155話 私が交わした永遠の約束




 暗くなったお部屋。いつもは小さな明かりを点けて寝るのだけど、それすらも無くて、窓のカーテンのすき間から入ってくる街明かりがぼんやりと室内を照らしている。


 いつの間にか、1組の布団の中で一緒に眠っていたんだ。


「先生……」


 私、結花先生の言葉を聞いてから、啓太さんのことをこれからもそう呼ぼうと思っていた。


 今は学校の先生でもある。でも私にとって、一歩前を行く人生の先生でもある。だから、いつまでもこの人は私の先生だから。


 そう、これからもずっと……。


 小学生の頃からお兄ちゃんと一緒に過ごしていた私には、同学年の男の子に目を向けることができなかった。


 一歩先で手を引いてくれる存在じゃないと安心することが出来なくて。


 今日の体育祭での内田くんだけじゃない。


 千景ちゃんがお付き合いしている加藤君が夏の花火の日に言ってくれたとおり、昨年の文化祭のあとから、何人かからお付き合いを申し込まれたこともあった。


 その気持ちは本当に嬉しい。


 でもね……。身寄りを亡くして、後ろ盾なく一人だけで生きていかなくちゃならない私は、きっと両親の役目までをパートナーに求めてしまうこともあると思う。


 昨年の秋から私が18歳を迎えて成人として結婚も認められるようになる今年の誕生日まで、少なくとも年半の期間があった。


 もちろんそれは法律上の話で、一般的には二十歳、または学校を卒業してからだと思う。その間だけだとしても、誰かを悩ませたり悲しませるようなことはしたくなかった。


 唯一、先生だけはあんな幼い頃の私との指切りをちゃんと覚えていてくれて、天涯孤独になった私をそのまま受け入れてくれると改めて約束して、私が社会に認めてもらえるようになった当日に行動してくれた。




 体を動かそうとすると、お腹の下に違和感と鈍い痛みを感じた。


 お互いにパジャマは着ていなくて、最低限の肌着を着けているだけ。


 お布団の外にはバスタオルが畳んで置かれている。さっきまで私たちの下にシーツ代わりに敷かれていたもの。そこには微かに赤い色も見える。 


 気がつけば胸元にもいくつか赤い印がついている。


 どれも私が松本花菜から、心も体も全てを長谷川花菜にしてもらった印なんだ。


「この胸には感謝しないとな。今日の影のMVPなんだから」


 そんなことを言われながら、優しく抱きしめてくれた。


 怖さはなかった。『初めて』を痛くなかったかと聞かれてその時は首を振ったけど、もちろん痛かったよ。全身に力が入っちゃったから下手で申し訳なかったと思う。


 もう心は通っている。私が先生とひとつになるために必要なもの。誰にも汚されないまま初恋の人と結ばれるという幸せな瞬間の痛みだったから十分我慢できたし、途中からは痛みではなくて本当に嬉しくて涙が出てきた。


 もう離れない。婚姻届って紙だけじゃない。いつまでも、そしてどこまでも、一緒についていく。それが私が交わした永遠の約束だから。そして先生は私を離さないと言ってくれた。「花菜っ」と名前を何度も呼んでくれるたび、胸の奥がキュンと痺れた。


 私の体が震えて、頭の中が真っ白な光で満たされて……。気がつけば先生が荒い息のまま私の胸元に顔を埋めていて、そんな先生を両腕で無意識に抱きしめていた。


「花菜……は、俺の…だ……」


「私でも……出来たかな……?」


「絶対に誰にも渡さない……から……」


「私も……」


 幸せな心地よい疲れの中で、お互いの体温を直接確かめながら目をつぶってしまったんだ。



 さすがにこのままじゃ風邪をひいちゃう。着替えなくちゃ。



「あ…なた……」



 ふたり分のパジャマを手にとって初めて呼んでみた。自分でも恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまう。


 お母さんはいつもお父さんのことをこう呼んでいた。きっと初めての時はお母さんも恥ずかしかったのかな。


「花菜……」


「やっぱり、私にも『先生』がいいみたい」


「花菜からはそう呼ばれたほうがしっくり来るな」


「結局、私たちもずっと、先生と生徒なんでしょうかね」


「いつまでも兄妹と意識しているよりはまだマシな気がする」


 うん、そうかもしれないね。


 二人でもう一度軽くシャワーを浴びて、汗と汚れを洗い流した。


「傷、しみないか?」


「大丈夫。幸せの証拠です」


 昼間の体育祭の疲れも加わって、パジャマ姿になった後、すぐにお互いに体を寄せ合って幸せな夢の中に入っていった。



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