第35話 朽ちる その三
「おかえり! 青蘭」
「おかえりなさい。青蘭さん!」
ようやく、我が家に青蘭が帰ってきた。
ザクロの木の下に埋まっていたとき、心拍が止まっていたから心配したが、今のところ、とくに後遺症や障害はないようだ。念のため病院に一日だけ検査入院したが、異常は見つからなかった。
龍郎の運転する車から降りると、青蘭は周囲の森の匂いを心地よさそうに吸いこんだ。
「きれいな家ですね。ボク、こういうの、わりと好きですよ。とりあえず、龍郎さんの前のワンルームのアパートよりはマシ」
新しい家は、青蘭もすっかり気に入ったらしい。ご機嫌だ。
「ほら、ここが青蘭の部屋だよ」
龍郎は掃除して飾りつけておいた部屋に、青蘭を通す。青蘭の着替えなども運んであるが、何よりも、部屋中にあふれんばかりの、ぬいぐるみ。もちろん、青蘭のお気に入りのユニコーンも置いてある。
青蘭は目を輝かせて龍郎をかえりみた。
「いいだろ?」
「うん。でも、龍郎さんの部屋は?」
「おれの部屋は、ここだよ」
言いながら、あいだの襖をあけはなつ。
部屋の割りふりを清美と相談して、龍郎は書斎に近い、床の間のある六畳間、そのとなりの続き部屋を青蘭が使うことにした。あいだの襖さえ開けておけば、いつもいっしょにいられる。龍郎は持ちものが少ないから、布団も二人ぶん、ならべて敷くことができる。さすがに、ぬいぐるみだらけの部屋で愛しあうのは、ちょっと気がひける。
清美は玄関に近い四畳半と、物置を挟んだ八畳間を寝室と大量の私物置き場に使う。
そして、台所に近い奥側の広間を、みんなのリビングルームにしようということになった。
「まわりも静かだし、素敵ですね」
「そうだね。ここなら、ゆっくりすごせるよ」
もっとも、しばらくはマスコミなどで、少しばかり近所がウルサイかもしれない。
冬真たちの死体を発見したむねを、昨日、警察には通報した。近所に以前の友達の家があると知って、訪ねていったら一家の遺体を発見してしまった、と警察には告げてある。
氏家家の家族が亡くなったのは、やはり数ヶ月前だった。なぜ、今まで誰にも見つからなかったのか、警察は首をかしげていた。まるで魔法で隠されていたかのようだと。
もちろん、今回も龍郎が真相を警察に語ることはない。言っても信じてもらえないことはわかっている。
世の中のふつうの人々は、龍郎や青蘭が経験するようなことは、この世に存在しないと信じている。
とにかく、氏家家の人たちは菩提寺の墓に葬られることになった。愛する兄と永遠に眠ることができて、きっと瑠璃も幸せだろう。
「さあ、今夜は青蘭さんが帰ってきたお祝いパーティーですよ。鍋がいいですか? 焼肉がいいですか? デザートに清美特製アップルパイも作りますね」
「清美のぶんざいで料理できるんだ?」
「あれ? 青蘭。清美さんはけっこう上手だよ。スウィーツ以外、食べたことないけど」
「ふうん?」
青蘭が不信の目で清美をながめる。
そんな仕草まで、いちいち可愛くてしかたない。とりもどせて本当によかった。
夕刻。
パーティーの支度をしているところに、訪問者があった。呼び鈴にこたえて玄関の引戸をあけると、リエルとフレデリック神父が立っていた。
「……いらっしゃい」
まあ、今回は彼らにも助けてもらった。神父には幽閉の塔の魔法媒体を壊してもらったし、二の世界でリエルが青蘭の身代わりになっていてくれなければ、今、青蘭が生きて戻れていたかどうかもわからない。
これからパーティーなんですがと言いたいところを、龍郎はグッと我慢した。
だが、龍郎の気分に反して、リエルはやけに親しげに笑いかけてくる。
「無事、ルリム・シャイコースを退治できたようだね。龍郎くん」
なんだろうか?
この先日までとのギャップは。
能面のように無表情だった金髪の美青年が、まるで、なついたばかりの子猫のようにすりよってくる。
居間の襖をあけた青蘭が、このようすを見て駆けつけてきた。子どもじみた態度で、龍郎の腕に自分の腕をからめる。龍郎をとられると思ったようだ。
リエルはジロジロと観察する目つきで、青蘭を上から下までながめた。AIで分析するように、たっぷり時間をかけて凝視したあと、ようやく口をひらく。
「今回のことは君たちへの貸しだ。よくよく覚えておいてくれたまえ。我々が要請したときに、この借りを返してほしい」
青蘭は本能的にリエルをライバルだとふんだらしい。黙って睨んでいる。
かわりに龍郎が答えた。
「いや、まあ、それはしかたないかな。借りは返さないと」
「龍郎くんはそう言ってくれると思っていたよ。君は今どき珍しいほど純粋な人だね。どうか、これからも仲よくしてくれたまえ」
「あ、ああ……うん」
青蘭とは反対側の龍郎の腕をとってくる。状況的には美女と美女のような美青年にはさまれて両手に花なのだが、むしょうに怖い。
「じゃあ、私は本部に帰るが、フレデリックを残していく。君たちは好き勝手、移動するから、せめて、いつでも連絡がつくようにしておいてほしい」
リエルは去っていった。
そう言えば、あの螺旋の巣の夢のなかで、リエルが何か妙なことを言っていた気もするが、いったい、あれはなんだったのだろう? 今となっては思いだせない。
その夜はすき焼きパーティーで盛りあがった。甘いすき焼きは青蘭の大好物だ。すき焼きの具で青蘭がとくに好きなのは、うどん。
こんな、なんでもない幸せが毎日、続いてほしい。
そう思っていたのだが……。
「ああ、うまかった。やっぱシメは雑炊だよな」
「あっ、じゃあ、わたし、コーヒーいれてきますね。清美特製アップルパイですよぉ」
広い居間には座卓が置かれ、なんだか宴会場みたいだ。もっと家族のリビングらしく、ちょっとずつ改造していかなければ。
清美が部屋を出ていくと、室内には龍郎と青蘭の二人きりだ。
龍郎は青蘭の耳元に唇をよせた。
どうしても、そのことを話しておきたかった。
「ねえ、青蘭。お願いがあるんだ」
「うん。何?」
「これからは、なるべく、アンドロマリウスを使わないようにしてほしいんだ。おれが君を守るから」
青蘭は無邪気な顔で、龍郎を見つめる。
「アンドロ……何?」
「えっ?」
龍郎は青蘭を見返した。
最初は青蘭がふざけているのかと思った。
「アンドロマリウスだよ。青蘭のなかにいる悪魔」
「なんのこと言ってるのか……わからない」
困ったような青蘭の顔を見て、嘘をついていないのだと、龍郎は知った。
アンドロマリウスが青蘭のなかから消えた?
いや、青蘭の記憶から?
ふと、思う。
一の世界で失われた青蘭は、青蘭のどの部分だったのだろうと。
目の前にいる青蘭は、完全ではないのかもしれないと……。
第四部 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます