第6話 ボーイッシュが泣きそう

 大里くんが居なくなったころを見計らってゆっくりと立ち上がる。大里くんなのかそうじゃないのかは分からないが、俺が持っていた荷物も丁寧にぶちまけてからいなくなったようで、散らばった教科書類から土汚れを払いつつバッグに戻した。


 大きく伸びをする。腹部の違和感はいまだに消えないし、首は曲げると少し痛い。何より、顔を触ってみると頬に少し血が垂れ流れていた。


 早く家に帰ろう。

 怪我してるとどうしても目立つし、俺としてはあまり被害がないつもりでも大ごとになってしまうことがある。幸いにも我が家は駅の近くだから、電車に乗ってしまえばあまり時間がかからずに帰ることが出来るはずだ。その電車が問題ではあるのだが。


 最後にリュックの土を払って背負い──………


「……北島さん?」


 ボブカットの綺麗な目と視線が絡まった。少し潤んだ瞳がこちらを真直まっすぐとみている。


「どうしたの、その怪我……?」


「……別に、大したことでは」


「絶対、痛いと思う。どうして怪我したの……?」


 誤魔化すように視線を逸らすと、彼女が駆け寄ってきた。そのまま目元を隠さんばかりの勢いの長い髪をはらりと避けられる。北島さんが小さく息を呑み込んだ。


「……転んだ」


「転んだら絶対こんな傷にならないと思う。ミナのとこ行くから一緒に来て」


 きっと気に病むだろうからと彼女らだけにはこの傷は見せたくなかった。まあ隠そうとしても明日までに跡形もなく消えるわけでもなければ、傷がばれないほど顔を隠すこともできないので、いずれは露呈することになるだろうが。


 北島さんが泣きそうになりながら俺の腕を引っ張っていく。大里くんとは違う優しい引っ張り方に思わず笑みが零れた。そんな気分もすぐに彼女の悲しげな瞳に吸い込まれてなくなってしまう。


 時折俺の無事を確認するように振り返ってくる北島さんを安心させるように、彼女の少し前を早足で歩く。皆川さんは委員会の仕事が残っていると言っていたから、きっと教室に向かっているのだろう。


「……なんで俺の場所が分かったかが知りたい」


中富明人なかとみあきとが『眞家が校舎裏で怪我してる』って」


 中富くんというのは大里くんの取り巻きのうちの一人だ。

 俺が引っ張られているときに少し心配そうな瞳を向けてくれた人だった。あとでお礼を言っておかなければ。


 校舎の階段を上がり、自分たちの教室にまで帰ってきた。教室の中にいるのは俺の隣の席の伏見涼香ふしみりょうかさんと皆川さんだけだった。伏見さんは皆川さんと同じ委員会で仲がいいようだ。

 がらりと扉を開けると、二人の視線がこちらに交錯する。居た堪れなくなって視線を逸らすと、皆川さんががたりと音を立てて立ち上がった。


「波留さんなんで怪我してるんですか……!?」


 後ろから伏見さんも眉をひそめてこちらに寄ってきた。二人を落ち着かせて席に座らせ、事情を話せと伏見さんに促されて口を開く。


「……転んだ」


「嘘でしょ。眞家君はもうすこしまともな嘘のつき方を考えて」


「ふっしー、眞家怪我してるからもうちょっと優しくしてほしいな」


 諫められた伏見さんが申し訳なさそうにこちらに視線を向けてきた。「大丈夫」と短い言葉だけを返し、彼女の瞳に安堵の色が浮かぶのを確認する。

 そうして注意を促すのは普段の彼女の役割ではなかったし、声にも元気がない。申し訳なさを抱えながらもう一度言葉を紡いだ。


「殴られた。………大里くんに」


「はぁ……?あいつ……」


 伏見さんは元より大里くんに対していい思いを抱いていないようで、言葉を聞いた途端見事に憤っていた。皆川さんがそれをどうにかこうにか宥める。ただし、そうして宥めている皆川さんの目もいつもより冷たい光を湛えていた。


「大里さんはそこまで大胆な行動ができるような人物ではなかった気がしますが」


「そうかもしれないな。……まあ、そういう大胆な行動に出るだけの理由があったんじゃないか?」


 きっと、みんなの前ではそうというだけで陰では暴力をふるったりしているのかもしれない。ああして殴られたりしても声を上げられない人は上げられない。何か脅しもかけられてしまったらそれこそ逆らえないだろう。


 事情を知りたそうな彼女らの様子に、ところどころオブラートに包みながら話した。俺が暴力を振るわれた場面や、皆川さんや北島さんへの罵倒などは直接的には話さなかった。


 話し終わった段階では、今度はわなわなと震える皆川さんを伏見さんが宥める羽目になっていた。


「そこまでの屑だとは思ってませんでした。無条件で拒むのも申し訳ないと思い今まで一応言葉を返していたのですが、私には人を見る目がないようですね」


「……私も、一回迫られたことある気がする。笑ってごまかしたけど、そういう人だったんだ」


 あそこまでとなってしまうと救いようがない。皆川さんや北島さんを陥れるような言葉のせいで憤りを感じ、彼を救おうと思えないのも考え物だ。


「にしても、暴力にまで踏み切るとは……」


「……俺もあそこまでだとは思わなかった」


 伏見さんのぼやきに言葉を返す。俺としてもあそこまですぐに行動に出てくるとは思わなかったし、校舎裏に呼び出された時点でも言葉で責められる程度だろうと思っていたのだ。怒りというよりは驚きの方が大きいが。


 と、思い出したかのように北島さんに心配げな瞳を向けられた。


「眞家、傷は大丈夫なの……?」


 「ああ、これ」と言いながら額をなぞって見せる。傷に触れて痛みが走り、思わず手を引く。手には少し乾いてきた血がべったりとついていた。あまり意識していなかったが、思ったよりも深く切れて血が流れているようだ。


 それをごまかすように机の下に隠した。


「……大丈夫だと思う」


「いや、ダメでしょ。眞家君のその傷は」


「すぐ保健室行きましょう。今すぐに」


 隠したのが遅すぎたようで、俺の手についている血を見て三人が血相を変えた。

 にしても、保健室か。保健室に行くとなれば顔を消毒されたりもするのだろう。


 彼女らならば素顔がばれても普段と変わらず接してくれるかもしれないが、それでも隠し通してきたものが露呈するのは嫌だ。それに、ずっと騙していた申し訳なさに似た感情もある。


 保健室に連れて行きたがる三人と渋る俺とで論争となり、結果的にはこの教室で救急キットを借りてきて手当てすることになった。先生に顔を見られたりすることを避けたかったというのが大きい。


 俺が取りに行くと言ったのだが、怪我人は安静にしてろと止められて皆川さんが取りに行くこととなった。

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