後編

「さて、先程の女性がこの支部の残り一人のメンバーということでよろしいか?」

 只野の質問に対し渋長と中立が同時に頷く。

「では、彼女は悪か?それとも正義か?」

 続く質問に二人は顔を見合わせることとなる。彼女の行動意図がわからぬ以上判断できないというのもあるが、単純に只野の質問が雑過ぎるという方が問題であった。

「こちらに攻撃してこなかった辺りジャーム化しているわけではなさそうです。しかし逃げ出した理由がわからない。」

 中立が質問の答えをはぐらかしつつ話を引き取る。その顔には疑問。数日前の戦闘において侵食が抑えられず、その結果オーヴァードをやみくもに襲っているなら悲しいことだが辻褄は合う。しかし、その表情も振る舞いも理性を失っているようには見えなかった。

「しかしわしの可愛い猫ちゃんがオーヴァードだったなんて……」

 むしろ理性が怪しいのは渋長の方である。(一方的に)可愛がっていた野良猫がアニマルオーヴァードだった上にあんなに底意地の悪い笑みを残して消えたのだ。その心中には悲しみの嵐が吹き荒れている。そう、彼のメンタルはあまり強くない。

「確かに我々が捕捉していないオーヴァードがこの街にいたというのも、それはそれで大きな問題です。可能であれば協力を願いたいところですが……あの様子では難しいでしょうね。」

 中立がそちらについても暫定的な結論を述べる。渋長は「猫の手も借りたいのに猫騙しだなんて……」などと呟いてており、もはやどちらが支部長かわからない。

「ともかくだ、本人……と本猫に会って見極めるしかない。正義はその行動に宿る。」


 翌日早朝、三人は県道の下をくぐる地下道の入口に立っていた。この場所に来たのは正義の導き、などではなく中立の情報によるものだ。

「本当にここに現れるのかね?」

 手すりに片手を添えて立つ渋長が聞く。朝早いのには慣れているが日課の旅番組を見損ねたため少し機嫌が悪い。

「ええ、彼女は失踪してからも飼っている犬の散歩は欠かさず行っていると、目撃証言が取れています。」

  結局あの後一人で情報収集を行った中立の方は少し眠そうだ。途中あくびを噛み殺しながら答える。

「ならばその犬がいる家で張り込みをした方が確実ではないのか?」

 只野が正論を言う。散歩コースは変更される可能性があるが、スタート兼ゴールである犬小屋の場所は動かない。

「障害物の多い住宅街より開けた県道沿いの方がこちらに有利です。だいたい住宅街で火炎やら爆発やら出さないでくださいよ!」

 昨日の焼け焦げた地面が脳裏に浮かび、後半怒鳴るように説明する中立。それを見て只野は(気の小さい奴だな)と思うだけであった。




「む、本当に現れたぞ。」

 張り込みを始めて十分後、大きなラブラドールを連れた犬飼がやってくる。本人のトレーニングも兼ねているのか小走りで、交差点でも完全に足を止めることはない。一定のペースで一人と一匹が走ってくるが、ふと一匹の方が道を逸れる。見れば電信柱の横に立ち止まり縄張りの主張……平たく言えばおしっこを始めた。

「おいおい、早くしてくれよ。」

 それに合わせて一人の方もその場での足踏みに切り替え用が済むのを待つ。その視線は犬へと落とされている。

「よし、今がチャンスです。」

 中立の合図とともに三人が走り寄る。地下道から男が三人も飛び出してきたのだ。犬飼はおろかその飼い犬でさえ異変に気付きこちらを向く。

「ウゥゥゥ……ワン!ワンワン!」

「おい、こんなところで卑怯だぞ!」

 一人と一匹が同時に吠えるが、さすがに犬を置いては逃げられないようだ。犬飼はその場で腰を落として構える。その顔に書かれているのは「戦闘もやむ無し」の一文。

「一応わしが支部長なんだ。指示に従ってもらわないと困る。」

 言い終わる頃には渋長の姿はそこにはない。空中に残像が見えたかと思うと、ありえないことにその何もない空間を踏みしめ、さらに次の瞬間には犬飼の後ろに回り込んでいる。

 神速の移動が終わる頃にはその拳には連なる四つの金属の輪がきらめいている。それはナックルダスターと呼ばれる握り込んで用いるれっきとした武器である。ただ対象を破壊するためだけに存在する金属が犬飼の胴体にめり込むと同時に、その接面から振動波が伝わる。

