第53話 蝦蟇仙人 その四



 妙齢の女性の肌は、それだけで美しい。多少の体形のどうこうなんて関係ない。

 千雪の肌はその名のとおり、峰の白雪のように透きとおっている。


 だが、難があった。

 下着で隠された丸い二つの乳房の下。

 脇腹に近いあたりに、それはあった。


 龍郎が声にもならないで目をみはっていると、千雪は自分の傷をかきむしるような口調でまくしたてた。


「わかる? こんなものがある女、人間じゃないの。上辺うわべだけ見て、どんなに愛されたって、これを見れば相手の恋はさめる。結婚なんてできるはずない。一生、誰にもこんなこと知られるわけにいかない。だから、仲のいいあなたたちが羨ましかった。憎かった。殺してやりたかった。わたしと同じ化け物なのに、青蘭さんはあなたという人を得た。そんなの、ズルイじゃないッ!」


「落ちついて。千雪さん。おれはあなたを化け物だなんて思わないよ」

「あなたはね。でも……」

「ちょっと、聞かせてくれないか? あなたのそれは、いつからあった?」


「生まれたときからよ。初めのうちは、ただの赤い痣だったそう。爪か牙の刺し傷みたいな、噛みあとみたいな痣があったんだって。それが成長するにつれて大きくなって、色も茶色くなって、そのうち、変な腫れ物みたいになって……」


 ふるえる声で話していた千雪は、とつぜん甲高い声で笑いだした。狂ったような声だ。


「こいつ、鳴くのよ! 人の言葉だって話す。生きてるのよ、コイツ! わたしの体のなかで生きてるッ!」


 生きている。喋る。

 たしかに、そうなのかもしれない。

 なぜ、そんなことになったのかわからないが、それはおそらく悪魔だからだ。悪魔が千雪の体のなかに入りこみ、取り憑いている。


 千雪の脇腹には、子どもの頭部ほどもある大きな茶色いヒキガエルの頭のようなものがあった。

 蝦蟇仙人だ。

 蝦蟇仙人の頭部にそっくりな何かが、千雪の脇腹にめりこむようにひっついている。ヒクヒクと動いて口をパクパクする。


(なんで蝦蟇仙人が……蝦蟇仙人の仲間なんだろうか? 蝦蟇仙人って、そんなにたくさんいるんだろうか? 悪魔ってふつうは一体ずつ姿が違う。たくさん同じ形体をした仲間がいる悪魔なんて……)


 めまぐるしく思考をめぐらせていた龍郎は、その考えに行きあたって、ギョッとした。


「……奉仕種族だ」

「何?」

「クトゥルフの邪神や魔王に仕える下等な悪魔のことだ。あなたの体は、たぶん、アイツの奉仕種族に取り憑かれている。でも、なぜ……」

「なぜ……? そんなこと、もうどうだっていいの。こんな醜い姿のわたしなんて、生きていられない。でも、その前に——」


 千雪の声音がまた変わったので、龍郎はあわてた。千雪の手にナイフがにぎられている。


 千雪は自分が手をかけていた木の根元に片手を伸ばした。その根元に人の手が見える。千雪がその腕を持って、ひきずりだす。やはり、青蘭だ。千雪に何をされたのか、青ざめたおもてで失神している。


「やめろッ! 千雪さん!」

「死ねッ!」


 千雪のふりあげるナイフが青蘭の喉元に迫る。


 龍郎は夢中だった。

 ただ、青蘭の命を救いたかった。

 すべては無意識に行ったことだ。


 気がついたときには、龍郎はあの退魔の剣をにぎっていた。

 そして、千雪の胴に、その刃が深く食いこんでいた。ギエーッと声をあげ、千雪の腹から蝦蟇の化け物がとびだしてくる。寄生している宿主が調伏されそうになって逃げだしたのだ。


 龍郎は千雪の腹から剣をぬき、とびだした蝦蟇の背中をなぎはらった。蝦蟇は青い炎に包まれ燃えあがる。


「千雪さん!」


 見なおしたときには、千雪はあおむけに地面に倒れていた。二十センチもある大きな穴から、血や臓物があふれている。

 それでも、千雪の表情は嬉しげだった。かすかな吐息のような声でささやく。


「たつろ……さん。わたし、綺麗? 今なら、わたし……」


 龍郎は力強く、うなずいた。

「綺麗だ。とても」


 千雪は微笑み、そのまま瞳から光が消えた。

 龍郎がその目を閉じさせたとき、彼女の過去が見えた。

 夜襲を受け、仲間とともに百姓に殺された少年が、井戸になげこまれるさまが。


(そうか。千雪さんは六郎の……六花さんの生まれ変わりだったんだ)


 魂にはこんはくがあるという。人の魂はいくつかにわかれているものという道教の思想だ。

 それは心と記憶のような関係なのかもしれない。

 青蘭のなかに、アスモデウスや五歳の青蘭や、二十歳の今の青蘭が混在しているように、千雪もまた過去に二つにわかれた存在だった。

 殺された六郎の魂が六花として転生し、六花も殺されたときに、一方は六花の亡霊としてこの世に残り、もう一方が千雪として輪廻した。


 そう。だからこそ、落武者たちは女である千雪のもとを訪れた。本来は男の子の前にしか現れないはずなのに。

 千雪が六郎の魂を持っていたからだ。


(六郎があの井戸に落とされたとき、アイツが憑依したんだ。自分の体の一部を、六郎の魂に植えつけた。だから、千雪さんは……)


 龍郎の胸は義憤にたぎった。

 許せない。

 これほどに彼女が苦しまなければならない理由など、どこにもなかったはずだ。何度も何度も苦しいだけの生涯をすごし、悲惨な死にかたをする必要などなかった。


「ツァトゥグア。必ず、きさまを倒す」


 龍郎はこときれた千雪のかたわらで誓った。




 了

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