第三十六話 探偵のお仕事

第36話 探偵のお仕事 その一



 心地よい風。

 青空に、ぷかぷかと羊のような雲の浮かぶ、爽やかな五月晴れの一日。


 その日、本柳もとやなぎ龍郎たつろうは、青蘭せいらと二人でM市の街なかを歩いていた。

 食料品の買い出しをかねたデートだ。

 映画館へ行ったことがないという青蘭のために、映画を観にショッピングモールに来ていた。


 おだやかで平凡な日々。

 こんな毎日が、ずっと続いてくれたらいいと思う。


 だが、そう思うやさきに、龍郎は背後から呼びとめられた。


 ショッピングモールの駐車場。

 龍郎の運転する軽自動車から、ちょうど降りてきたところだ。


「あれ? 龍郎か?」


 ふりかえると、学生時代の友人、磯福いそふくが立っていた。


 磯福の姿を見て、龍郎はギョッとした。学生時代と言っても、遠い昔のことじゃない。まだ卒業したばかりの新卒で、ほんの数ヶ月、会わなかっただけだ。


 それなのに、磯福は以前の半分ほども体重が減ったんじゃないかと思うほど痩せていた。それもダイエットに成功したという感じではない。青ざめて無精ひげを生やし、いかにも病的だ。以前はぽっちゃり系だったのに、今はこけた頰に骨が浮いている。


「磯福。どうしたんだ? ずいぶん……痩せたなぁ」

「ああ、うん……まあ」


 痩せただけじゃない。

 生気がない。

 何やら、どんよりした空気を漂わせながら、磯福はうなだれた。


 そのとき、助手席のドアがひらき、青蘭が降りてくる。


 薫風に長い前髪が、ふわりとひるがえる。

 真珠のような光沢のある純白の肌。

 面差しは完璧。

 女性のようにも男性のようにも見えるそのたたずまいは、見る者を懐古的な絵画のなかに迷いこんでしまったかのような甘酸っぱい気分にさせる。


 八重咲やえざき青蘭。

 龍郎の雇い主であり、オカルト専門の探偵であり、恋人でもある。美しすぎて、しょっちゅうさらわれるのが悩みの種だ。


「龍郎さん。お友達?」


 中古の軽から出てくるにしては、あまりにもグレードの高すぎる美形を目撃して、磯福はあぜんとしている。口をあけすぎて、そのまま、下アゴが外れてしまいそうだ。


 龍郎は自慢したいような、くすぐったいような気持ちで、友達に恋人を紹介する。


「うん。大学時代の友人だよ。磯福、こっちはおれの、えーと……彼女の青蘭」

「よろしく。磯福さん」


 青蘭が右手をさしだしたので、龍郎はちょっと心配になった。もごもご言って青蘭の白い手をにぎる磯福のおもては真っ赤だ。やっぱり、青蘭ほどの美女を見れば、誰だってこうなる。


「青蘭? あっ、じゃあ、前からウワサの彼女って、この人か。ものすごい美人だなぁ」

「えっ? 彼女なんて、おれ、前にも言ったっけ?」

「学校、早退して彼女のために帰ったろ」

「そうだったかな」


 そう言えば、以前、電話中に青蘭が殺人犯に襲われたことがあった。あのときも拉致られたんだっけなと考えて、龍郎は苦笑する。


「うん、まあ。あのときはまだ、つきあってたわけじゃないけど。ところで、磯福、買い物? おれたちは映画、見に来たんだ」


 磯福はゴチャゴチャと口のなかで何か言った。態度がおかしい。

 青蘭との楽しいデートではあるものの、友達のそんなようすを見れば、案じないわけにはいかない。

 龍郎は聞いてみた。


「なんか、悩みごとでも?」


 とたんに、磯福はすがりつくような目つきになった。


「じつは……こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど……」


 そう言って、磯福が語りだした内容が、今回の事件の発端となる。

 そのときは、まだそれとは気づいていなかったが。


「龍郎さん。喫茶店行こうよ。話、長引くなら」


 青蘭が言いながら、龍郎の腕をとって組んでくるので、とりあえずモールのなかへ行き、一階の小さな喫茶店に入った。


 昼食は食べてきたばかりだったので、龍郎はコーヒーを、青蘭はアップルキャラメリゼティーを、磯福は何も欲しくなさそうだったので、とりあえず龍郎が選んでアイスコーヒーを注文した。以前の磯福がホットよりアイスのほうが好きだったからだ。


 平日なので、熊のぬいぐるみの飾られた喫茶店のなかはすいている。一番奥の目立たないテーブルについたので、まわりに客はいなかった。


 注文が届くと、しばらくして、ぼそぼそと磯福が話しだした。アイスコーヒーには、まったく口をつけない。


「じつは……さ。部屋に、出るんだ」

「出る?」

「何がですか?」と、龍郎と青蘭の声がそろう。


 磯福の言いしぶる感じから、そうじゃないかとは、すでに感じていた。オカルト的な事件に多数かかわるようになって、いちおう、龍郎もそういうものの匂いに敏感になった。


「もしかして、幽霊か?」


 このままだと、なかなか語ってくれないと思い、龍郎はこっちから聞きだしにかかる。


 磯福はうなずく。

「信じてくれないとは思うけど、嘘じゃないんだ。前から、そんな噂はあったんだけど、春ごろから……かな? 団地でやけに変死が続いて……知ってるか? 今じゃ、呪われた団地ってネットで検索したら、うちが出るんだぞ」


「そう言えば、磯福の住んでる団地って、裏見参りの神社のあるとこだっけ」


 一瞬、磯福が青ざめ、黙りこんだ。


 やはり、あの神社の祟りだろうか?


 その神社にまつわる都市伝説を龍郎に教えてくれたのも、磯福だった。

 磯福の住む団地には、駐車場に食いこむ形で古い神社が残されている。その神社の奥にある石灯籠にロウソクを立て、裏側から覗くと、死者と話すことができる、という噂だ。ちなみに、大みそか限定なので、去年の十二月三十一日に、青蘭と二人で、おけら参りに行って、女の子の亡霊に出会った。


 あのときの女の子が、まだ団地の住人に悪さしているのだろうか?

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