第54話 轆轤の井戸 その二



 雑木林のなかへ入った龍郎たちは、神社とは反対の方角へ進んでいった。

 樹木の種類が竹に変わると、地面も平坦になってくる。

 あの庵が見えた。

 鷲尾の茶碗のコレクターだという老人が一人で住んでいる庵。


「あの人、どうしてるんだろう? 家のなかにいるのかな? こんなに近くだと、いくら家のなかでも危害が及ぶかもしれない。ちょっとだけ待って」


 そう言って、龍郎は家のなかをのぞいてみたが、今日は雨戸が閉ざされたままだ。在宅なのかどうかすらわからない。


「すいません。こんにちは。えーと……なんて名前だったっけ?」

「あっ、鷲尾が五木さんって言ってた」

「五木さん。おられますか?」


 いるのなら、しばらく遠くへ避難してもらおうと、戸を叩いてみたが、返答もない。


「留守みたいだな。それなら心配ないか。行こう」


 ふたたび歩きだす。

 ザワザワと竹林が鳴りさわいだ。

 妖しい波音のように、耳の底をくすぐる。

 酩酊感めいていかんにも似た、妙な心地よさ。

 ふわふわと夢のなかを漂うような感覚だ。


 歩き続けると、辿りついた。

 あの井戸だ。

 以前は固定されていたボルトが外され、蓋が斜めに石組みに立てかけられている。井戸の内から、黒いもやのようなものが発生し、それが空にむかって立ちのぼっていた。

 邪神の邪気だ。

 まちがいなく、ツァトゥグアはあそこにいる。


「どうしよう。あの蓋をもとに戻せばいいんだろうか?」

「それだとツァトゥグアが倒せないけど、とりあえずゲートは閉じると思う」

「そうだね」


 まだフレデリック神父が到着していない。全員そろってからのほうが有利だろう。待つあいだだけでも、あの蓋を閉ざすことができないだろうか。


 龍郎が青蘭の手をひいて、井戸端に近よろうとしたときだ。急に井戸の陰から、男が現れた。着物を着ているので、一瞬、亡者かと思った。が、よく見ると、五木老人だ。


「あっ、五木さん。こんなところにいたら危ないですよ。早く逃げて——」


 言いかけて、龍郎は気がついた。

 老人の足元に人が倒れている。

 穂村だ。

 神父の姿は見えないが、きっと穂村とはぐれたのだろう。


(なんで、穂村先生が……フレデリックさんと、はぐれたから、一人でこの場所へ来て、そこにこの人が……五木さんがいた?)


 だとしたら、穂村を襲ったのは五木だということになるのだが。


 穂村が生きているかどうかは見ただけではわからない。しかし、大量の血が流れているようすもないし、ケガをしているふうではない。失神しているだけのようだ。


「……五木、さん?」


 問いかけると、五木は肩をふるわせた。泣いているのか? いや、違う。笑っている。

 五木は肩をふるわせて哄笑こうしょうをはりあげた。


「このときを待っていた。この村が死人を生きかえらせる六道輪廻の地だと知ったとき。そして、その底に眠る神がいると知ったとき。わしは考えた。人は儚い。人の生き死には、なべて神の手の平の上。ならば、わしは人の輪から外れたものになりたいと。わしこそが輪廻を統べる。この村におれば、わしは神だ。この井戸の底におる神を自在にあやつればな」


「バカなことを。ツァトゥグアは人間があやつれるような代物じゃない。自分が何を言ってるかわかっているんですか?」


 しかし、龍郎の反駁はんばくなど聞いていない。

 五木はヒャヒャヒャといびつな笑い声をあげると、井戸のつるべにとびついた。つるべの縄に両手をかけ、ひっぱる。縄をまわした轆轤ろくろがキリキリとまわる。

 どこからか生首が飛んできて、あの歌を口ずさんだ。


「ろくろをまわせ」

「ろくろをまわせ」

「ろくろのさきに、ろくどはあるか」


 キリキリと轆轤がまわるたび、井戸の底から瘴気があふれかえる。真っ黒なタールのような闇だ。それと溶けあうように不思議な青い光も盛りあがってきた。


(なんだろう? これ? どこかで見たことがある。生命の……泉?)


 魂が生まれ、そして還っていく場所。

 根源の海。

 その息吹を龍郎は感じた。

 いつか、夢のなかで見たような気がする。あるいは生まれる前のことを記憶しているのか。

 この宇宙に生命あるものすべてに刻まれた共有記憶。

 それは母なる海だ。


 そして、理解した。

 なぜ、この村で不思議なことばかり起こるのか。この村の人たちが死んでもなお、この村につながれ、この村のなかでだけ輪廻をくりかえすのか。


 母なる海へ還る道を何者かがふさいでしまっている。

 だから、この村の死者たちは、そこからさきへ行けず、またこの村へ帰ってくるのだと。


 井戸の底の大蝦蟇——ツァトゥグアが六道をふさいでいる。


「ひゃひゃひゃ。轆轤をまわせ。轆轤をまわせ。轆轤のさきに六道はあるか? ひゃっひゃっ。ヒャァーッ!」


 縄を引いてつるべを持ちあげながら、五木はじょじょに人として壊れていく。むしろ、その精神をツァトゥグアに乗っとられ、あやつられているのは、五木のほうかもしれない。


 青蘭が厳しい表情のまま、ささやいた。


「龍郎さん。あの男から悪魔の匂いがする」

「そうだね。たしかにする」

「鷲尾の作品を集めてるってことは、あいつにも生首が見えてたってことだ。あいつも、とっくに人ではなくなっていた」


 ささやきかわす声を五木が耳に止めた。


「鷲尾? あんな若造。わしの腕には遠く及ばん。鷲尾は芸術だのなんだの言って、綺麗な首しか茶碗にしようとしなかった。それじゃ、ほんとの人間など写しとれん。無残な首、無念な首にこもる人の世の真理を解さなかった。あれじゃ、いかん。まだまだだ」


 龍郎はいびつに姿の歪んでいく老人を見つめた。


「そうか。あなたが、そうなのか。あなたが、初代陶吉なんだな? 人としては、とうの昔に死んでいるはずだ。だが、その欲望があなたを悪魔に変えた」


「もっと無残な首茶碗が作りたいもんだのう」と、陶吉は言った。

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