第14話 みんな堕ちた
バレーのボールが床を打つ音が体育館の中に響く。それを放った張本人である波留さんは、楽しそうな笑みを浮かべて軽やかに地面に着地した。
キャプテンらしい来栖さんと爽やかにハイタッチしている。普段は隠されているその整った顔に浮かべられている満面の笑みと伝う汗が放つ色気に心臓が早鐘を打つ。
知らず知らずのうちに四人とも黙り込んでしまった。ちらりと横を伺うと三者三様の反応で面白い。明人さんは目玉が零れんばかりに目を見開いているし、涼香さんも目を
これなら恋に落ちてしまうことも仕方がない。そんなふうに思えてしまう程、破壊力のある光景だった。
波留さんが跳ぶ。ボールが弾かれる。点数板の表示が変えられる。彼の楽しそうな笑みが視線を外させてくれない。
「なんか、やばいね。私ちょっとやばいかもしんない」
「あ、わかる。俺も堕ちそう」
「いや、お前は堕ちちゃだめだよ。僕が許さない」
衝撃が過ぎたのか、普段よりも会話のレベルが大幅に低下しているかもしれない。私も今言葉を発すると知能指数が低下した発言をしてしまいそうだ。
波留さんは、思っていたよりも運動が出来た。そして、前は一瞬見ただけなのでよくわからなかったがこうしてまじまじと見る機会が出てきてしまうとより一層明示される。波留さんの顔には隙がなくて、いつ
そうして凝視している視線に気が付いたのかそうでないのか、波留さんがこちらに大きく手を振った。まるで子供のような無邪気ではしゃいだ
「ん゛………っ」
隣の光瑠ちゃんから到底生き物では出ないような声が聞こえてきた。伏見さんに至っては両手で顔を覆ってうつむいている。私も正直顔が熱すぎてやばかった。
「………今ばかりは明人さんが羨ましいです」
「俺もやばいよ。かなり」
明人さんであれば波留さんからのダメージが少ないのではないかと思ったが、そうでもないらしい。「恋愛感情とかではないんだけどいつの間にか自分が波留に貢いでそうで怖い」と的確な意見をくれた。私もまさに明人さんが言っている状況と同じ状況に居る。恋愛感情においては今急速ではぐくまれている最中かもしれないけど。
今まで生で本当のイケメンにあったことがなかったのかもしれない。しかもその人が私たちに笑いかけているなんて、今までの人生でまったくなかったことだろう。心臓は過剰労働で訴えそうだし、胸の奥が締め付けられ続けるような感覚に
「動画撮影許可必要かな……?」
「ふっしー錯乱しないで、眞家は芸能人じゃないから事務所も関係ないよ」
「は………!あたし今何を……」
どこかぼんやりとした中でみんなの声を遠くに聞き流しながら、視線だけは波留さんを追いかけ続けていた。ブロックをものともせず突き通すようなスパイクもあれば、ブロックの人が付いてこれないほどの速度で放たれるスパイクもある。そこに至るまで繋いでいる人がいるのは分かってはいるのだが、それでもどうしても波留さんだけを見てしまう。
隣で動画撮影開始の音が鳴った。ちらりと視線を波留さんから外して見ると、案の定涼香さんがスマホを取り出して動画を撮影し始めている。
「後で送ってください。涼香さん」
「了解……。北島にも送る」
彼が顔を隠している理由が否応なしにわかる。これを曝してしまっていたら、周りの人はまともな精神では過ごせない。
………───見とれて呆けたままどのくらいの時間が過ぎただろうか。キャプテンさんがちらりと時計を見てから休憩の合図を入れた。その合図を境にバレーをしていた皆さんが蜘蛛の子を散らすように散らばっていく。波留さんは楽しそうな笑みそのままにこちらに走ってきた。
「……つまらなかっただろ」
「とても楽しかったですよ、大丈夫です………」
「にしてはみんなちょっと疲れてそうじゃないか?」
確かに自分自身に意識を向けてみると少し疲れているような気がしなくもない。心音はいつもよりも格段に大きく、刻まれるリズムは早い。背中がじわりと汗ばんでいるのが分かった。