 避けることも防御することもできない必殺の一撃に犬飼の体が一瞬宙に浮き、その後地面に崩れ落ちる。打撃面から広がった振動波が体の広範囲に大小様々な傷跡を生み出す。

「おいおい本気マジでやりあう気かよ。」

 戦意を失わぬ犬飼が血の塊とともに台詞を吐き出す。立ち上がるに動作に合わせて体が修復されていき、その目は闘争の臭いに誘われ血走っていく。

「支部長がそのつもりなら僕も手加減はなしです。」

 状況を見守っているだけかに思われた中立がおもむろに弓を構える。つがえられた矢の先端からは目をそむけたくなるような悪意の気配が漂っている。

 狙いをつけてきっかり三秒後、張り詰めた弦から指が離され矢が放たれる。一直線に犬飼へと向かう矢は、その右脚をわずかにかすめるに留まる。しかしその矢が放たれた後に残る強粘着性の物体が犬飼へと纏わりつき自由を奪う。

「汚ねぇことしやがる!お前のそういうところ前から気に食わなかったんだよ!」

 犬飼が吠えるとその上半身が筋肉よって膨れ上がり、口先が鋭さを増す。さらには毛が爆発的に伸び獣のそれへと変わる。そうして出来上がった狼男を模した体にさらにネコ科の狩猟者の目が怪しく光る。

 その両目が捉えたもの、すなわち渋長に向かってその人外の膂力を振り下ろす。しかしそれを上回る速度で反応した渋長が紙一重のところで回避し、その腕は足下のコンクリを粉砕することしかできない。

 そして顔を上げた犬飼の目の前にあったのは――

「改めて聞こう。――貴様は正義か?それとも悪か?」

 拳に炎を宿した只野が今まさに正義を執行せんとする姿だった。



「わ、わかった!事情を話す!その手を下ろせ!」

 犬飼は獣化を解いて両手を上げる。さすがに三対一では不利と感じて引いた……わけではない。他の二人はあくまで動きをとめるために攻撃してきていたが、只野の目からは「お前を喰らう」という狂気が感じ取れたからだ。

「大いなる正義に面して怖気づいたか?」

 拳を後ろに引き、いつでも必殺の一撃を放てる状態でなおも問いかける。返答次第では無防備なその体に正義の鉄槌がめり込むことは間違いない。

「さっきからなんなんだよ!アクだとかセイギだとか!私は私なりの正義があって動いてんだよ!邪魔ばっかりしやがって!」

 両手を大げさに広げて喚く犬飼のただ一つのワードに只野が反応する。

「正義。今『正義』と言ったな?その正義、我が正義と同じか否か聞かせてもらおう。」

 神妙な面持ちで問いかける。その拳は構えられたままであるが炎は徐々に激しさを落としていく。只野が拳以外で対話することは珍しい。彼女はとそのセンサーが告げたためだ。

「あー、そもそもはあの野良猫、支部長が餌やってる中の白と黒と茶が混ざったやつ。あいつが全部悪いんだよ。FHの奴らの実験台にされたのか戦闘に巻き込まれたのかは知らねぇ。とにかくあの猫がオーヴァードなのは事実だ。それはあんたも見ただろ?」

 セーフハウスから只野を尾けていたあの小癪な三毛猫のことであろう。人を舐めた笑い顔を思い出し、只野の腹に不愉快な感情が浮かぶ。

「あいつは最初"遊戯会"セルにペット兼戦力として飼われていたがすぐに反旗を翻して逃亡した。あげくに人まで襲って食ってやがるから私が退治しようとしたんだ。」

 人食い猫を退治するという正義的ストーリーにすっかり納得し「なるほど」などと頷く只野を横に、全然納得のいっていない中立が疑問をぶつける。

「ならなんで支部に何の連絡もなかったんですか?一人で敵を追うなんて無茶ですよ!」

「いや、それはだって……支部に連絡したら絶対支部長が『わしの猫ちゃんになにするんじゃ!』とか言って揉めるじゃん。」

 中立の疑問はもっともだったが、返ってくる犬飼の言葉もまた説得力のあるものだった。渋長の猫好きはこの支部では誰もが知る事実であり、もしかしたらそこまで織り込んで"遊戯会"セルは猫オーヴァードを飼っていた可能性すら思い浮かぶ。

