第52話 痣人神社縁起 その四



 神父の運転する車が、土をふみかためた細い私道から舗装された県道へ出ると、異変はすぐに現れた。

 車道を動物が走っている。

 狐や狸、野犬とおぼしき犬、猫、イノシシ、イタチ。はなはだしきは熊。

 何かから逃げまどうように暴走している。


「これじゃ、車道に出られないな」


 困ったようすで神父がつぶやいたが、その心配はなかった。数分もすると、動物たちはあらかた、ふもとをめざして駆け去っていった。


「さっきの鳥と同じだ。あの邪気の中心から、なるべく遠くへ逃げだそうとしてるんだ。この調子じゃ急に町なかに獣の大群がやってきて、町の人が大混乱するだろうな」


 しかし、そんなのは序の口だということに、しばらくして龍郎は気づいた。


 助手席に穂村、後部座席に龍郎、青蘭、清美。

 いつどこから野生動物がとびだしてくるかわからないので、全員で用心深く窓外をながめていたが、とつぜん、「あッ」と声をあげて、神父が急ブレーキをふみこんだ。

 あまり急だったので、青蘭のことは龍郎が抱きとめたが、清美はおでこを運転席のシートにぶつけた。


「い、痛いです。神父さん。わたしが龍郎さん派だからですか? イジワル? イジワルされましたか?」

「それどころじゃない。見ろ!」


 いつも冷静な神父が声高に叫んで、前方を指さした。

 見ると、ぞッとする光景がそのさきに待ちかまえている。


「おおッ、出たぞ。出た、出た」

 むしろ嬉しげな悲鳴を穂村があげる。

 じっさいには喜ぶ要素など微塵みじんもないのだが。


 龍郎は助手席のシートが邪魔だったので、腰を浮かしながらフロントガラスの向こうをながめた。

 まさか、こんなものを見ることになるなんて。


 車道の進行方向を亡者の群れが埋めつくしているのだ。

 男、女、老人、子ども。

 古い着物姿や、昭和風のミニスカートをはいた女もいる。かと思えば、もっといつの時代かわからないほど原始的な姿の男なども。


 そのどれもが頭から灰をかぶったように、衣服をふくめ、全身がベッタリ灰色に見える。灰のせいではなく、それが彼らの“カラー”なのだ。

 亡者の色なのだと、龍郎はひとめで理解した。


「なんだ。あれ。なんで、亡者の大群が、こんなところに……」


 たしかに、これまで亡者の集団や、邪神の下僕の群れに遭遇したことはある。しかし、それらは悪魔の作る結界のなかでのことだ。やつらが現実の世界に侵出してくることはなかった。


(結界? まさか、ここが結界のなかに?)


 龍郎には結界らしいものは今のところ感じられないのだが。


 龍郎の腕のなかで青ざめた顔色を見せていた青蘭がささやいた。


「違う。結界は悪魔の精神的な世界だ。やつらが魔術で作った、やつらの心のなかを投影した世界。でも、さっき、結界のなかに入りこんだ感覚はなかった。ここは現実。やつらは亡者のくせに、現実世界にあふれだしてる」


「なんで、そんなことが?」

「たぶん、あの瘴気の波動がかけぬけたとき、ゲートがひらいたんだと思う。六路村には異界につながる巨大なゲートがあったんだ」

「前に、M市の団地で起こったようなことが……?」

「うん。そう」


 ああッと清美が大きな声を出す。


「そういえば、ガマちゃんが言ってましたよ。六路村は六道の村なんだって」

「ろくどう?」と、青蘭が首をかしげる。仏教には詳しくないらしい。

「六道輪廻のことらしいですよぉ」

「何それ?」

「えーと……なんでしょうね?」


 六道輪廻。

 死者は生前の生きかたによって地獄で裁かれ、来世に転生する道が決まる——という仏教の考えかただ。

 輪廻転生する世界は六つあり、六界とも言う。天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道だ。このうち、天道以外はすべて苦しみの世界である。

 当然のこと、善行をほどこして死んだ者は成仏し天道へ行く。

 しかし、そこへ行きつく者は限りなく少ない。


 龍郎は清美に変わって説明した。

 話しながら、なんだか不思議な気分になる。

 天界から堕天させられ、人間に転生したアスモデウス。

 なんだか、その状態は六道輪廻の思想に似ている。

 アスモデウスにとって人間に生まれ変わることは、苦しみを受けるための罰だった。


 聖書やクトゥルフ神話が何か一つのおおもととなる宇宙の真理を表しているように、世界中の宗教や神話のなかに、そのヒントが見え隠れしているのかもしれない。神性についてつきつめると、にぶつかるのだ。人類共通の記憶とも言うべきものに。


 アスモデウスのことをぼんやりと考えていたせいだろうか?

 そのとき、龍郎は押しよせる亡者の群れのなかに、その人を見た。


 長い黒髪で顔の半分を隠した美青年——


 しかし、そんなことがあるだろうか。

 それは、どう見ても青蘭なのだ。

 美しいおもては死人の肌色をして青ざめ、紫色に静脈が浮きあがっている。まるで、ゾンビだ。でも、それは間違いなく、青蘭だった。


(なっ——青蘭?)


 龍郎は思わず、腕のなかの青蘭を見た。ちゃんと、そこにいた。車外にいる青蘭ほど髪は長くないが、瓜二つの美貌をしている。陶器のように純白の肌は、ほのかに血の色をおびて、なまめかしい。生きている。


 再度、窓外を見たときには、幻覚のような“もう一人の青蘭”は消えていた。

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