第五十四話 轆轤の井戸

第54話 轆轤の井戸 その一



 龍郎が青蘭を抱きおこすと、青蘭は目をさました。


「龍郎さん……」

「ケガはない?」

「大丈夫。ビリッときたから、スタンガンかな」


 青蘭は立ちあがり、千雪の遺体を見ると、何か言いかけてから口をつぐんだ。罵倒しようとして、やめたのだろう。尊大な青蘭でも、さすがに死者の尊厳は守るべきことを知っているらしい。


「青蘭。清美さんは?」

「龍郎さん、ガマガエルなげたよね?」

「うん」

「あれを探しに行った。ボクもついていこうとしたけど、そのとき、ビリッて」

「なるほど」


 ということは、清美はそのへんにいるはずだ。しかし、ショゴスに守られているし、蝦蟇仙人は清美になついている。ただの亡者に取り殺されることはないだろう。


「さきに行こう。蝦蟇仙人によれば、ツァトゥグアはまだ完全に、この世界に出現したわけじゃないらしいんだ。今のうちに不意打ちできれば」

「うん。行こう」


 龍郎は千雪の遺体に衣服をまとわせると、青蘭とならんで、さきを急いだ。

 熊吉の住居のあった山のなかではなく、村の方面へと続く道を進んでいく。


「あっ、青蘭。左手、出してごらんよ」

「こう?」

「ほら。これ」


 龍郎はポケットに入れておいたペアリングの一方をとりだすと、青蘭の指にはめた。

 青蘭は嬉しそうに指輪を目の高さにかざす。


「ありがとう。大切なもの、なくすとこだった」

「なくしても新しいの買うけど」

「ダメ。これじゃないと」

「……そうだね」


 話しているうちに、雑木林をぬけた。

 村のようすが一望できる。

 村は一変していた。

 今朝、出立したときには平和で牧歌的な村だったのに。


 渦を巻く黒雲が空から村を圧迫し、その下を無数の首が飛んでいる。

 そして、村のいたるところで、数えきれないほどの死体が土の下から続々と這いだしていた。村の人口より、亡者どものほうが、はるかに多い。

 生きている者の姿が見えないが、やはり家のなかに閉じこもっているようだ。


 そのときだった。

 龍郎は信じがたいものを見た。

 村の上空にある渦巻きの中心から伸びる竜巻が、一段と大きく発達し、地上に降りると、そこにいた亡者の群れを吸いこんだのだ。亡者は一瞬で消えた。渦巻きの中心が、どこかにつながっているのだとしたら、そのさきのどこかへ……。


 するとそのあと、黒雲の渦巻きが不気味に回転した。奇妙な紫色に光りさえする。雲がふくらんだり縮んだりして、なんだか吸いこんだ亡者を食べているかのようだ。


 青蘭が口元をひきしめ、天を仰ぐ。


「龍郎さん。クトゥルフもそうだった。やつらは召喚される前後、奉仕者を喰う。召喚のためのエネルギーを要するのか、単に嗜好しこうなのかはわからないけど。あれはツァトゥグアの降臨前の下準備だ」

「だとしたら、もしかして、亡者はヤツのための餌としてこの世に呼びだされたのか?」

「きっと、そうだ」


 つまり、亡者を喰えば喰うほど、ツァトゥグアの力になるということだ。

 一刻も早く、亡者が増殖する現状を打破しなければ、のちのちキツくなる。


「急ごう。青蘭」

「うん」


 それにしても、村の車道や農道も、どこもかしこも亡者が大移動しているので、進んでいくのに邪魔でしかたない。なぜなのか、龍郎は気づいた。亡者たちはこの村から逃げだそうとしているのだ。死んだ者にそういう感覚があるのかわからないが、この村にとどまっていれば喰われることを察しているのだろう。


 どうしても、ここでも流れに逆行していく形になる。ただ、さっきの村の出入口付近の車道ほどではない。あそこは村から出ていくための唯一の幹線道路だから、村から脱出しようとする亡者が、とくに集中していたのだ。


「あれを借りよう」


 龍郎は近くの民家の玄関先に置かれた自転車に目をつけた。しかも、電動だ。ありがたいことに鍵がかかっていない。


「青蘭。うしろに乗って」

「こう?」


 いわゆるママチャリだ。荷台に青蘭を乗せて、龍郎はペダルに足をかけた。電動アシストで、いっきに加速する。坂道を登っていくような抵抗感はあったが、徒歩より遥かに楽に進めた。


「速い。速い。龍郎さん」

「しっかり、つかまっててくれよ」


 灰色の波間を縫うように、細い農道を自転車で暴走する。

 亡者たちが邪魔で前は見えないが、道のまんなかを走っていれば障害になるものもなかった。なにしろ、住人が家のなかにこもっているので、村のなかを走る車が一台もいないのは助かる。


 つっ走っていくあいだにも、竜巻はベロベロと舌を伸ばして、亡者を渦のなかにひきずりこんでいく。何度かは家屋の屋根もつきやぶった。このままでは生きている人間も危ない。いつ、竜巻につかまれて食料にされるかわからない。


 立ちこぎの人力フルスロットルで、亡者たちをさんざん、はねとばしていった。

 やっと、山手の神社が見えた。今日も生首が飛びまわり、あの民謡らしきものを歌っていた。


「ろくろ。ろくろ。ろくろをまわせ」

「ろくろをまわせ」

「ろくろをまわせ」

「ろくろのさきにろくどはあるか」

「ろくろ。ろくろ。ろくろをまわせ」


 その歌を聞きながら、龍郎たちは自転車をおりた。雑木林のなかは整備されていないから、自転車は邪魔になる。


「行くぞ。青蘭」

「うん」


 このさきに、清美の両親を殺したアイツがいる。

 ツァトゥグア——


 決戦の時だ。

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