第69話 猟犬 その三



 亡くなっていたのはグスティだった。

 外見だけでは誰なのかわからなかったが、身につけている服やアクセサリーが彼女のものだという。


 泣き叫ぶ家族を前にして、龍郎には何もできることがなかった。

 せめて、残った人たちが苦しまないように、瘴気を浄化しておくことくらいだ。


 警察が呼ばれたものの、すぐには到着しないようだった。

 犬の鳴き声もやんでいる。

 今夜の襲撃はもう終わったのだと理解した。


「帰ろう」


 穂村に言われて、龍郎たちはグスティの自宅を去った。たしかに、そこにいると変な疑いを受けてしまう。


 青蘭の姿はどこにもなかった。

 ディンダやグスティのように、ただ殺すためにつれ去られたのではないのかもしれない。


 アグンの家のゲストハウスまで帰ったときには、激しい疲労感に包まれた。


 犯人はグスティではなかった。

 ということは、ラマディンか、ディンダの叔母のチョコルダか……。


「青蘭を見つけないと。今から、ラマディンの家に言ってみます。あいつの昼間の態度はなんだか変だった。おれを見て逃げだしたような」


 立ちあがろうとする龍郎を、穂村がとどめる。


「青蘭なら心配いらない。今夜は休みなさい」

「でも……」

「殺された娘は二人とも自宅の近くでやられてる。つまり、その気なら、つれ去る必要はなかった。青蘭もここで殺されていた」

「まあ、そうですが……」


 喰うために拉致されたわけではないということだ。それはわずかな希望ではある。だが、それなら、なんの目的で誘拐したのか。


 穂村になだめられて、ベッドに入りかけたときだ。龍郎のスマホが鳴った。見れば、神父からだ。青蘭をさらわれたと知られれば、きっとまた嫌味を言われるだろう。


 ため息をつきながら電話に出る。


「本柳です」

「すまない。じつは、そっちに行けなくなってしまった」

「何かあったんですか?」

「何かあったのは私じゃないんだ。村の入口までは来ている。だが、道の途中からタクシーが進まなくなった」

「ガス欠とか……」


 神父が鼻先で笑うのが聞こえる。


「そんなんじゃない。道路が目に見えない何かでふさがれている」

「えっ?」

「結界だな。今、その村は結界のなかに封じられているんだ。私の力では結界をやぶれない」


 結界。悪魔や邪神が自分の内世界を作り、他者の干渉をさまたげることだ。


「マイノグーラの仕業ですね?」

「おそらく」

「じゃあ、マイノグーラを倒すことでしか結界は解けない」

「そうなるな」


 困ったことになった。

 青蘭がさらわれ、神父も村に入れない。龍郎が一人で戦わなければ。


「マイノグーラの正体がまだわからないんです。フレデリックさんは何か気づいたことがありますか?」

「むちゃを言わないでくれ。エクソシストとしての資質は君のほうが遥かに上だ。だが、電話は通じるようだから、定時で連絡をとりあおう。昼と夜中の十二時でどうだ?」

「わかりました。あの……」

「何か?」


 龍郎は言いよどんだ。が、報告しておかなければ、それはそれで嫌味を言われそうだ。


「……青蘭がマイノグーラにさらわれました」

「…………」


 神父は何も言わなかった。

 ただ深々と嘆息しただけだ。


「ソフィエレンヌさまに相談しよう」という言葉を残し、神父からの通話は切れた。


 なんだろうか。

 これはこれで、むしょうに悔しい。

 神父が組織のリーダーに相談して、こっちに来るまでに、絶対に青蘭を奪還しようと、龍郎は心に誓った。


 とにかく、その夜は休んだ。

 翌朝になって、龍郎はすぐに行動を起こした。着替えて、ラマディンの家に向かおうとしていたときだ。

 穂村と二人でアグンの自宅を出ると、すぐ外の道路に人だかりがある。

 何事かと思ってみれば、バリアンだという女だ。マデは龍郎を見ると、親の仇を見つけたような形相で、人差し指をつきつけてきた。何やらジャワ語で早口にまくしたてる。


「穂村先生。あの人、なんて言ってるんですか?」


 マデが大声でわめくと、まわりの村人たちの表情もかたくなった。不穏な空気が渦巻いている。これはマズイと直感的に悟った龍郎は、穂村に問いただす。


 穂村はうーんとうなって腕を組んだ。


「彼女はこの村が悪魔に取り憑かれたと言っている」

「それは、そのとおりですが?」

「だが、村に取り憑いた悪魔は君だと言った」

「ああ……」


 中途半端に霊感があるのだろうか?

 龍郎の苦痛の玉の力は、人の持つそれではない。だから、龍郎を悪魔だと勘違いしたのかもしれない。


「捕まえろと言っている。牢屋に入れておけと。警察に引き渡そうと、今、言った」


 穂村は淡々と通訳してくれる。

「先生。そんなこと言ってる場合ですか。逃げますよ?」

「逃げるのかね? それもよかろう」


 じりじりと迫ってくる村人たちの前からあとずさる。龍郎はすきをついて、村人たちのあいだをかけぬけた。


 穂村もなんとか、すりぬけようとする。が、動きが龍郎ほど俊敏ではないので、片手をつかまれた。

 龍郎は穂村の反対の手をひっぱっる。畑から大根でもひきぬくように、すぽんとぬけた。


「先生! 早く」

「やあやあ。助かった。本体なら今ので退魔滅却されとったな」


 ハッハッハッと笑うお気楽な穂村をつれて、龍郎はホコリっぽい道をひたすら走った。

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