第36話 探偵のお仕事 その二
「あのさ。磯福。じつは、青蘭はオカルト専門の探偵なんだ。おれはその助手をしてる。もしよければ、おまえの部屋、見せてくれないか?」
龍郎は友人のことが心配で、そう話をもちかけた。しかし、言ってしまってから後悔する。龍郎には先日から、ちょっと気がかりなことがあったのだ。
ちらりと隣りに座る青蘭をながめる。青蘭は澄んだ赤い色のアップルキャラメリゼティーで、同じくらい赤い唇をぬらしている。ひどく、艶かしい。でも、不安そうなようすは皆無だ。
青蘭は自分のなかの異変に気づいていないのだ。
いや、きっと、あれは魔界で起きた大事件の後遺症で、一時的に記憶が混乱していただけだ。今なら治っているに違いない。だって、ここ半月の青蘭のようすには、別段、変なところはなかった……。
龍郎は自分に言い聞かせる。
磯福の目に少し生気がよみがえった。
「えっ? ほんとに? いいのか?」
「ああ。いいよ。な? 青蘭?」
でも、青蘭はストローに息を吹きこんで、赤い液体をプクプクさせた。お行儀は悪いが、可愛い。
「ボク、龍郎さんと映画が観たい」
「えっ? 今、それ言う? 映画なら、いつでもいっしょに観れるよ?」
「龍郎さん。ボクとその人のどっちが大事なの?」
「それは、もちろん、青蘭だよ」
「じゃあ、ボクといっしょにいて」
「いやいや。悪魔退治はいっしょにいてもできるだろ?」
「そうだけど……」
目の前でくりひろげられる痴話喧嘩に、磯福は困りはてたようだ。
「あの、龍郎。いいよ。おれ、今夜は
立ちあがろうとするので、龍郎はあわてた。
あの団地にひそんでいた魔物は、かなり強力だった。まだ龍郎が怪奇な事件にかかわるようになって初期のころだったため、退治することはできなかったが、今なら簡単に滅却できるだろう。
このまま友人を帰してしまって、もしも死なれでもしたら、悔やんでも悔やみきれない。
「いや、行くよ。今すぐ、部屋のなかを見せてほしい。な? 青蘭。映画は必ず今度いっしょに観るから。おれは青蘭といっしょなら、何してても幸せだよ?」
龍郎が言いふくめると、青蘭は機嫌をなおした。
なかなかにハードなヤキモチ妬きだ。出会ったばかりのころは、とてもクールなイメージがあったが、今ではその印象は百八十度逆転している。
でも、それらは恋人の龍郎だけに見せる顔だ。
とは言え、龍郎は青蘭を妬かせたくてムチャを言ったわけではない。
ちょっと試してみたかったのだ。
青蘭に異変がないか、以前のままの青蘭なのか、実験をしてみたかった。
(悪魔を退治するって言っても、青蘭は不思議がってなかった。そこは覚えてるんだ)
やっぱり、自分の気のせいだろう。
半月前、青蘭は強力な悪魔にさらわれて、そこで七分の一の存在を殺されてしまった。龍郎や知りあいの努力で青蘭は魔界から生還することはできたが、一部の記憶がぬけおちているみたいなのだが……?
この半月は怪異に遭遇していなかった。確認する機会がなかったが、青蘭にとって、失われた部分がひじょうに重大な危険を秘めている可能性がある。できるだけ早く、正否をたしかめておきたい。
紅茶をプクプクさせる可愛いらしい青蘭をなんとかつれだして、龍郎たちは喫茶店をあとにした。
磯福の住居は、以前、龍郎が住んでいたワンルームのアパートの近くだ。場所は知っている。
軽自動車に乗りこんで、その場所へ向かいながら、龍郎は青蘭に話しかけてみた。
「青蘭は大みそかに二人でお参りしたこと覚えてる?」
「覚えてますよ。龍郎さんが女の子の霊を退散させたときでしょ? 有能な助手だなって感心してました」
それは嘘だ、と龍郎は思った。
そのころ、青蘭はまだ龍郎のことを愚民あつかいしていた。
「えーと……おれのこと、よく愚民って言ってたことは覚えてる?」
チラリと助手席を見ると、青蘭の白皙が真っ赤になっていた。覚えているらしい。
こうして見ると、失われたところなんてないみたいなのだが……。
窓外を景色が流れていく。JRの駅をすぎ、市内を二分する大橋を渡ると、いっきに風景が牧歌的に変わる。マンションや背の高いビルは影をひそめ、寺や学校が目につく。畑や田んぼも普通に広がっていた。
「見えてきた。この車、駐車場に停めてもいいかな? 磯福」
たずねると、磯福はバックミラー越しにうなずいた。それにしても顔がひきつっている。ほんとうは自宅に帰りたくないのだろう。ショッピングモールにいたことだって、きっと自分の部屋から逃げてきたのだ。人の集まるにぎやかな場所にまぎれていたかったのだと、龍郎は推測した。
のどかな風景のなかに、ぽつぽつと建つ人家。雑木林。そのさきに、横長の鉄筋コンクリートの棟が並ぶ団地が見えた。
団地の前まで到着したとき、龍郎は冷や汗が浮かんでくるのを感じた。
これは……よくない。
ひとめ見ただけでわかる。
悪魔の
禍々しい邪気が黒い渦のように団地を覆っていた。
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