第70話 まがった時、とがった時 その五



 龍郎は闇を見すえた。

 まちがいない。

 このさきに邪神がいる。


「……穂村先生。感じますか?」

「は? 何をだね?」

「そうか。これを感じるのは、おれだけなのか。マイノグーラはこっちです」


 龍郎は闇を指さした。


「ナシルディンの家は?」と問うアグンには答えず、龍郎は山中へ続く細い道へふみこんでいく。じきに、ラマディンの家への二又をすぎる。


 ここからは一本道だ。

 龍郎が先頭でも迷うことはない。道なりに進んでいく。


「待ってください。龍郎さん。プトリを助けに行かないと——」


 追いすがるアグンに、

「プトリさんなら、このさきにいます。たぶん、あの場所だ。やっぱり、あそこに何かがあるんだ」


 口早に告げて、龍郎はさきを急ぐ。


「龍郎さん。懐中電灯、持ってきました。さっきから誰にも出会わないし、山道は危ない。ここなら使ってもいいのでは?」


 アグンは止めてもムダと思ったらしく、懐中電灯をさしだしてきた。ティンダロスの混血種化した村人に見つかると寄り集まってくるから、ここまで使わないでいたのだ。


「ありがとう。助かります」


 匂いをたどって進むことはできるが、足元が見えないのは困る。ありがたく受けとって前方を照らした。

 南国の木の目立つ森が両側に迫り、たれさがる枝が行く手をはばむ。

 その道に血の筋のように強い匂いがただよう。


(やっぱり源は、あそこから……)


 龍郎の予感はあたった。

 近づいていくにしたがって、血なまぐさいような耐えがたい匂いがする。

 森のなかに、がぽりとあいた黒い穴。

 ナシルディンが倒れていた洞窟だ。


「ここから匂いがします。このなかにはマイノグーラがいる可能性が高い。英雄さんは危険だ。なかには入らないほうがいい」

「プトリはこのなかにいるんですか?」


 龍郎は返事に窮した。

 迷ったが、「わかりません」とだけ答える。


「とにかく、邪神を倒すのは、おれでもやっかいなんだ。ティンダロスの猟犬や混血種のようにはいかない。二人を守る自信がないから、待っていてほしい。と言っても、穂村先生は来るんだろうけど」

「もちろん。行くとも。私は宇宙一の智の探求者だよ?」


 その返答は予測ずみだ。

 龍郎はアグンにくれぐれもなかへ入らないように言い聞かせて、穂村とともに暗い穴のなかへ足を進めた。


 以前は昼間だったが、光が届かず内部のようすをつぶさに見ることはできなかった。今、懐中電灯の明かりで見ると、あきらかに人工とおぼしい陽刻が壁面にほどこされている。ゴアガジャ遺跡の獣にどこか似ていた。


 夜だからか、コウモリの姿はない。エサを求めて外へ飛びたっていったのだろう。大量のフンの匂いさえ圧倒するほどの邪気が満ちていた。


「む……」と、穂村が顔をしかめる。「これほど強いと、さすがに私でもわかるな。禍々しい」

「ですよね」

「それに……この感じは、邪神だけじゃないぞ。本柳くん」

「そうですね。何か大きな力を感じる」


 洞窟の奥から熱いようなうねりが押しよせてくる。異様だ。前に来たときは、むしろ寒いくらいだったのに。


「気づいているな? 本柳くん」

「ええ。この感じ、六道です」

「そうだ。ここが時の風穴だ。私がかつて、この地で探し求めたもの。だが、前回はゲートが閉じていた」


 龍郎は心づいた。


「ゲート——そうか。マイノグーラが言っていた門というのは、ここのことでは?」

「そうだろうな。おそらく」


 固い岩をふみしめていく。

 ややくだり坂になった道は、天然の洞窟を利用したトンネルのようだ。奥になるほど広く平坦で歩きやすい。


 ナシルディンが倒れていたのは入口に近いあたりだった。もうとっくにその地点はすぎている。

 いったい、どこまで続いているのだろうか?


