第35話 朽ちる その二



「青蘭! 青蘭なんだろッ?」


 全速力で走っていった。が、そこにいたのは青蘭ではなかった。

 瑠璃だ。

 写真の少女が大人になった姿。四の世界で幻影のように見た、瑠璃本人だ。


「瑠璃さん……」

「ありがとう。この家にかかる魔法を解いてくれて」

「でも、君は……」

「そう。思いだした。みんな、終わったことだったの」


 すべては終わったこと。

 そこに立つ瑠璃の姿は青白く輝き、ほんのりと透けている。


 ザクロの木の根かたに、男女が倒れていた。瑠璃と冬真だ。手をにぎりしめ、二人でザクロの木にもたれている。その姿は眠っているかのように安らかだ。


「……ごめん。君と冬真が生きているうちに、助けにこられなかった」

「いいの。魔法が解けたから、わたしたちはやっと逝ける。あなたのおかげ」


 瑠璃の姿が淡くにじむ。

 となりには冬真も微笑んでいた。


 薄幸な短い生涯。

 でも、きっと二人は最期には幸福だったのだろうと思う。

 愛する人と二人で旅立っていけたのだから。


 風にゆれる花のように、儚く、その姿は消えた。


 館にかかる魔法の残り香が遠のく。

 その瞬間だ。

 落雷のような音とともに、ザクロの巨木が二つに裂けた。


 あらわになった木の内部を見て、龍郎はゾッとした。


 外から見たときは、あんなに見事な枝ぶりだったのに、なかは腐っていた。そして、空洞のなかにビッシリと白い虫が這っている。白蟻だ。木のなかは白蟻の巣になっていたのだ。


 中央の大きな空洞。

 そこから伸びる四つの部屋。

 小さな働き蟻と、少し大きな戦闘蟻。


 七つの世界が滅びるとき、真の世界が姿を現わす——


「そうか。これが……」


 これが現世での邪神の投影された姿。

 本体ではないのかもしれない。魔法でつながるための仮の姿にすぎないのかもしれないが……。


 巣の中心に、ひときわ大きな蟻がいた。ほかの蟻より数十倍も大きい。ひとめで女王とわかる。


 龍郎は女王蟻をつまみあげた。

 女王は身をくねられせて逃げだそうともがく。それを地面に捨てると、龍郎は靴の底でふみつぶした。


 ザクロの木は完全に倒壊し、見ているうちに腐食していった。


 あっけない。

 これで、すべてが終わったのか?

 真の世界もついえた。


 だが、青蘭は帰ってこない。


「……青蘭。青蘭……青蘭……」


 涙がこぼれおちる。

 龍郎は悲しみを抑えられず、こぶしで地面を打った。何度も、何度も、何度も。


 すると、倒壊したザクロの根元に、ぽかりと穴があいた。そこから人の顔が覗いている。青ざめて土をかぶっていても美しい。


「青蘭——!」


 龍郎は夢中で土を掘った。

 青蘭の体を地面からひきずりだす。


「青蘭。青蘭?」


 ペチペチと軽く頰をたたくが反応がない。


 死んでいるのだろうか?


 胸に耳を押しあてる。

 鼓動は感じられない。


「青蘭。青蘭。青蘭。お願いだ。生きてくれ。生きかえってくれよ。青蘭!」


 必死で心臓マッサージと人工呼吸をくりかえした。


「お願いだ。青蘭! おれたちは、ずっといっしょなんだろ? 死ぬときも、生きるときも」


 華奢な青蘭の肋骨が折れてしまうんじゃないかと思うほど、強く胸を押しこんだ。

 龍郎の流す涙のしずくが、ぽたぽたと青蘭の頰をぬらす。


「青蘭ァーッ!」


 号泣しながら叫んだとき、ぷはっと小さく息をつく音が聞こえた。

 ハッとして、龍郎は青蘭を見なおす。

 龍郎の手の下で、ゆっくりと鼓動がした。頰に赤みが戻ってくる。


「青蘭……」


 長い睫毛まつげがまたたく。

 宇宙の深遠のように神秘的な瑠璃色の瞳が、龍郎を見返す。


 長かった。

 このときをどれほど待ちわびたことか。


「……おかえり。青蘭」


 抱きしめると、青蘭は龍郎の胸に顔をうずめ、ささやいた。


 ただいま——と。

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