第2話 ハルマー食い道楽とその結末
「はー、やっと着いたわ」
馬から降りると、アリアは大きく背伸びをした。お尻もわずかに痛かったが、人前では言えたものではなかった。
夕方ともなると仕事終わりの職人や、旅の商人などが街へと繰り出している。
「さすがに活気があるわね」
旅の疲れも忘れ、アリアは街の様子を眺めている。
対して、ノリスは無表情を貫いているが、彼の意識は周囲全体へと向けられていた。護衛士のスキル〈広範囲警戒〉は、常人よりも遥かに広い範囲を警戒する事が出来る。
ランクが上がれば気配を完全に消した相手でさえ見つけることが出来るのだが、ノリスはそこまでの領域にまでは達していない。
「ん?」
手綱を引いていたノリスは 、アリアの変化に気が付いた。
いきなり、アリアがふらついた。
咄嗟にマントを掴むが、彼女は止まらない。
「らっしゃいらっしゃい! トリ焼き串が焼きたてだよ!」
ふらり。
がしっ。
「釣りたての焼き魚だ! アブラもしっかり乗った上物だよー!」
ふらり。
がしっ。
「焼きたてのパンに蜂蜜をたっぷり掛けるよー。甘くて甘くてとまんなくなるよぉ!」
ふらり、ふらり。
がっちり。
「ノリス!」
屋台にふらつくたびにマントを掴まれ、アリアは叫んだ。
「宿で食べればいい。なんなら、これもあ──」
「女の子には甘いものが必要なの! おばあちゃんも言ってました。言ってました!」
血走った目で、アリアは力説した。
「食べられなくなるぞ」
「夕食は別腹です!」
そう言うと、アリアは両手の手のひらを上にした。
「……」
「………」
「…………」
「………………一枚だけだ」
じっと見つめられたノリスは、あえなく根負けした。懐から銀貨を取り出すと、アリアの手のひらに載せた。
すると、今までの顔が嘘のようにぱあっと輝き、アリアは蜂蜜掛けパンの屋台に突進した。
「ありがと!」
振り返ると、アリアは微笑んだ。
「っぷ…………」
アリアは口元を抑えた。
「だから言ったんだ」
「らって……おいひらっはんはもの」
あの後、二人は〈銀の鈴亭〉という宿に部屋を取った。
典型的な宿であり、一階に食堂と酒場を併せ持った場所があった。ここには泊り客以外も訪れており、かなりの賑わいを見せていた。
荷物を部屋に置くと、二人は早速夕食を摂ることにした。
交易都市と呼ばれるだけあり、食材は豊富で、しかも安い。
「いらっしゃい、何にします?」
「オススメ二つ!」
「あいよー!」
二つ返事でアリアが注文すると、先に酒が注がれたジョッキが運ばれてきた。こぼれないように蓋が付いたジョッキは、木ではなく陶器で作られている。
この地方独特の文様や絵が描かれているジョッキの中には、エールがたっぷりと注がれていた。
宿も気を使っているのか、アリアのジョッキはノリスの半分程の大きさしかない。
「かんぱーい」
ジョッキを掲げると、二人はエールで喉を潤し、大きく息を吐いた。
「はー、このために生きてるんだよ」
「それはない」
「もー」
口を尖らせたアリアだったが、チーズのいい匂いにだらーんと緩んだ笑顔を見せた。
「おまたせー! 」
二人の前に置かれたのは、一人用の小さな土鍋だった。ウェイトレスが蓋を開けると、とろけたチーズの匂いが鼻を通り抜けた。
「ごゆっくりー」
ウェイトレスが席から離れると、アリアは嬉しそうに木のスプーンを手にした。
この料理はこの辺りの名物料理であり、鳥肉と芋を大きめに刻み、チーズとスープで煮込んだ料理だ。頼めばさらにチーズを掛けてもらえるのだが、アリアはためらうことなく追いチーズを注文した。
結果、目の前には青い顔をしたアリアがいた。
最初は順調にたべていてのだが、予想以上にチーズが重くのしかかり、アリアの胃を攻撃した。
だんだんスプーンを動かす手が遅くなり、ついには完全に止まった。
「おいひいひ、ほっはひはひはは……たべゆ」
スプーンを咥えたアリアは、最後の力を振り絞ってチーズ煮込みに挑戦しようとした。
しかし、その前に大きな手が鍋を掴み、ノリスが冷めかけて硬さを増したチーズと鳥肉を一気にかき込んだ。
顔を
「のひふ……」
瞳を潤ませるアリアだったが、それが嬉しいのか苦しいのかまではノリスにはわからなかった。
「部屋に戻るぞ」
「ぶはー!」
ベッドに倒れ込むと、アリアはゴロンと上を向いた。
「たまには懲りろ」
ベッドの間に間仕切りを掛けながら、ノリスが言った。
「反省してまーす。うぷ」
口元を押えたアリアは、モソモソと夜着に着替えた。
赤いリボンが付いた夜着は、足首までの丈があり、ゆったりとしたデザインになっている。掛け布団を被ったアリアは、間仕切りの向こうにいるノリスに視線を向けた。
向こうからは、規則的な息が聞こえる。
眠っているのならば気にはならないが、実際は違う。彼が行っているのは、夜のトレーニングだ。
腕立て伏せにスクワットは当たり前で、腹筋も欠かさない。彼の荷物の中にはトレーニング器具も含まれており、総重量はアリアの体重よりも重い。
「飽きないわね」
「師匠から教わった事だからな」
小指だけで腕立て伏せをしながら、ノリスは答えた。
行うスピードも速いので、既に二百回を超えている。上半身裸でトレーニングをするため、彼の鍛え抜かれた体が露になっている。
それは、ボディービルダーのように筋肉の塊ではなく、研ぎ澄まされた刃のようだ。
「小腹が空いたら言ってくれ。保存食ならばいつでも出せる」
「うん。あれは要らないかな」
「いつも言っているが、あれは完全な健康食だぞ。それだからいつまでたっても貧──ん?」
そこまで言って、ノリスは言葉を切った。
間仕切りの向こうから、アリアの寝息が聞こえてきた。
「……本当に体にいいんだがな」
ノリスは本心からそう呟くのだった。
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