 龍郎の疑念をふきとばすように、前方に光が見えてきた。青くきらめくのはヒカリゴケの一種だからかもしれない。


 とつぜん、突風が吹きつけてきた。


(あっ——)


 風にのって、花の香りがする。

 いや、花のようにかぐわしいこの香りは……。


「青蘭だ。青蘭の匂いがする」


 龍郎は走りだした。

 穂村があわてて追いかけてくる。


「待て。待て。本柳くん。罠かもしれんだろう。せいては事をしそんじる」

「青蘭がマイノグーラに喰われたらどうするんですか!」

「まったく、若者はこれだから……」


 全力でかけていくと、しだいに青い光が大きくなってくる。ヒカリゴケなどではない。もっと強い光だ。

 懐中電灯が必要ないほどに、あたりは明るくなった。


 やがて、龍郎たちの目の前が、とつじょ絶壁になった。深淵がパクリと足元に口をあけている。

 この景色、何度、見ただろうか。

 底知れぬ深い崖の下に、発光する海面のようなものが広がっていた。


 六道だ。

 輪廻転生をつかさどる生命の泉。

 水のようにも、青白く燃える炎の海のようにも見える。熱いような冷たいような、美しくもあり、恐ろしくもある光。


 これまで、六路村や魔界の底にあるリンボでも見た。

 あの世とこの世をつなぐ道だ。


 だが、あれはなんだろうか?


 六道に達する前の空間に、巨大な黒曜石のような三角形の板がクルクルとまわっている。回転しながら、二等辺三角形、正三角形、直角三角形などに形が変わる。


「穂村先生。あれはなんですか?」

「門……だろう」

「あの黒いのが門?」

「ティンダロスだ。鋭角のゲートはとがった世界に通じている」


 穂村の声に緊迫感がこもる。


「マズイぞ。マイノグーラの真の目的は人間を食うことじゃないらしい。あのゲートと六道をつなぐつもりだ」

「ティンダロスと六道をですか? そんなことして、なんになるんです?」

「戦争だよ。まがった時間にとがった時間をつきさせば、異なる二つの外宇宙が直通する。アザトースとティンダロスの王を戦わせて、両方の宇宙をふっとばすつもりかもしれんな」

「なんのためにそんなことを? だって、アザトースはマイノグーラにとっても先祖のようなものなんでしょう? 自分の世界を滅ぼすことになるっていうのに」


 穂村は嘆息した。


「本柳くん。邪神が人間と同様の思考をすると思うな。ただ退屈しのぎのためだけに万物を消してしまう——そういうヤツだっているかもしれんだろう?」

「なるほど……」


 たしかに邪神を理解することなんて不可能だ。人間の自分が納得できるような理由なんて、きっとないのだろう。


「だけど、それなら、アザトースとティンダロスの王ですか。そいつも相討ちになってくれるかもしれないじゃないですか。何が困るんですか?」

「アザトースの世界はまがった時間だ。そして我々の世界もまがった時間に属している。なぜなら、我々の世界の創世者はアザトースだからだ。つまり、アザトースの世界が滅べば、我々の世界も消える」


 龍郎は絶句した。

 まさか、邪神と自分たちの宇宙が命運をともにしているとは思わなかった。


「じゃあ、どうしたらいいんですか?」

「あのゲートを破壊するしかない」

「どうやって?」

「おそらく、ゲートの鍵はマイノグーラ自身だ。彼女が現れることによって門がひらいた。つまり、マイノグーラを倒せば……」


 龍郎は回転する黒い門をながめた。

 あのゲートから邪神の匂いがする。

 青蘭の香りも。


「行きましょう。マイノグーラは門のむこうにいる」

「ティンダロスだぞ。行くのか?」

「もちろん」


 龍郎に迷いなどなかった。




 了

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