原因は分かり切っている。
「……あんまり無理すんなよ」
髪を後ろに縛ったまま私よりも大きい身長で汗を拭きながら、その口元は楽しそうに緩ませられていて。直接見ているだけで顔がだんだんと熱くなってきてしまいそうで怖い。明らかに私たち女子をおかしな状態にしているのは間違いがなかった。
髪が縛られたことによって覗いているうなじ、そこに伝う汗を拭きとる細長くきれいな、それでいて少しごつい男子の手。
いろいろやばい。
「めっちゃ楽しそうだね、眞家」
「……まあ、楽しいことは間違いないからな」
「見てて僕も嬉しくなるなー」
「そうか?まあ、楽しんでくれるなら嬉しい」
波留さんは安堵と嬉しそうな感情を一緒くたに笑みに乗せた。どうにか正気を保ったまま、休憩時間が終わってキャプテンさんのもとへと走っていく波留さんを見送った。
一言も言葉を発せていない明人さんと涼香さんを見ると、明人さんはどうやら涼香さんを気にかけているようだった。涼香さんは、薄く頬を染めたまま固まっている。きっと、そういうことだろう。
その日ははっきりとしない時間感覚のまま見学を終えた。
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そして男子二人と別れた後、女子たちはまだ話したいことがあるからと近くのファミリーレストランに寄った。店の中に入り、自分たちの座席に座ったとたんに緊張感のようなものが解ける気がした。
涼香さんが机に突っ伏したまま、うめき声に乗せて言葉を吐き出した。
「私どうやったらもっとかわいくなれるかな……」
「単刀直入ですね。……みんな同じこと考えてるでしょうけど」
元から好意的なものは感じていたのだと思う。それが確実に恋慕だとは言い切れなかったが、今では恋慕に似た何かが胸の内を占めている。
今まで、恋愛という恋愛をしてこなかった気がする。恋心と言えば向けられてくるばっかりで、自分にとってはいつも逃げる対象だった。それが今や、追いかける側になってしまうなどとは。
「あんなの見せられたらちょっと無理だよね……」
「いや、北島ちゃんはもっと前からでしょ。どう考えたって、あの助けてもらったときから眞家のこと見てるときの目が乙女のそれだったし」
「あぅ……」
涼香さんの言葉に、図星だった光瑠ちゃんが思わず顔を手で覆った。ただそんな涼香さんも、自分自身が普段より乙女なことに気が付いていない。言動もぼんやりしているし、顔も心なしか赤く染まっているのに。
「んで、どうします?」
「顔で好きになったとは思われたくないよね……、きっかけであることは間違いないんだけどさ」
「そうですよね。直接的な原因ではないにしろ、どこかで関与してきますものね」
もとより、顔もその人の好さではあるのだが。波留さんがそれをよしとしないだけで、波留さんの顔は十分に魅力だ。人間の魅力の基準というのがそれだけではないのは確実なのだが。
そしてあの表情だ。嬉しそうでたのそうな、暗がりも歪みも一切ない奇麗な笑み。
「もう少し隠しておくべきなのかな……?」
「そんな気もしますよね。私たちは別に良いのですが、私たちの言動で波留さんが嫌な気分になることは避けたいですからね」
「あたしたち自身が嫌われたくないっていうのも大きいけどね」
先ほどまで頬を染めて固まっていたとは思えないほどに上機嫌で、涼香さんが言った。確かに一番大きな理由はそこなのかもしれない。私たちは波留さんから嫌われたくない。
最初はそうしてまじめなはなしだったのだが、いつしか波留さんがどんなに素晴らしいかという話になっていた。
その時間はとても楽しかったが、それと同時に恋敵が多いということも意味しているのだ。先ほどとは違う胸の奥の痛みをどうにかしてかき消しながら無理やりに笑顔を浮かべた。
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