69話 分かりました。約束します。
病院の外来待合室で彼女は俺の到着を待っていてくれた。
手を握ってやると、ぽろぽろと涙を流して床に座り込んだ。
「松本、しっかりしろ。とにかくなにが起きたのか教えてくれ」
椅子に座らせて、ハンカチで顔を拭いてやる。わざとここでは花菜という呼び名を使わなかった。辛うじて保っている彼女から事情を聞き出すまでは辛いが我慢だ。
彼女の母親が、今朝は頭が重いと言いつつ仕事に出かけていった。
家事を全部済ませたあと、せっかくの休日だからと買い物に出ようとしたときに、病院から連絡が入り救急車で運ばれて緊急手術だと告げられ冷静でいられる人間はいないだろう。
外出の用意のまま、とにかく病院にたどり着き、そこから学校に電話をしたというのがここまでの流れだと分かった。
「ご家族を呼んでくださいって言われて……。でも私しかいなくて……。お仕事中でしたよね。ごめんなさい」
「そんなこと気にするな。とにかく治療が終わるのを待とう」
4時間近く経って、手術室の灯りが消えた。
ストレッチャーに乗せられて来た母親に彼女が泣きつく。
「お母さん!」
「花菜……」
後ろからついてきた医師に視線を移した。
「松本さんのご家族の方ですか?」
「今の家族は娘さんである彼女一人です。私は彼女の担任です」
「そうでしたか。未成年の方なので、ご一緒していただいてもよろしいですか?」
その雰囲気に俺は黙ってうなずくことしか出来なかった。
松本と二人で診察室に通された。
病名は脳梗塞および脳内出血。今のところ一命は取り留め、一時的に意識も戻ったけれど、まったく予断は許さない状況で、ここ数日が山かもしれないと。
意識のあるうちに、いろいろと必要なことを話しておいてくださいと言われた。
「お母さん……。私が休めって言っていれば、こんなことにならなかったのに……」
ベッド脇で泣き崩れる松本の手を母親は握った。
「花菜……。これからは啓太くんと二人で生きていきなさい。啓太くん、前に話したとおり……、花菜をお願いします……」
「はい。分かりました」
「もう安心ね……。お母さんはもうすぐお父さんのところに行けるのだから、泣かないの。みんな寂しくない……」
俺はそっと音を立てないように病室を出た。
すぐ前にある長椅子に腰を下ろす。
このあとはきっと長い夜になるだろう。俺は職場と自分の実家へ連絡をした。
松本の母親と昔からの親友である俺のお袋はすぐに向かってくれるという。まだ夕方前で移動手段にも困らない時間帯だから、新幹線で夜には着くだろう。
こういうときは感情的にならず、彼女には申し訳ないけれど、事務的にこれからのことを考えて少しでも仕事を進める。その方が自分の気も紛れる。
「先生? お母さんが……」
「そうか」
同じように駆け込んできた俺のお袋との面会も済ませ、一度俺の部屋に泊まらせることにした。
これから先の事を高校生一人に任せることは荷が重すぎる。その時には絶対的に人手が必要だし、親の世代の方が経験もしている。
「花菜、啓太くんは?」
「はい。ここにいます」
部屋の灯りは消されている。窓から入る街灯の光だけでもここまで明るくなるのかと思った。
「啓太くん、花菜をお願いします。花菜は本当に、優しいけど弱い子だから、私がいなくなって、泣いて過ごさないように、見張っていてください。孫の顔が見られなかったのが心残りだけど、幸せになってちょうだいね……」
「花菜ちゃん……。花菜ちゃんはそれでいいのかい?」
「うん」
「お母さん、花菜ちゃんは僕が守ります。必ず幸せにします。安心してください」
俺は花菜の手を握って、お母さんに見せた。
「先生……」
「啓太くん、お願いね」
「これで松本花菜さんの三者面談は……おしまい!」
これだけ強いメッセージを託されたなら、それ以外に相談することはない。
ベッドの上で満足そうに微笑んだのを見届けて、俺は再び部屋の外に出た。
このあとの時間は親子二人にしてやりたかった……。
「せん……せい……」
夜中、花菜が小さく扉を開けた。
「よく頑張ったな。花菜ちゃん……。ここにいるのは俺だけだ。何も我慢しなくていいぞ」
俺は嗚咽を漏らして崩れ落ちた彼女を抱きしめたまま、ナースコールのボタンを押した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます