#03

「うわぁ!ここかぁ!」


 皐月はマンションを見上げる。


「高校生の一人暮らしにしちゃあ贅沢だよな」

「綺麗なところで安心したよ。てっきり登るたびミシミシって音がするようなとこに住むのかと思って心配しててん。あれはドラマの世界かぁ」

「いや、そういうとこもあるだろ。こればっかはほんとに親に感謝だな」


 そう言いながら財布からカードキーを取り出し、共用玄関を抜ける。一年ですっかり慣れてしまっていたが鍵がカードキーってのもなかなかだ。皐月は「おかぁから渡されたこのカードはそのためのものか!」と財布から黒いシンプルなデザインのカードを取り出し一人で納得している。


 そんな皐月がしっかり後からついて来ているのを確認しながら部屋のある4階まで登る。普段であれば運動という名目で階段を使うが、朝からなんだかんだでずっと持たされている皐月の大きなスーツケースもあるため今日ばかりはエレベーターを使う。


 エレベーターを降りて一番右側が俺の部屋となっている。必然的に右側から二番目が皐月の部屋だとわかる。とりあえず自分の部屋に荷物を放り込み、皐月の部屋を開ける。


 部屋の中は何も無い…というわけでは無い。このマンションでは家具一式が揃った状態で貸し出されている。そのためパッと見は普段から生活されている部屋のように見える。とはいえ当たり前の事だが棚を開ければその中は空になっている。んまぁ何か入っていたら逆に恐い。


「広い!綺麗!はぁおにぃこんなとこ住んでたんか?」


 部屋の中を一通り見回した皐月が興奮気味に口からこぼす。


「んまぁそうだな」


 俺の部屋は角部屋って事もあり、これよりさらに広かったりもするが大体はこんなものだ。


「いいなぁ。おにぃずるいで」

「ずるいって……別にこれから皐月もここ住むんだし」


 皐月は「そやなぁ。……うちも今日からここ住むんかぁ」とつぶやいて今度はその場に立ち尽くしたまま部屋の中を見渡す。


「おにぃは卒業したらここから引っ越すんか?」


 ふと思いついたかのように皐月が質問を投げかける。


「進路とか諸々の状況次第だな」

「うげぇ、進路かぁ。うちこの前受験したばっかやのに」


 皐月は大きなため息をつきいきなりテンションを下げる。それもそのはずだ。皐月はもともと勉強ができる方でも無いのにこの二年間……特に最後の一年間はほとんどの時間を勉強に捧げ合格確率20%、模試で出る最低数値だったところから最終的に見事に合格してみせた。


 最後の最後まで受験校の変更を塾講師から勧められながら全く変える意思を示さなかったらしい。なぜそこまでして志望したのかは未だにいまいち分からない。


 理由はともあれ今はまだ高校合格に浸らせていていい時期だろう。


「まぁ皐月はまだ高1なろうとしてるとこだしまだ猶予はあるだろ」

「……おにぃはもう考えとんの?」


 皐月はテンションの低いまま俺の顔を覗き込む


「いや、……一応は進学はしようと思ってる」


 親父も母さんも大学を出ているし、出たほうがいいとも言われている。自分自身もそれに対して共感しているし、ほぼ間違いなく大学に通うことになるのだろう。しかしあまり出来に差がないため理系に進めばいいのか文系に進めばいいのかという第一関門すら突破できていない。


「へぇ〜……ってことはおにぃはまた受験するんやな」

「いや、もしかしたら推薦取れるかもしれないからそしたら受験は免除だな」

「え?おにぃって運動音痴やなかったけ?」


 「運動音痴」とストレートに言われると自覚をしているつもりはあるもののやはりくるものがある。


(いや、運動音痴とまではいかないんじゃないか?うん。得意じゃない程度だ)


