3 長期の療養生活は、

 長期の療養生活は、ある種の苦行のようなものだ。メイラーは数日間を寝台の上で過ごし、それを思い知った。

 医者によれば軽い運動ができるのもまだ先なため、動けないメイラーの活動はごく狭い範囲で限定される。ウォレスが暇つぶしにと持ってきた本はすべて読んだ。木彫り細工にでも挑戦するかと軽い気持ちではじめてみたが、あやうく刃物で指を落とすところだった。窓から見える家の瓦をひとつずつ数えたり、鳥になって大空を舞う妄想など、考えつくことはほとんどやった。ただ捨扶持を与えられ、無為に浪費される時間のなか、いよいよ自分の伝記でも書くかと思い立ったが、さしたる功績のない騎士の半生などに誰も興味は示すまい。

 残るのは、いま現在のメイラーが見ることのできる小さな世界をじっと観察することだった。

 二階の部屋からまず見えるのは、四〇キュビット四方ほどの中庭である。これは近隣の住民とで共用だった。正面は三階建ての集合住宅で、右と左もほぼおなじ。つまり現状のメイラーが目にできるものは、煉瓦で畳んだ通路と花壇のある中庭、それに青空。あとは裏窓が並んだ建物の壁のみということだ。

 実に気が滅入る光景だった。加えて、そこで暮らす人々の生活がいやでも目についてしまうのが困る。最初は他人の生活を盗み見ているようで、罪悪感めいたものがあった。だが寝台に横たわる自分がちょっと身を起こして首を回せば、自然と垣間見えてしまうのだ。進んで覗いているわけではない。これはまぎれもなく不可抗力といえる。

 否応なく目に入る多くの窓には、それぞれの生活の営みがあった。幸せな一家、そうでない貧しい家庭。子だくさんの大家族に、孤独で死を待つばかりの年寄り。ご近所を気にする世話好きがいるかと思えば、対して窓からゴミを投げ捨てる迷惑な住人も──

 人生は悲喜交交。なかでもメイラーの興味を惹いたのは、療養所から見て右手にある建物に住む男だった。療養所で最初の夜を過ごしたとき、女を連れ込んでいた部屋の住人である。あれからもう一週間以上は過ぎたが、メイラーは男の部屋の窓が開いているのを見たことがなかった。昼は仕事で留守だろうから、それはわかる。しかし夜はどうだ。この季節は暖かい夜が多く、どこの家でも風を通すために窓くらい開けるのがふつうではないか。さらに不思議なのは、女を連れ込んだとき以外、男の部屋には灯りさえ点らないのだった。

 なにか、おかしい。メイラーが気になって男の部屋に注目するようになってから、二度ほど彼がまた女といっしょに建物へ入るところを目にした。メイラーはそのとき、朝まで寝ずに建物を監視した。もちろん純粋な興味本位からで、他意はない。が結局、男も女も建物から出てくることはなかった。

「どう思う?」

 メイラーが訊いた。

「どうも思わんが」

 アイシャは無表情でそう答えた。

 後日、メイラーはアイシャがまた見舞いにきてくれたとき、彼女に不審な男のことを話してみた。薄情なウォレスとちがい、アイシャはメイラーのもとをたびたび訪ねてくれる。退屈な毎日を過ごすなかで、彼女の訪問はメイラーにとって少なからず心の支えとなっていた。

「いや、おかしいだろう。なら、あの建物に入ったきり出てこない女は、どこに消えたんだ?」

 とメイラー。

「ここから見えるのは建物の裏側だ。きっと通りに面した表側にも出入口があるにちがいない。女はそちらから帰ったんだ」

「たしかに反対側にも出入口はある。だが向こうは別な建物との隙間で、ひどく狭いゴミだらけの路地だ。このへんをよく知る賄い婦に聞いたからまちがいない。わざわざそんなところを通るか?」

「どちらから出ようと女の勝手だろう」

「まあ、それはそうだが……」

 しかしメイラーは納得がゆかない。彼はさらに食い下がった。

「昼はずっと窓も開けず、夜は灯りが点らないんだぞ。人の気配がないんだ、これはおかしい」

「その男、夜は外に出ると言ったじゃないか」

「ちがう、おれの話をちゃんと聞けよ。女漁りに出かけるのは一週間にいちどくらいだ。それ以外は、まったく姿を見せない」

「毎週ちがう女なのか?」

「たぶんな」

「娼婦と遊んでいるのでなければ、女の敵だな」

 そう鼻で笑いとばし、話半分で聞いているアイシャをメイラーがじっと見つめた。彼の視線に気づいたアイシャは、丸椅子の上で居心地がわるそうに身じろぎした。

「なんだ、その目は……」

「頼みがある」

「いやだ」

「まだなにも言ってない」

「どうせ面倒なことだろう」

「あの部屋を調べてほしい」

「おい、なんでわたしがそんなことを」

「おれは動けないんだ。代わりにいってくれ。なにもなかったらそれでいい」

「いったい、あの部屋になにがあるというんだ」

 アイシャはあきれ顔だ。メイラーは腕を組み、ひとしきり考え込んだ。

「わからん。もしかして……女の死体とか」

「ばかばかしい。いくら神聖騎士団とて、しっかりした容疑のない市民の家を勝手に調べるなどできんぞ」

「じゃあ、あそこは賃貸だ。大家に話を聞いてきてほしい。住んでいる男のことが知りたい」

 メイラーは執拗に迫った。しばらくのあいだ、頼む、いやだの押し問答がつづいた。で、最後にはアイシャが根負けした。

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