第37話 元淡白女子は思い切って
そんなことが条約破棄が起きた日の帰り道。波留はそんなことを知る由もなく、突然女子たちの目が獲物を狙う目になったことに微塵も気が付かずに、明人が『やっと来たか……』と意味深に呟いた言葉に首を傾げるような
(何が『来た』なのか………。あいつはたまに意味の分からないことを言う)
今日は俺がバレーの日なのだが、涼香が見学すると言ってついてきた。曰く、昨日の埋め合わせをするらしい。俺一人解いても意味がないと思ったのだが、彼女らしくなく恥ずかしそうに懇願されたので断る気にもなれなかった。
そして。
「………距離が近い気がするのは俺の気のせいか?」
「気のせい」
「………そうか」
正直に言ってしまえば、ものすごく居心地が悪い。緊張しているのか良く分からないけれど手汗が半端ないし、距離を取ろうとしてじりじり動くも、そのたびに近寄ってきて触れる肩が心臓に悪すぎる。
いつものようにバレーボールの会場となっている小学校の体育館に向かって歩いているのだが、俺のすぐ隣には涼香が歩いている。明らかに近すぎる距離感で。
そこまでならば、まだ我慢できないこともなかったのかもしれない。ただ。
「………涼香」
「なに……?」
「………いや、何でもない」
涼香の耳が真っ赤だった。
余裕ぶってこちらを揶揄ってくるようならまだ対処のしようがある。こちらだってそれ相応の対応を取ればいいのだから。だが、ここまで恥ずかしそうにされてしまったら。
彼女のなりの必死な努力なのだと思えてしまうと、それを無下にもできない。
気恥ずかしさとどうしようもならない急く感情で歩調を早める。
涼香はどちらかと言えば落ち着いた人のイメージがあった。かわいい、という言葉よりは格好いいという言葉が似合いそうな。でも今の涼香は、慣れない恋愛に必死になって頑張っている感じがして微笑ましく、可愛い。
…………涼香の行動に押されて、俺の思考さえも少しおかしくなっているよな気がしてならない。
「………あ、ごめん」
肩が触れて、びくりと涼香の肩が小さく跳ね上がる。思わず謝ると、涼香は勢いよく数回首を横に振った後、視線を俺と反対へと向けてしまった。
普段とは違う涼香に、どう接すればいいのか分からない。
ちなみに今の涼香の恰好は、完全に私服だった。何度か遊んでいるときに見たようなシンプルでおしゃれな服装ではなく、淡い青の少し長いスカートだ。両手で持った小さなバッグが所在なさげに後ろで揺れている。
涼香にこんな服が似合うとは思わなかった。そんな先入観もまったくもって見当違いだったことが分かった。
あまりにも無言が続きすぎて怖くなり、どうにか口を開く。
「………あんまり今日はいい動き出来ないかもしれないけど」
「それいつも言ってるでしょ。いいの、あたしは見てて楽しいから」
「………そうか。ありがとう」
女性の服は褒めるべきだとか、そんなことも一瞬で頭から飛んでしまう程、俺はこの状況に動揺していたらしい。今更ながらに、女子と二人で歩いていることを意識してしまって、急に不安になってくる。
ぎくしゃくとした空気間の中で今更良家の服を褒められるわけもなく、のどまで出かかった言葉を持て余しながら足を進めた。
スカートの裾が俺の足に少し触れた。視界の端に移っている涼香の髪が心をくすぐる。
「……波留君が運動してるのを見るのは、本当に楽しいの。運動できる人ってすごいかっこいいから」
「…………ありがとう」
ぽつりぽつりと、二人で静かに言葉を交わしていく。家から小学校まではそこまで距離がないはずなのに、その中腹を歩いている今でも学校までの距離が遠く感じる。気まずさはなかったが。あるのは恥ずかしさとこそばゆさだけだった。
「……涼香もかっこいいよな」
「そう?……どちらかと言えばかわいいを目指していたりもするんだけど、どうしてもさばさばした性格だから上手くいかなくて」
「………かっこよさとかわいさと両方あるから、最強ってことでいいんじゃないか」
「は、波留君ありがとう………」
しくじった。
そこまで踏み込んだことを言うつもりではなかった。もっとオブラートに包んだことを言うつもりだったはずなのに。………いや、褒めてるんだから反省する必要はないのでは。
………今こそ洋服を褒めるべき時なのだろうか。
「………あー、その」
「なに……?」
「………いや、ごめん。なんでもない」
無理だった。おかしい、褒めるだけのはずなのに。たった一言『今日の服に合ってるね』と言うだけのはずなのに。
いや、そもそもなんで俺はこの一言を言うことに執着しているのだろうか。
「波留君って………、春乃夜さんとしての活動楽しい?」
「あー、………楽しい、かな。最近は特に」
思い返してみれば、みんなに会う前までは少し苦しくなり始めていた部分があった。金銭が絡んでくるし、見てくれている人が増えた分、自分の行動に責任が伴うようになったから。
でも、明人に相談したり、みんなに録音しているところを見てもらったりしたおかげで、自分の中で歌の楽しさが戻ってきた。
「……あたしは、楽しんでる波留君は………さ、最高に、……かっこいいと思う」
本人はそんなにたどたどしく言うつもりはなかったんだろう。恥ずかしそうに頬を染めながら、いつもと印象の違う衣服に身を包んだ涼香は、小さな声で、俺にだけ聞こえる声で言った。
彼女のそのいじらしい態度がどうしようもない。
「………今日の服似合ってるな」
その一言だけ言う。だんだんと近づいてきた見慣れた校舎を見据えた。
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