第六十九話 猟犬

第69話 猟犬 その一



 ずいぶん長いあいだ、ぼんやりしていたようだ。

 気づくと穂村が一人で自分の探究について語っていた。


「あの、穂村先生。なぜ、この島に石物仮装体が集まってくるんですか? やつらの目的は?」


 穂村は熱い弁舌を中途でさえぎられてガッカリしたようすだが、すぐに持ちなおして、今度はそれについて話しだした。


「当然、やつらも六道を目指しているんだろう」

「なんのためにです?」

「時間を超えるためじゃないか? あるいはアザトースのもとへ行くためか」

「でも、マイノグーラは門がひらいたとかなんとか言ってましたが」

「マイノグーラだけは特殊な存在だ。とがった時間とまがった時間の中間にいる。彼女の目的はわからない」


 けっきょく、よくわからない。

 とにかく、あの洞窟は再度、調べてみる必要がある。


 そのとき、龍郎のスマホが鳴った。

 時刻はとっくに午前零時をすぎている。こんな時間に誰だろうと思いながらスマホを手にとると、フレデリック神父の名前が画面に浮かんでいる。


「神父から電話です。何かあったのかな」


 龍郎は電話に出た。

「本柳です。フレデリックさん。急ぎの用ですか?」


 なんとなく予感はあった。

 龍郎と神父は特別に仲がいいわけじゃない。よほどの事態でなければ、夜中に電話をかけてくるとは思えなかった。


 するとやはり、神父の緊張した声が応える。


「死体が消えた。おそらく、そっちへ向かったと考えられる。用心してくれ」

「死体? なんのことですか? というか、誰の死体なんですか?」

「ディンダだ。もう昨日になるが、野犬に殺された被害者だ。さっき警察から私のもとへ連絡が来た。明日の朝、遺族のもとへ戻すつもりだった遺体が消えたと。目撃者は死体が動いたと言っていたそうだ」


 ディンダの死体が消えた。

 それも自分で歩いたのだという。


「そんなバカな。それじゃまるでゾンビだ」

「ディンダはクトゥルフの邪神に殺されたんだ。ただの死体なわけじゃない」

「たしかに、そうですね」

「充分、注意してくれ。私も今からそっちへ向かう」

「わかりました」


 通話が切れたあと、龍郎はそのことを青蘭と穂村に伝えた。


「清美さんは大丈夫かな?」

「村の外だから平気なんじゃないの? 人狼ゲームは村のなかでだけ起こるって、清美が言ってたよ」


 青蘭は龍郎が清美の心配をしたことが気に食わなかったようだ。むくれた顔をしているので、青蘭のご機嫌をとるために、ここらで寝ることにした。


「じゃあ、今夜はもう休みましょう。話はまた明日」


 穂村は無念そうにひきさがった。

「そうだな。今のうちに休もう」


 今のうちにとは聞きずてならない。

 しかし、問いただすと、また長くなりそうな気がしたので、龍郎は青蘭の肩を抱いて、そのままベッドの上によこになった。


「た、つ、ろ、う、さん」

「なんにもしないよ?」

「な、なんで?」

「だからね。おれはシャイだから。ほかに人がいるときはしないからね?」

「……フォラスを退魔しよう」

「青蘭! 何、ロザリオにぎりしめてるんだよ」


 そんなひと騒動もあったが、いつのまにか眠っていた。


 ファンファンファン……。

 リリリ、キリキリ——

 ククゥ、クワッ、クワッ、クウクウクウ。


 眠りのなかにさまざまな音が忍びこむ。

 どれも音の源が想像できる。

 扇風機や虫の声だ。

 ウトウトしながらそれらの音を聞いていると、なんだかまわりの景色さえ見えてきそうである。


 その音のなかに、とつぜん、聞きなれないものがまじった。ジャリ、ジャリ、と土をふむような音——


 なんだろう?

 誰か来たんだろうか?

 夢見心地で、龍郎はぼんやりと考える。


 キイッ、パタンと、ドアを開閉する音がした。室内に誰か入ってきた。

 これは夢だろうか?

 夜中に断りなく入ってくるなんて、泥棒くらいのものだ。


 スススと何者かの気配が近づいてくる。甘い匂いがした。かぐわしい花の匂いだ。


「う…………」


 となりで青蘭がかすかにうめく。

 なんだか嫌がっているような響きだ。

 青蘭の身に何が起こっているのか。


 龍郎はどうにかして目をさまそうとした。だが、まぶたがのりで接着されたようにひらかない。


「せ……ら……」


 これは俗に言う金縛りではないだろうか?

 体が重い。身動きとれない。

 龍郎は必死にあがいた。

 そのあいだにも、となりで眠っているはずの青蘭の声が、だんだん苦しげになってくる。


「ふふふ……」


 とうとつに誰かの笑い声が耳元で聞こえた。

 龍郎の意識は完全に覚醒した。

 だが、意識だけだ。

 ベッドの上にとびおきたつもりだが、なぜか自分の体が半透明に透けている。


 枕元にあの女が立っていた。

 背の高いスレンダーな美女。

 瞳は青黒い不気味な液体の渦。

 マイノグーラだ。


「これが欲しいんだよ。可愛いね。どこからかじってやろうかな」


 ニッと笑うと、彼女の口のなかにはサメのようなギザギザの歯がならんでいた。

 マイノグーラは青蘭の頰をとがった爪でなでる。青蘭の白い大理石のような肌に、スッと赤い筋が走った。


「やめろッ! 青蘭にさわるな!」

「ウルっせ。おまえも見目は悪かないけどさ。可愛くないんだよ。やな匂いするし、さわると痛いし。これ、貰ってくかんな」


 マイノグーラはヒヒヒと魔法使いの老婆のような笑い声をあげ、青蘭の華奢な体を軽々かかえあげた。


 龍郎は追いすがろうとするものの、マイノグーラにつきとばされたとたん、数千里もふっとばされたような奇妙な感覚におちいった。信じられないくらい長い距離をとんだ気がする。


 ハッと目をあけたときには、ベッドの上によこたわっていた。夢を見ていたのだ。


「青蘭? 無事か?」


 とびおきて、となりをかえりみた。

 人の形に乱れたシーツは、もぬけのからになっていた。

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