第69話 猟犬 その二



 青蘭がいない。

 マイノグーラにつれさられてしまった。


「先生! 穂村先生。大変だ。青蘭がさらわれた!」


 裸足でベッドをおりて穂村をゆりおこす。が、なかなか起きてこない。魂がなかに入っていないように面白いほどガクガクと首がゆれる。


 龍郎は穂村を起こすことをあきらめ、青蘭を探しに外へ出ていこうとした。青蘭の残り香がまだ室内にたゆたっている。だが、扉をあけたとたん、その香りはとだえた。

 花のようにかすかに甘い青蘭の体臭。

 おそらく、天使の放つ香りだ。

 それがドア一枚で消えた。外気にまぎれたという感じではなかった。プツリと絶えたのだ。


(違う。外に出たわけじゃない。じゃあ、いったい、どこへ?)


 青蘭の香りとマイノグーラの放つ不快な悪魔の匂いをたどっていくと、部屋の角に行きついた。壁面と壁面が直角にまじわり、天井と接するあたりだ。

 だが、そこに何かがあるわけじゃない。

 龍郎はそこに見えない扉でもないかと壁を凝視した。しかし、やはり何もない。


 うなっていると、にわかに外がさわがしくなってくる。今度はなんだというのか。

 犬だ。村のあちこちから犬の遠吠えが響きわたる。

 野生動物でも迷いでたのだろうか?

 熊か猪でも?

 それにしても、異常なくらい吠えている。


「穂村先生。起きてください。なんだか外のようすがおかしい」


 あらためてゆすり起こす。

 今度は、あっけなく目をあけた。


「うむ。そうだな。危険が迫っているぞ」

「わかるんですか?」

「わかるとも」


 穂村は青蘭のいなくなったベッドを見て、眉をしかめた。


「マイノグーラが来たんだな」

「そうです」

「マイノグーラは犬を自在にあやつれる。それは彼女がヘルハウンズの母だからだ」

「じゃあ、マイノグーラが村で新たな被害者を……?」

「おそらく」


 やはり、清美の言ったとおりだった。

 毎晩、マイノグーラは生贄を求めて村を徘徊するのだ。しかし、今夜のターゲットは青蘭ではなかったのかと、龍郎は不安に襲われた。


「さっき、夢のなかで、マイノグーラは青蘭のどこをかじってやろうかって言ったんです。あいつ、まさか青蘭を喰う気なんじゃ?」

「とにかく探すしかないな。行ってみよう」


 龍郎は急いで靴をはいた。

 夜中にトイレに行くときのために、アグンから懐中電灯を渡されていた。それを持って外へとびだす。


 庭のなかでは異変はなかった。

 ただ、街路のほうから激しく犬が吠えている。少なくとも四、五匹はいる。野犬だろうか。


 家の奥から、アグンがやってきた。


「龍郎さん。先生。何事ですか、あれは?」

「悪魔が暴れてるようです。僕と穂村先生は、今から悪魔を探しに行きます」

「私も行きます」

「それはいけません。ディンダのようになるかもしれないんですよ?」

「わかっています。でも、村のことが心配です」


 それはそうだろう。

 龍郎だって、これが親しい人たちの住む生まれ故郷で起こっていることなら、いてもたってもいられない。

 だが、青蘭がさらわれた今、自分一人で穂村とアグンを守れるだろうかと自問自答する。


 それを見透かしたように、穂村が宣言した。

「本柳くん。私は大事ない。この体にもしものことがあっても、本体があるかぎり健在だ」


 なるほど。それもそうだ。

 万一のときには、穂村を犠牲にしてでも、アグンを守ればなんとかなる。


「じゃあ、いっしょに行きましょう。危険かもしれない。英雄さんは身を守ることができるものを持っていてください」

まきを割るための手斧ちょうながありますね。あれでいいですか?」

「はい」


 アグンの父が家のなかから大きめの懐中電灯を持ってきてくれた。アグンはその懐中電灯と手斧をつかむ。

 心配そうなアグンの両親に見送られ、三人で門をくぐる。


 街路には街灯がない。星明かり、月明かりが、ほのかに闇を照らしている。

 懐中電灯の光をなげると、じゃり道に怪しい姿はなかった。

 野犬も見あたらない。


「……とくに異常はないですね」と、アグンがホッとしたようにつぶやく。


 しかし、龍郎は逆に緊張した。

 夜気に一本の糸のように漂う瘴気しょうき

 その糸が村中をうろつきまわったかのように、蛇行しながら交錯している。つまり、瘴気を残すものが、このあたりを行ったり来たりしたのだ。


「——こっちだ。瘴気が濃い」


 龍郎は瘴気の源をたどっていった。

 穂村は正体が悪魔だが、人間の体のときには魔法的な能力はないらしく、おとなしく龍郎のあとについてくる。アグンはもちろん、ふつうの一般人だ。これも黙って従う。


「……あれ? こっちに行くと、グスティの家がありますね」


 アグンが龍郎の進行方向を見て、ささやく。


「グスティ……どっかで聞いたな」

「ディンダの従姉妹です」

「ああ。清美さんが握手してない人か」


 ディンダの家のまわりにいて、マイノグーラかどうか確認がとれなかった人物だ。


 シダ類の密生するあいだにわけいっていく細い土の道がある。龍郎はそれを指さした。


「匂いはこっちからしている。もしかして、グスティさんの家はこの方角じゃないですか?」


 アグンがうなずく。

 やはり、マイノグーラはそのさきにいるようだ。まだ青蘭をかかえているかもしれない。

 ことによると、グスティがマイノグーラの化身ということも考えうる。

 龍郎は夢中で細道にふみこみ、走りだした。


(青蘭。どうか、無事でいてくれ。頼む)


 祈るような心地でかけていく。

 茂みの奥に建物が見えた。

 家のまわりに青白い火の玉がいくつも浮いている。


「龍郎さん。あれがグスティの家ですよ」


 アグンに言われるまでもなく、周囲にほかの人家はない。

 近づいていくと、家のなかから悲鳴があがった。


「青蘭——!」


 門のなかへかけこむ。

 強い邪気が充満している。

 家の造りは大きさや豪華さなどの差異はあるが、よそと同じだ。いくつかの棟にわかれた家屋と、そのあいだをつなぐ庭。


 どこかで人のわめき声や泣き声がしている。

 声のするほうに龍郎は急ぐ。

 アグンはすぐうしろを追ってくるが、穂村は息が切れるのか少し遅れた。


「ここ、グスティの部屋です」


 懐中電灯の光が淡くなったように感じたのは、その棟の電気がついているからだ。なかから複数人の泣き声が聞こえる。


 かけこむと、数人の男女がかこむベッドの上に女が倒れていた。女とわかったのは着ている衣服からだ。それに、髪の長さ。それ以外に人間らしいところは残っていなかった。

 死んでいる。茶色くひからびて、胸に黒い穴がポカポカとあいていた……。

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