肯いた。
「ユエニ神に誓ってな。あとは五人目の女だ。たしか、髪は榛色、緑のゆったりした服に……そうだ、髪飾りを着けていた」
メイラーが興奮気味に言って、残りの名簿へ目を通しはじめる。アイシャもほかの一枚を手に取った。するとまもなく、彼女は表情を硬くした。
「おい、もういちど女の特徴を言ってくれないか」
「榛色の髪、緑色の長衣に、銀の髪飾りだ」
メイラーがそう言うと、アイシャは彼が持っていた羊皮紙の上に、ゆっくりと自分のを重ねた。その名簿の最後の欄には、メイラーが伝えたのとおなじ特徴をする行方不明者の名が記されていた。
どちらともなく顔を見合わせるふたり。そのうちメイラーが、
「どうだ、これでもまだ信じられないか?」
アイシャは宙に目を据えてつかの間、考えをめぐらせた。そしてメイラーの寝台に両手と片方の膝をつくと、その姿勢で首をのばして窓から外を見た。
「よし、最初から順を追って話せ。わたしも気になってきた」
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