第52話 痣人神社縁起 その五



 龍郎の胸は異様にさわいだ。

 愛しい人はたったいま、自分の腕のなかにいるはずなのに、さみしげな瞳のもう一人の青蘭が、救いを求めるように龍郎を見ていた。

 あの千年の孤独に囚われたような暗い翳りは、初めて出会ったころに、青蘭に感じたものだ。あたりの景色を澄んだブルーにぬりかえてしまいそうな、深いメランコリー。


 たまらなくなって、龍郎は腕のなかの青蘭を強く抱きしめた。

 青蘭は嬉しげに龍郎の背中に手をまわしてくる。青蘭には、さっきのアレは見えなかったのか。


 しかし、それどころじゃない。

 亡者の群れが、こっちに向かって押しよせてきた。


「うわわ。来たぞ。どうするんだ? 君たちがやっつけてくれるのか?」

 穂村が泣き笑いのような声で、「ひひひ」と笑いながらわめく。


 神父は沈着だ。

「あれだけの数となると、ふつうのエクソシストじゃどうにもならないな。龍郎くんと青蘭なら、力をあわせれば、なんとか退魔できるんじゃないか?」


「バカなこと言わないでください。地獄の亡者なんですよね? こいつらを浄化したって、すぐにまたウジャウジャやってきますよ?」

「それはそうだな。じゃあ、行くか? 亡者を何人、いたところで罪にはならない」


 神父が聖職者とは思えない不謹慎な笑みを刻み、アクセルをふみこんだ。車体がまっすぐ、亡者の大群につっこんでいく。


「うわうわうわ」

「きゃあーッ!」


 穂村や清美の悲鳴を聞きながら、龍郎は無言で前方をにらんでいた。

 亡者を車で轢いたらどうなるのかわからなかったからだ。龍郎たちのように、霊体にふれることができれば、案外、ぶつかったときに、こっちにも衝撃があるんじゃないかと思った。


 まもなく、亡者の先頭と衝突する。

 スピードは時速百キロは出ていただろう。さすが高級車だけあって、性能がいい。龍郎の軽自動車では、ちょっとアクセルをふんだだけで、こんなに急発進はできない。


 やがて、ぶつかった。

 衝撃は——


(あれ……? なんとも、ない?)


 衝突の感覚はなかった。

 しかし、車は止まった。


 無意識に目を閉じていたようだ。

 龍郎が目をあけると、神父が吐息をついている。


「フレデリックさん?」

「相手は霊的な存在だから、物理的に轢くことはないみたいだ。ただし、これじゃ前に進めない」


 神父が外国人らしい大仰な手ぶりで示す窓の外を見て納得する。ガラス窓のすべてのすきまを覆うように、ビッチリと亡者の群れが自動車をかこんでいる。これでは外が見えない。カーブの多い山道を目隠し運転で前進するのは危険すぎる。


「どうしますか?」

「ここで車を降りて、戦うしかないんじゃないか?」

「ですよね」


 亡者たちは山道をくだりながら移動はしているようだ。が、数が多すぎて、車体のまわりからお化けが途絶えることがない。亡者の作る濃霧のなかにハマりこんでしまった。


「穂村先生と清美さんは、ここで待っててください。清美さんは何かあれば、ショゴスに命令して」


 そう言いすてて、龍郎はドアをあけようとした。が、そのときだ。

 ふいに龍郎は、ある気配を感じた。

 清美の家のまわりで何かに見られているような気がした。あの視線だ。


(誰か、いる? 誰かというか、これは……?)


 亡者ではない。

 もっと清澄な空気だ。

 言わば、神獣のような。

 神域と同じような侵しがたい冷気を発している。

 声が聞こえた。



 ——行きなさい。今こそ、この地にとどめられた多くの魂を救うときです。



 あッと叫んだのは、清美だ。


「おばあちゃん!」


 そうだ。この声、覚えがある。

 以前、一度だけ話を聞いた。

 そのときにはすでに、その人は魂魄こんぱくだったけれど。

 青蘭と清美の祖母、聖子だ。



 ——この地に残る、わたしのわずかな名残が、あなたがたを導きます。行きなさい。清美。そして、あなたの父母の仇を討ちなさい。



 光を帯びた一陣の風が吹いた。

 あいかわらず外には亡者が群れつどっていたが、その風が道を描きだす。それは山腹の車道をクリスマスのイルミネーションのように明るく照らしだした。


「行けるぞ! しっかりつかまってろ」


 神父の声と同時に車が猛スピードで走りだした。時速百キロどころじゃない。へたをすると、その倍近く出ているのではないだろうか? もしも、ガードレールをつっきって谷底へ落ちたら一巻の終わりだ。


 右に左にふられながら、龍郎たちはシートに体を押しつけ、歯を食いしばっていた。


 行きは一時間近くもかかった道のりが、今は半分以下の二十分ほどで、ふたたび六路村の前まで辿りついた。あの六地蔵が立つあたりだ。

 そこまで来て、しだいに光の風が薄れた。聖子の領域から離れてしまったのだ。かすれるような思念の声が、かすかに告げる。



 ——さあ、行って……今のあなたたちなら、きっと……。



 やがて、光は完全に消えた。


「しかたない。今度こそ歩いていくしかない。青蘭、清美さん」


 龍郎は声をかけたが、清美が何やら硬い表情をしている。


「清美さん?」


 すると、清美はふだんとは別人のように真剣な声をしぼりだした。


「おばあちゃん、言いましたね。父母の仇をとりなさいって。それって、つまり、アイツがいるってことですよね?」


 龍郎はハッとした。

 たしかに、そうだ。

 ここに、やつがいる。

 しかも、そう考えれば、このよこしまな瘴気の正体も説明がつく。


(アイツがいる。清美さんの家族を殺したやつ——ツァトゥグアが!)




 了

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