第52話 痣人神社縁起 その三



 骨の髄がジンジンと疼くような衝撃。

 それを感じたのは、霊力を持つ龍郎と青蘭、フレデリック神父の三人だけのようだ。龍郎たちは同時に体を硬直させたり、悲鳴をもらしたり、頭をかかえたりしたが、穂村は平然としている。


「君たち、どうしたんだね? 急にソワソワして」


 そんなふうに聞いてくる。

 つかのま答えることもできなかったが、数瞬で、その感覚はすぎた。あとには妙に背筋のゾワゾワする寒気のようなものが、残滓ざんしとして這っている。


「今の……なんだった?」

「わからないけど、嫌な感じがしたよ。龍郎さん。外、見てこよう」

「うん」


 龍郎と青蘭が立ちあがると、神父や穂村もついてきた。

 さっきの波動がなんだったのかはわからない。しかし、家の外で起こった異変であるということは直感できた。


 家屋を出ると、目を疑うような光景が待っていた。


 思わず、龍郎はつぶやいた。

「う……わ。凄い数だな。どうなってるんだ? コレ?」


 龍郎だけではない。

 みんながあっけにとられて、空を見あげる。


 こんな情景をテレビや映画ではなく、じかに見たのは生まれて初めてだ。

 空という空を鳥が覆いつくしている。それも一種類の鳥ではない。カラスもいればトンビもいる。山鳩やさぎきじのような比較的大きな鳥もいれば、スズメやムクドリのような小さな鳥もいる。

 たぶん、この周辺の鳥という鳥が、いっせいに空に舞いあがったのだ。


 穂村が言った。

「地震の前兆か? 地震のさいに生ずる電磁波を感知した野生動物が異常行動を起こすことは知られている」


「いや、違う」と断言したのはフレデリック神父だ。

「これは自然災害じゃない。青蘭と龍郎くんはさっきの身ぶるいするような波動を感じただろう? あれに似た感覚を、君たちはすでに経験しているはずだ」


 そう言われると、たしかに身に覚えがあった。あの感じ。全身が総毛立ち、漆黒の霧のなかに、ふいに落とされたように視界に歪みと薄暗さを感じる。


「……瘴気しょうきだ。それも邪神や魔王が放つ、恐ろしくいびつな異界の空気」


 神父は厳しい顔でうなずいた。

「どこかで強大な邪気が解き放たれた。だから、人間よりそういったものに敏感な動物が騒いでいるんだ。ここから、それほど遠くない」


 青蘭が白い指さきで空の一画をさししめす。

「あっちのほうだ。すごい臭気」


 龍郎は不安になった。

 青蘭の示すのは、六路村のある方角ではないだろうか?


「六路村で何かあったんじゃ?」

「かもね」と、答えたあと、青蘭は考えこんだ。


「あのね。龍郎さん。今、思いだしたんだけど」

「うん。何?」

「じつは昨日、ボクが鷲尾に捕まってるとき、あいつ、変なこと言ってたんだよね」

「なんて?」

「自分は初代陶吉の作を見て、同じものを作りたいと思ったんだって。それって、陶吉も鷲尾と同じ首狩り趣味の悪魔だったってこと……なのかも?」


 龍郎は冷や汗が浮かんでくるの感じた。


「あの村、まだ悪魔がいたのか。どんだけいるんだ?」

「わからない。けど、陶吉が悪魔だったとしても、あの強力な邪気はおかしいよ。もっと大物がひそんでる」


 そう。たとえば、クトゥルフの邪神のような……。


「それにしても、なぜ、このタイミングで瘴気が解放されたんだろう?」


 これに答えたのは、神父だ。


「行ってみるしかないんじゃないか? どっちみち、あの村の住人を見捨てることができるような君たちじゃないんだろ?」


 その言いまわしは、フレデリック神父自身は見捨てることができると言っているかのようだ。


「行きましょう。村の人たちが危険なめにあっているかもしれない」


 ついたばかりだが、しかたない。

 村人の生命にはかえられない。

 龍郎たちは即刻、折り返して六路村に帰ることに決めた。


「清美さんと穂村先生はどうしますか? 二人には危険がおよばないように、ここで待っていてもらうこともできますが」


 悪魔と戦えるのは、龍郎と青蘭とフレデリック神父だけだ。

 清美には夢巫女の力があるものの、戦闘では役に立たない。


「私は行くよ。こんな絶好の研究対象を見逃すなんてことできないじゃないか」と、穂村。


 龍郎はあきれて嘆息した。


「嘘でしょ? 穂村先生。あなたもこりない人ですね。あれほど危ないめにあったのに。前のときは、たまたま運がよかったんですよ? いつでも、あなたが助かるって保証はないんだ」

「わかっているとも。何、大丈夫。自分のことは自分で守る。ほれ、見なさい」


 穂村がポケットから出したのは、以前、M市の古代遺跡から発掘した天使の使っていた武器だ。欠けた斧の一部だが、たしかにこれは魔除けになる。低級な悪魔はこの金属の放つ清冽な空気に近づけない。


「じゃあ、まあ、先生は村の人を誘導して、危険回避させてください。あとは清美さんか。清美さんを一人、ここに残しといても大丈夫なのかな?」


 神父が首をふる。

「それはやめたほうがいいだろう。ここなら、あれの影響がないと断言はできない」

「たしかに、そうですね。清美さんは自分を守ってくれるショゴスを持ってるから、たいていのことは大丈夫だけど」


 龍郎は玄関へ走っていき、大声で清美を呼んだ。


「清美さん! 清美さん! 急いで出かけることになりました。清美さんも来てください」

「ええーッ! 今すぐですか? プリンが……プリンが……」

「プリンはあとで戻ってきたら食べますから」

「ううっ。せめて冷蔵庫に入れときたいけど、まだ粗熱が……」


 ぐずぐず言ってる清美の腕をむりやりつかんで、台所からひっぱりだす。


「荷物は出してある。今なら私の車に五人乗れるだろう」


 神父が親指で高級車をさす。


「はい。行きましょう」


 龍郎たちは全員で一台の自動車に乗りこんだ。

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