「あー、それは……確かに。」

 中立があからさまに犬飼に同情的になる。彼女なりに考えた結果の単独行動だったのだ。

「しかしにゃんこが悪とわかった以上、野放しにするわけにはいかん。そうであろう支部長殿。」

 只野がそう言って視線を移した先には誰もいなかった。辺りを見回してもその姿はどこにもない。その反応を見て二人も異変に気付く。

「し、しまった。今度は支部長が単独行動を!」




「ほら、わしは敵じゃない。いつもご飯をあげているだろう?な?」

 セーフハウス近くの路地。その片隅で猫に話しかける渋長がいた。対する猫は渋長に付きまとわれるのがうっとうしいのか、足早に逃げようとする。

「わしは何があろうとミケマルの味方だ!信じてくれ!」

 なおも追いすがる渋長に対し、やっとその不機嫌な顔を向けたミケマルは、付いてこいというように顎を動かし更にその先へと歩を進める。

 ミケマルと名付けていた猫とともに歩くこと数分、小さな、もはや神主も参拝者もいないであろう神社へとたどり着いた。手入れされずただ無秩序に伸びた木々の間にそれらはいた。

「これは……すごいな。」

 猫、ねこ、ネコ……そこには数多くの猫がいた。傷つき年老いたものから、生後数週間の子猫まで。案内してきた猫オーヴァードが自慢気に渋長を見る。人ではないその顔に、渋長は確かな自負と責任感を見出した。

「ニャオ。」

 ミケマルが一声かけると周りの猫たちが次々に集まってくる。彼女がここのボス猫であることは間違いなかった。彼女を中心として猫同士が円となり、なにがかしか会話をしている。その声は渋長にも聞こえるが何を言っているのかは理解できない。

「シャー!」

 突如として大声を上げるボス猫とその様子に怯える周りの猫たち。なにか悪い知らせがあったのだろうか。先程よりも険しい顔で”付いてこい”と示す。

 しかし神社を出ようとするところでその行く手を阻む者が現れる。

「やっと見つけたぞお前ら。」

「犬飼さん落ち着いて。僕らは交渉に来たんですから。」

 やる気満々といった様子で手をゴキゴキならす犬飼。その横で手を広げてなんとか制しようとする中立。そして――

「渋長武和、その手に正義はあるか?」

 断罪の正義マンであった。




「わしはこの子らを……護る。」

 三人の前に渋長が立ちはだかる。その後ろでは例の三毛猫が目を見開き、口を大きく開けこちらを威嚇する。猫の周囲には禍々しい空気が目に見えるほどにあふれており、血に飢えた化け猫を連想させる。

「ニャアオ!」

 猫の叫びとともに地面が揺れ動く。脈動する領域によってきれいに扇形に並べられた三人に対し、足下から蔓草が襲いかかる。

「小癪な!」

 威勢のいい声とは裏腹に只野の足はしっかりとその植物に絡め取られている。肉体的なダメージはほとんどないものの、これでは足を数センチ動かすこともできない。見れば犬飼も同じように植物に絡め取られてその蔓と格闘している。見た目よりも丈夫なのかまとめて引きちぎることができず、一本一本切っていくことで脱出を図る。

「支部長!あなたって人は!」

 唯一束縛を回避していた中立が渋長に向かって弓を構える。その矢尻に宿るのは全てを溶かす腐食の力。漏れ出す悪臭に使い手の中立すら顔をしかめながら狙いをつける。弦に張り詰めた力が解放され、その必殺の一撃が放たれる。

「そんなものが当たると思うかね?」

 嘲りの色が濃い笑みと同時に渋長が回避運動に入る。しかしその渋長の周囲に突如として現れた黒い靄が視界を奪う。見れば、矢よりも先に足下に投げ込まれた小さなカプセルからその靄は出現している。回避力を奪った上で肉体を蝕む毒を注入する。この周到な組み立ては決して中立の交渉術が言語を用いたものだけに留まらない証左だ。

「やったか!?」

 今だ絡まり続ける蔓と格闘している只野が声を上げる。しかし渋長の鋭敏な感覚の前では視界の有無ももはや問題ではなく、その矢ははるか後方の地面を溶かすだけの結果に終わる。

「くっ!」

 中立は次の矢をつがえようとするが、それより渋長が動くほうが早い。ナックルダスターを握り込むと、残像を残しながら一瞬にして只野の目の前に立つ。そして右腕を振りかぶり――

「その力、使われる前に消えてもらう。」

 正確に只野の心臓を打ち抜いた。とっさにガードしようとした右手が弾け飛び、同時に左胸には大きな穴が空く。

 どさり。生命の根源とも言える臓器を失って、残った抜け殻のような身体が地面に倒れる。その断面からはとめどなく血液――生命が流れていく。

「どうやら本気でやるしかないみたいだな。」

 ようやく大半の蔓を切り終えた犬飼が、残ったわずかな草をその脚力で千切りながら歩き出す。そしてその体は一歩ごとに獣へと変換されていく。腕、その太さは数倍となり手には鋭い鉤爪。頭部、口元が伸び鋭い牙には飢えを示す唾液が垂れる。脚部、長さは伸びたもののバネを最大限利用するために曲げられたまま歩く。尾、臀部から伸びた太く毛で覆われた尾はそれが人外の力を行使する象徴であった。