「……んまぁスポーツ推薦は確実に無理だな。俺が取れるかもなのは指定校推薦っつってまぁ学力で判断されるやつな」

「おにぃってそんな出来るん?」

「まぁそれなりにな」

「へぇ〜」


 皐月は意外そうに声をあげる。


「ほら、俺の進路はどうでもいいから早く荷物片付けるぞ」


 一度話の腰が折れたところで皐月の部屋に入って来た理由となる話題を転換させる。


 このままダラダラ「女子」の部屋にいるのもあまり気乗りしない。


「えぇ?明日で良くない?今日は大移動でしんどいし」


 皐月は俺の提案をあからさまにいやな顔をしながらすぐに跳ね返してくる。俺もそれに対してすかさずツッコミを入れ対抗する。


「散々寝てただろ。荷物片付けちゃえばそっからは楽になるんだし速攻でやるぞ」

「う〜ん……」


 皐月は納得してくれそうな様子を見せない。またしても後回し癖が発揮されている。


「俺明日は学校行かないとだから手伝えねぇけどそれでもいいなら明日でもいいぞ」

「えぇ。なんでや?」


 皐月は声をワントーン上げ理由を探る。


「生徒会の仕事でお前らの入学式のセッティングだよ」

「おにぃ生徒会なんて入っとんのか?」

「「なんて」って言ってやんな。一応大事な役職だぞ」

「いや、そういう意味やなくて……ぽくないっちゅうか……」


 皐月の「ぽくない」というのは俺も賛成だ。俺はもともと人前に出るのは苦手だし、人とあまり絡まないタイプだ。


「まぁ自分から立候補したわけじゃ無いからな」

「友達が勝手にとか?」


(いや、どこのアイドルと勘違いしてんだよ)


「生徒会長からの指名だよ」


 生徒会長の指名と言っても別に生徒会長と仲の良いわけではない。今でこそ生徒会のメンバーとして会話くらいはするがそれ以前は全くの無関係であった。


 それでいて指名されたのは生徒会長の指名は学校のルールに乗っ取られているものだからだ。


 まず生徒会長は募集がかけられ数人が立候補し、その後生徒による投票で決定される。


 その後生徒会のメンバーを構成していくのだがその時に原則として


『生徒会は成績の良い者から順に1、2年各3人ずつになるように生徒会長の指名という形で収集する』


 と決められている。つまり各学年のトップ3が生徒会に入るのが基本の形だ。その基本の形であれば俺は生徒会に入る必要はなかった。


 しかし、この決まりには続きがある。


『もし指名された者がなんらかの理由によって辞退した場合はその次に成績の良いものに指名する』


 簡潔に言えばこのルールによって本来生徒会に入るはずで無かった学年5位の俺が指名されたというわけだ。


 会長によると学年2位の生徒が長期留学によって辞退し、学年3位の生徒はテニスで全国出場という優秀な成績を収めているため部活に集中したいとのことで辞退したらしい。


 この二人の理由を聞いてしまえば特に何もない俺が辞退する事も出来なくなり、生徒会の一員となったわけだ。


 まぁマイナスなことばっかなわけじゃないと思うし……うん。


「おにぃ、すごいんやね」

「別に凄くはねぇよ。してんのは雑務だし一番下っ端だしな」


 生徒会が始まり当時1年、今年2年になる人の中で一番成績の低い俺は庶務という一番下っ端の役職に就くことに決定した。


 下っ端なだけあって意見を振られることも少ないし楽な立ち回りであるため俺的には大満足だ。


「おにぃ」


 そこまで話すと急に皐月が深刻そうな顔をする。


「ん、どうした?」

「あかんよ。仕事は真面目にせんと」

「は?いや、それなりに真面目にしてると思うぞ」


 急な皐月からの忠告に戸惑いつつも言葉を返す


「だって雑にしてるから雑務なんやろ?」


 どうやら皐月の急な忠告の理由はここにあったらしい。


(確かにそう書くけどな……)


