第36話 探偵のお仕事 その四
龍郎が青蘭と出会ってからの、この半年。そのあいだだけでも、いったい何回、青蘭はさらわれたことだろう。
しかも、つれさっていく相手が人間ばかりじゃない。ほとんどの場合、悪魔だ。
半月前にはルリム・シャイコースというクトゥルフの邪神に誘拐されて、龍郎は魔界にまで助けに行った。七つの存在のうち一つが失われたのは、そのときだ。
もちろん、青蘭がこんなにも悪魔を惹きよせるのには、わけがある。
青蘭の体内には、ふつうの人間にはないものがあるからだ。
快楽の玉——
賢者の石の一つだというそれは、悪魔を魅了し、快楽を与える。
だから、青蘭はつねに悪魔につけ狙われている。
なかば魔界と化したこの場所だ。
こんなところに青蘭がいれば、どうなるかは想像がつく。
「青蘭? 青蘭!」
龍郎は必死になって、青蘭を呼んだ。
返事はない。
いったい、どこへ行ってしまったのか?
あたりを見まわしていると、一階の窓のなかに、モデルのように細身の青蘭の姿があった。
「青蘭!」
叫んで、龍郎は走っていく。
あわてて、磯福もついてきた。
「待ってくれよ。龍郎。一人にするなよ」
磯福がいても、なんの役にも立たないことはわかっている。龍郎は迷ったが、もしかしたら建物のなかの間取りなどで教えてもらえることもあるかもしれないと考えなおした。
急いで、玄関からなかへ入っていく。たくさんの郵便受けがならんでいたが、チラシや新聞が乱雑にはみだし、見るからに長いあいだ、そこをさわる人がいなかったとわかる。
玄関を入ってすぐの場所なのに、蛍光灯が切れかけて点滅していた。
まだ昼だが、建物のなかは、やけに暗い。
「青蘭! どこにいるんだ? 青蘭!」
長い廊下には人影がない。
外から見て、青蘭はまんなかくらいの部屋のなかにいたようだ。
龍郎はこのあたりと思う場所まで走っていった。104号室だ。ドアを叩くが、なんの反応もない。
「磯福。ここ、住人いるのか?」
磯福は首をふった。
「そこはもう長いこと空室だ」
鍵がかかっているかと思ったが、ドアノブをまわすと簡単に開いた。不用心すぎる。
「鍵、あいてる。管理、ゆるすぎないか?」
「最後の管理人が逃げだしてから、二ヶ月以上になるから」
「…………」
とにかく、急いでなかへ入る。
六畳一間の和室だ。
半畳ほどの
トイレか浴室らしいドアが見えた。
家具はない。
たしかに無住のようだ。
しかし、ひどい。
畳がカビて真っ黒になっている。壁にも気持ち悪いシミがたくさんあった。
ここに金を出して住もうという人間はいないだろう。
龍郎は土足のまま、室内へ入った。とても靴下で歩けるような場所ではない。
勢いよく襖をあけるが、押入れのなかにも何もない。
窓の外はただの壁だ。エアコンの室外機があるだけで、不審なものはない。
「青蘭? おーい、青蘭、どこにいるんだ?」
すると、浴室らしきところから声が聞こえてきた。
「青蘭!」
キッチンのほうへ戻り、その奥にあったドアの前に立つ。すりガラスのドアだ。なかに人が立っていた。暗いせいでよくわからないが、赤い色の服を着ている。
青蘭はふだん、黒いパンツスーツを着ることが多い。しかし、今日はデートだからと言って、白地に淡いグリーンとブルーグレーのタータンチェックの生地の切り替えが入ったチュニックを着ていた。肩口に翼をひろげた青い鳥の
ガラス戸越しとは言え、赤い色が映る要素はどこにもない。
ごくりと唾を飲みこんで、龍郎はガラス戸を引きあけた。が——
「……誰もいない」
たしかに、人が立っていたはずなのに。
ユニットバスのなかは無人。
ただ、浴槽のなかが真っ赤だ。
血なまぐさいような匂いもする。
「なんだ、これ? 血のりか?」
いや、よく見ると、ただの金サビだ。水道が劣化して、サビがこびりついている。
「気のせい……か?」
いや、気のせいなどでないことはわかっている。霊たちに惑わされているのだ。
「青蘭! 青蘭、どこだ? 返事をしてくれ!」
大声で呼びかけながら、廊下へ出ていった。そのとたん、そこに立っていた誰かとぶつかりそうになって、龍郎はあわてる。
青蘭……ではない。
磯福でもない。磯福は龍郎のうしろだ。
「あんた、ここで何してるんだ? 泥棒か?」と、相手が言った。
瘦せぎすな男だ。ヒョロヒョロと背ばかり高い。着古したブカブカのトレーナーは、かなりの年季が入っている。
「あっ、穂村さん」と、背後で磯福が言った。
「龍郎。この人、さっき話した穂村さんだよ」
「ああ。同じ階の人か」
あらためて、龍郎は挨拶する。
「こんにちは。お騒がせして、すいません。彼女が誰かにつれさられて、このなかにいるんです。不審者を見かけませんでしたか? それか、おれの彼女を。彼女は西洋人みたいな美女なんです。すごく目立つんですが」
穂村は口のなかでモグモグつぶやいた。ありゃダメだよ、とかなんとか。
何か知っているのかもしれない。
「どこかで見たんですか?」
「見たよ」
「どこで?」
穂村が上階を指さしたときだ。
悲鳴が響き渡った。
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