「どおりゃああ!」

 一瞬の跳躍からの鉤爪によるフックと大顎による噛み付きのコンビネーション。それが地球上の生命であればなんであれ、無事ではすまされない破壊の嵐。

 しかし風に舞う葉のように渋長はそれをふわりと避ける。そうするのが当然かのように犬飼の後ろに立ち助言まで耳打ちする。

「それではわしには当てられん。ギリギリまで理性を捨てねばな。」

 犬飼が怒りに任せて腕を振り回して後ろを向く頃にはそこには渋長の姿はなく、木の裏から声だけが聞こえてくる。

「その必要はない。理性をもって拳で語ろうではないか。」

 その声は地の底から届いたかのように聞こえた。しかしその声はれっきとした地上、それも地面スレスレのところから発されていた。《リザレクト》を終えた只野がしっかりと渋長の足を掴んだまま起き上がる。只野の足からは薄い炎が広がり、先程まで絡みついていた蔓草を灰へと変えていく。正義を拘束するものはなくなり、全ては整った。

「我が正義の――」

 只野の拳が一瞬にして熱を帯び、強い光を発する。さらに過剰生成された脳内物質が彼の脳髄を戦闘状態へと書き換えていく。渋長を掴んだ左手と構えられた右手の双方に常識外の力が加わっていく。

「――拳を受けよ!」

 限界まで溜められた力が一気に解放され目標の胴体を貫く。あまりの力により上半身と分かたれた下半身がその場に崩れ落ちる。只野に掴まれその場に留まった上半身は驚きの表情のまま固まり、こちらもゆっくりと落ちていく。その中間点、胴体であったものは殴打の勢いにより四散し、爆熱によりその中心部まで焦がされていた。




「さて、邪魔がいなくなったところで悪を喰らうか。」

 只野が渋長の上半身を捨て、ゆっくりと三毛猫に近づいていく。本人、いや本猫は、胴が吹き飛び上下二つに分断された渋長を見てすっかり戦意を喪失したようで、にゃあにゃあと鳴きながら後ずさるばかりである。周囲の猫たちがボスを守ろうと前に出るが、只野が纏う炎に怖気づきこちらも遠巻きに睨むのが限界である。

「待て……話せば、わかる。わかる、はずなんだ……」

 唯一只野の行動を遮ったのは今だ上下の接合せぬ渋長だった。腕だけで這いずり、ミケマルに少しでも近づこうとする。

「支部長!そんなことを言ってる場合じゃないでしょ!」

 この数日猫に散々引っ掻き回された犬飼が叫ぶ。彼女の中では目の前の怯える猫こそが全ての元凶であり悪であるのは間違いなかった。

「話せば、と言っても相手が猫ではな。やったことで判断するしかなかろう。」

 妙な正論を吐きながらさらに距離を詰める。あと一歩で腕が届くというところまで迫っている。三毛猫はエフェクトを使うのも忘れ足で砂をかけようとするが、ここに至ってはそのような抵抗は何の意味もなさない。

 只野が改めて拳を振り上げ――

「あの、ちょっと待ってください。」

 今まで無言だった中立が手を上げ発言権を求める。拳を振り上げた状態で只野が顔を向ける。その目には胡乱げな成分が含まれており、正義センサーのかすかな起動を示している。

「話して、みましょう。その子と。」

 中立はゆっくりと、しかしはっきりと告げる。自らにしかできない、その提案を。

「でもどうやって?」

「相手は猫だぞ?」

「できるの……か?」

 事情がうまく飲み込めない面々が口々に疑問を述べていく。渋長だけはすがるような目で中立を見ている。

「僕はノイマンで、交渉役ですから。」

 そう言うとしっかりした足取りで三毛猫に近づき、只野と猫の間に割って入る。そしてしゃがみ込み、猫に向かって人間には意味不明な声を発する。それを聞いた猫はぴくんと耳を動かし驚いたような反応を見せる。そしてそこから堰を切ったように喚き立てる。それに対し中立は時折相槌を打ちながら真剣に話を聞く。その一人と一匹の話し合いを邪魔するものはいなかった。

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