7話 文学少女と呼ばれても…
私が過去を封印してまで作り上げた新しいイメージは、捉え方によっては、勉強しかできない暗いイメージや内申点を稼ぐためのように変えたという声が上がってしまいそうなものもある。それが黒い声に沈まずに済んだのには、部活動で描いた1冊の絵本が関係している。
今も机の上に1冊の本が飾ってある。職場の図書館でも見た空色の表紙をした、『空の青さは涙の色』という絵本。
作者の名前は「大原なのは」とある。
実はこれ、私のペンネーム。つまり私のことだ。
中学の文芸部では顧問の先生の意向で、本名とどちらで活動しても構わなかった。とても実名を出すことなどできないと入部当時に考えたもの。それを今でも使い続けている。
だから、当時の部活動中は私は松本花菜ではなく、大原なのはとペンネームで呼ばれていたっけ。
大原はお母さんの旧姓から、後ろの部分は私の名前を逆さから書くと『菜の花』、それをもじって合わせたもの。
いじめられて下ばかり向くようになってしまった女の子「
中学の部活で作ったものがコンテストで入選し、改稿を経て出版までされたという経歴を持つ作品。
そして、お話の中の千歳という主人公は幼いときの私が重ねられている。
今だから思い出して言えるようになったけれど、お父さんを亡くしてからは対人恐怖症になっていたのだと思う。
それが完全に治ったかと聞かれれば未だに自信はない。
それでも、あの当時お兄ちゃんが私のそばに寄り添ってくれたことと、あの日の約束をいつも思い出しては何とか歩いてこられた。
そのお兄ちゃんに会えなくなってしまったことは私にとって大事件だったけれど、あの当時の感謝の気持ちを込めてこれを書いた。
だから、この本は私を支える大切なアイテムになっている。
もし次に会える時が来たら、今度は泣いて我がままを言うのではなくて、ちゃんとお礼を言いたいと決めている。
部活動からコンテストを経て一般の書籍出版になったことは学校報にも取り上げられるほどの大事件だったよ。運動部だったら全国大会に優勝したくらいのインパクトはあったと思う。
だけどそんな経緯を裏側に持った作品だから、紙面への顔出しはカットしてもらった。
それでも、やはりみんなは見ている。
その話が落ち着く頃には、私にはすっかり「文学少女」というイメージとあだ名が広まった。
そんな中学時代の終わり頃に出版と私の受験が重なって、どうにか地元の峰浜高校に進学し文芸部に入部した私を誰も不思議に思わなかった。
高校の部活動は本名活動だけど、それは仕方なかったよね。
名前で揉めるより、中学時代のイメージを継続したいし、同じ中学校から上がった同級生もいたから。
委員会決めの時にもこんな一幕があった。
「図書委員だったら、プロの作家には敵わないよ」
「プロってどういうこと?」
「松本さんは中学時代に部活で書いた作品が出版まで行ったんだもん。それをプロと言わずにいられないでしょ? それで成績は常に学年10位以内。信じられないでしょ?」
「えぇー!?」
全員の視線が私に集中する。ちなみにこの間、私は一言も発していない。
図書委員・文芸部員で作家の秀才。中学時代のような苦労もせず、私のイメージはあっという間に定着した。
個人面談の後、私の家庭事情を知った担任の木原先生のつてで市立図書館の欠員補充というかたちでアルバイトを紹介してもらうことができて、高校最初の1年が過ぎ去った。
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