第70話 まがった時、とがった時 その四



 アグンの自宅は、龍郎たちが知っている平穏な様相とは、すっかりさま変わりしていた。


 明かり一つ点灯していない暗い敷地のなかを、人型の青い光がぼんやりと、あっちにもこっちにも徘徊している。

 それも十や二十じゃない。

 ちょっと数えきれないほどの数だ。

 周辺の村人がすべてティンダロスの混血種化して、ここに集まっているのではないかと、龍郎は思う。


「なんで、こんなにたくさんいるんだ?」

 思わず龍郎がつぶやくと、

「何かを守るためじゃないかな」

 穂村が硬質な声音で答えた。

 やはり、穂村も龍郎と同じ結論に達している。


「龍郎さん! 早くなんとかしてください! 家族が……お父さんやお母さんが……」


 アグンがあせるのは当然だ。


 龍郎は急いで右手をかかげた。

 苦痛の玉の力は先日、魔界へ行ってからというもの、確実に増大している。この玉の持ちぬしだった天使の意思が強く影響するようになったからではないだろうか。

 右手をひらいて高く上げるだけで、目に見える範囲の混血種はバタバタと倒れた。


「お母さん! プトリ!」


 アグンが倒れた人たちをとびこえて、かけだそうとする。

 だが——


「待って。英雄さん」

「でも……」

「来る。この匂い」


 龍郎は周辺を見まわした。

 さっきは留置所の壁と壁、天井の三ヶ所がぶつかる三角錐から現れた。

 ヤツらはとがった世界からやってくる。


(どこだ。どこから来る?)


 背筋にザワつく冷気を感じて、龍郎はを見た。


 軒下だ。

 もっとも近い棟の軒と外壁が作る鋭角から、アイツが顔をのぞかせていた。猟犬のような特性を持ち、カマキリのような、サボテンのような多面体。無機質で、およそ生物らしくない。それでいて全身を腐った粘膜に覆われ、ヌラヌラ、ベトベトと汚物をたれながす。


 ティンダロスの猟犬が軒下の暗がりからとびだした。

 とっさに右手をつきだす。聖なる輝きが猟犬の表面から青いヘドロのような粘膜を一瞬でふきとばす。


 猟犬と粘膜はなんらかの共生関係なのかもしれない。さっきのやつもそうだったが、粘膜を失った猟犬は怒りをあらわにした。蝶番でつながったような口をいっぱいにひらいて、威嚇しながら突進してくる。


 三メートルとない近距離からの跳躍だった。

 龍郎が身がまえる前に、猟犬は龍郎の眼前に迫っていた。退魔の剣が形になるより早く、猟犬は龍郎の右手にかぶりついてきた。本能的に、そこが龍郎の力の源だと感じとったのかもしれない。無数のノコギリのような歯が右手の肘につきささる。

 龍郎は悲鳴を呑んだ。


「本柳くん!」

「龍郎さんッ」


 穂村やアグンの声を聞きながら、龍郎の意識はとびかける。苦痛で頭がもうろうとする。


 だが、このまま右手をかみちぎられれば、すべて終わりだ。外部からの救援の届かないこの封印のなかで、悪魔と戦えるのは今現在、龍郎だけなのだ。


(青蘭を……青蘭を助ける……)


 マイノグーラにさらわれたままの青蘭を救出することができるのも、自分だけ。歯をくいしばり、龍郎は右手に意識を集中する。


 退魔の剣が形をとった。。退魔の剣の長い刀身が、猟犬の喉からとびだした。


 猟犬が雄叫びをあげた瞬間、右手が自由になった。龍郎は剣をにぎったまま右手を猟犬の口からひきだした。澄んだ光輝を放つ刃が、猟犬を内側から真っ二つに切りさく。


 猟犬は裂けめから、メラメラと燃えあがった。一瞬で炎のなかに崩れる。


 龍郎の手から剣が落ちる。地面につく前に消えた。それは龍郎の闘気の具現化したものだからだ。戦いが終われば自然と消える。


「本柳くん。大丈夫か? 怪我は?」


 龍郎は左手で右手の袖をめくってみた。さわってみたが骨は折れていない。ただ腕のぐるりに、細長い直線的な歯のあとが残っている。血がしたたりおちる。


「先生。これで、肘のところをしばってください」


 龍郎は右腕の袖をひきちぎって穂村に渡した。


「骨に異常はないみたいです。これくらいなら戦える」

「それならいいが。なんなら私が魔改造してあげてもいいんだよ? 人間の体は傷つきやすい」

「…………」


 どうしてこの状況で、そんなジョークをとばせるのだろうか。それとも冗談でないのか? それだと、なおさらタチが悪い。


 龍郎は穂村を無視して、まわりをながめた。アグンの姿がない。


「英雄さんは?」

「さっき、奥に走っていったぞ」

「追いかけましょう」


 気絶している村人をよけながら奥へ急ぐ。アグンのものらしき悲鳴が聞こえてきた。近づいていくと、両親の部屋の前でつっ立っているアグンを見つけた。


「英雄さん! どうしましたか?」

「龍郎さん……」


 アグンが指さすので、棟のなかをのぞく。アグンの両親が青い粘膜で覆われている。


 右手をあげようとすると、痛みをともなった。しかし、我慢して浄化の光を放つ。アグンの両親は床に倒れた。かけよるアグンと同時に、穂村も二人のもとに行き、両目のまぶたをこじあけたり、脈を調べたりする。


「問題ない。息をしてる。ほかの村人たちの症状と同じだ。目をさませば、もとに戻る」


 龍郎はあたりを見まわした。

「プトリさんがいない」


 アグンがあわてて外へ出ていく。

 龍郎たちも追っていった。


「先生。龍郎さん。いません。プトリがどこにもいません!」


 龍郎は穂村と目を見かわした。


「英雄さん。おれたちで探してみます。あなたはご両親についていてください」


 だが、アグンの両親は混血種になっていた時間が極端に短かったのか、三人がひきかえしてきたときには、もう意識をとりもどしていた。アグンを見て、父のドゥウィは早口に何かを訴えた。日本から嫁いできたお母さんは泣きだして言葉にならない。


「龍郎さん。プトリが化け物にさらわれたと、父が言っています」

「……わかりました。急いで探します」


 が、「待ってください」と、アグンが呼びとめる。父とジャワ語で応酬する。


「龍郎さん。ナシルディンの体が青白く光っていて、プトリをつれていったと、父が」

「そうか。ナシルディンさんもティンダロスの混血種になったんだ。確証はないけど、彼の家に帰っているかもしれない。行ってみましょう」


 ほんとはアグンを残していきたかったのだが、真っ暗な夜道を穂村と二人でナシルディンの家まで行きつく自信がなかった。以前にも行ったことがあるから、昼間ならなんとかなったのだが。

 しかたなく、アグンにまた案内してもらう。


 村のなかには、まだたくさんの粘液にあやつられた村人がうろついていた。それらを浄化しながら進む。


「暗いから気をつけて。こっちです」


 車が通るくらい広い道。まっすぐ行けば、村外れの旧道へ続く二又がある。


 アグンにそう言われて、龍郎はナシルディンの家のほうへまがろうとした。が、そこで立ちどまる。


(匂いがする……)


 強烈な邪神の匂い。

 マイノグーラに違いない。


 となり村へと続く、今は使われていない山間の細道。

 そのさきに、マイノグーラがいる——

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