「いや、別に雑務はそういう意味じゃねぇよ」

「そうなんか?」


 皐月が首を傾け俺がため息をつく。早くもお決まりになりつつある行動パターンだ。


「言っちまえば誰にでもできるような仕事をすんだよ」

「んじゃあおにぃは別にすごく無いんか」

「まぁすごかあないけど、雑務舐めんな。雑務を誰かがしなきゃあ始まらん」

「ほぇー」


 皐月は納得したような声を上げる。


「というか俺が生徒会に入ってんのはもう言ったよな?それで一日早めにこっちに来たんじゃねぇか」

「そうやっけ?……忘れてもうたわ」


 相変わらず記憶力が崩壊しているようだ。


「まぁそんなんはっきり言ってどうでもいいから早く部屋片付けるぞ」

「えぇ〜」


 皐月はぶ〜ぶ〜と反抗する。


「明日一人でするか?」

「……今日やるので手伝ってください」


 どうやら一人で明日するよりは今日俺としたほうがマシらしい。


 部屋の真ん中で皐月と共にスーツケースを開け、中身を取り出していく。


 スーツケースの中身は皐月が詰めたとは思えないほど整っている。


「これ絶対お母さんに手伝ってもらっただろ?」

「バレてもうたか」


 皐月は自分で頭に軽いゲンコツを入れ舌を少しだけ出し「てへぺろ」というセリフが似合う顔をする。


(いちいち可愛いから注意しにくいんだよな……)


「お前なぁ……」

「頼れるものは頼っとくのがうちのモットーやで」


 皐月が「どうや」というふうに堂々と胸を張って言うため逆に反論がしにくくなってしまう。


「……そうですか。でもその頼れる方もこっちにはいないからな」

「いや、おにぃに頼る」

「……お前なぁ」


 はなから自分でやるという考えを持たない皐月に呆れ、しっかりと声が出ていたかさえ怪しい。



 その後黙々と片付けの作業を進めて行きスーツケースが空になった頃にはもう19時を過ぎていた。


「はぁぁ、疲れたぁ」


 そう言いながら皐月はソファに頭から倒れ込む。


「8割型俺がしたと思うけど?」


 俺は近くにある椅子に腰掛ける。


「ええの」

「本当に大変なのは家から荷物が届いた時だぞ」


 すっかり全てを終えたような様子でいる皐月に向かって忠告を入れる。


「スーツケースで持ってきたのなんか必要最低限なんだからこれからまだあるぞ」

「今からぁ?」

「いや、流石に今日は届かないと思うけど」

「んじゃあ今日はもう休む」


 皐月はソファに寝転がり「疲れたぁ」とまたこぼす。


 基本的な体力に関して言えば俺より皐月のほうが全然あるが、したく無い事をした時の体力消費は異常に早いらしい。


「ぐぅぅぅ〜」


 しばらくの間の沈黙をかき消すように音がなる。


 皐月の方を見ると両手で隠し切れないほど顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。


 いつもは「恥ずかしがる」ということをほとんどしないためその姿は新鮮な物であった。


「……おにぃ、今の聞いとったか?」


 皐月はしばらく黙りこくってから顔を赤くしたまま小さく自信なさげに口にする。


「いや。何が?」

「聞こえてなかったならええねん」

「……んじゃあ夕飯食べにいくか。……聞こえてないけど」

「おにぃ絶対聞いてたやろ」


 皐月は俺の目をじっと見つめる。


「聞こえてないって」

「んん、もう」


 皐月はそれでもなおとぼけ続ける俺への反応に困り言葉に詰まる


「食べに行かないのか?」

「行く」


 皐月は強く返事をし、ソファから飛び跳ねるように立ち上がる。それに続いて俺も椅子から立ち上がり、玄関の方に向かう。


「カードキー忘れんなよ。忘れると入れなくなるからな」


 ここの部屋は全部屋オートロックであるため出ていく時に鍵を閉める必要は無いがカードキーを忘れて家を出ると相当面倒くさい


「分かっとる」


 皐月はそう言いつつも一度靴を脱ぎ、部屋の中に引き返して行く。


(忘れてんじゃねぇかよ)

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