140話 来年もまた来ましょう?




「今年は驚かせてしまってごめんなさい……。あの……、来年は私がお弁当作りますから、また一緒に来てもらえませんか?」


 すっかり、いつもの「結花先生」の雰囲気に戻ってホッとする。



「私たち、お邪魔じゃなかったですか?」


 どちらかといえばそちらの方が心配だった。これだけ重い話をするなら、本当は二人の方が良かったのじゃないかと思っていたから。


「ううん。逆に花菜ちゃんたちがいてくれたから、言えたんだと思う。夫婦だけだったらきっといつまでも言えなかった。ありがとう」


 どのような場を設定すればよかったのか、結花さんも相当悩んだのだと思う。でも、胸のつかえが取れたように、その顔は晴れやかだった。


 私が結花さんのような大人になりたいと思っていることは間違いじゃない。本当に同い年の結花ちゃんから人生の大先輩の結花さん、珠実園の結花先生と変幻自在の素敵な女性。


 こんな人に私も少しでも近づきたい。無謀なのは承知の上だって分かってる。でも、こういう大きな心の人になりたい。素直にそう思えた。




「さぁ帰ろう。みんながまた心配する」


「先生、今日の面談、ありがとうございました」


「そっか……。原田、少しは楽になれたか?」


「はい。また頑張れそうです」


「無理に頑張るなと言ったろう」


「いえ、明日から秋の飾り付けに替えるので、花菜ちゃんにも放課後に活躍してもらいます」


「そっちか! もう夏も終わりだもんな……」


 最後の尺玉が打ち上げられて、私たちは他のお客さんたちが帰るのに合わせて、菜都実さんに荷物を返すために立ち上がった。


「今年も泣いちゃいました。菜都実さんに怒られちゃいます」


「菜都実さんもただじゃないって分かってるだろう。しかし今年は泣かせた訳じゃない。あのときは俺も酷かったからな……」



 荷物を片付けながら陽人先生は教えてくれた。


 結花さんに嫌われたと思った陽人先生は、ニューヨーク行きの話はもちろん、仕事や人生そのものも諦めようかと考えたと。


 菜都実さんが「結花ちゃんは必ず戻ってくるから」と引き留めてくれていなかったら、今の全員の生活もなかったかもしれないんだ。


 堤防の階段を上る途中、一歩前を歩いていた結花さんが足を止める。


「どうした?」


 陽人先生が驚いて立ち止まる。



「本当は……、あの日はこうやって終わりたかったんです」


 結花さんの顔が赤くなっているのがわかる。


「ちょっとの間、目をつぶってくださいね、先生……」






 私と啓太お兄ちゃんとふたりで、急いでその場から数段階段を降りる。


 ここは、私たちがいちゃいけない。「あの日」に私たちはまだお二人に出会っていないのだから。





「これはお芝居です。でも、あの日のやり直しをさせてください……」


「分かった」


 さっきまでとは逆。階段の段差を利用して、結花さんは陽人先生の背中に手を回して、そっと唇を合わせた。


「ニューヨーク行き、おめでとうこざいます。私、高認を取って必ず会いに行きます。それができたら、先生のそばにいさせてください」


 あれが、あの日言えなかった本当の言葉だったんだ。


 同じ高さに顔をそろえて、陽人先生がうなずいてから、はっきりと答えている。


「いい知らせを頼むぜ、俺の相棒パートナーに心配はしてないけどさ。指輪用意して待ってるからな」


「はいっ」


「よし、笑えたな。これで菜都実さんに怒られなくて済む」


 階段を下りていた私たちに、陽人先生が笑って声をかけてくれた。


 もう、二人ともあれだけ最後を見事に締めたのに、そんなこと考えてたの? でも、これだけ笑えれば大丈夫だよね。


 静かに打ち寄せる波と、満天の星空が私たちの背中を見送ってくれた。

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