第30話 五の世界 その二



 神父はお世話係の天使が来たときに、彼らを倒して牢屋を出ると言った。

 龍郎は神父を牢に残し、幽閉の塔を脱出した。壁ぬけができると、ほんとに便利だ。


 ただ、以前は持っていたパイプがない。捕まったときに、とりあげられたようだ。あれがないと攻撃の手段がない。


(困ったな。どっかで調達できないかな)


 考えながらも、とりあえずは賢者の塔をめざしていく。

 塔と塔のあいだの鉄骨のような橋は、複雑にからみあって、まるで迷路だ。


 手すりや柱に身を隠し、巡回している天使をさけていく。途中で見つかってしまうことだけは、さけたい。最低でも、賢者の塔の媒体だけは破壊しなければ。


 時間はかかったが、慎重に移動して、賢者の塔の前まで到着した。

 ハッチの前には見張りはいない。

 案外、無防備だ。この世界では、まだ敵に襲撃されていないからだろうか。だとしたら、七つの世界のすべてで記憶や情報を共有できるのは、精神体であるドリーマーだけの持つ能力なのかもしれない。


 周囲をうかがいながら、壁をすりぬけ、賢者の塔のなかへ入っていく。王子の塔にはおもに男の囚人が、王女の塔には女王の娘がいた。ということは、賢者の塔には賢者がいるのだろうか?


 塔の内部はやはり、幽閉の塔や王女の塔と似た構造になっている。螺旋のスロープがゆるやかに続く。その内壁にそって、等間隔にドアがある。


 これまでのように誰かが囚われているのかと思ったが、違っていた。

 各部屋のなかには、理科準備室のような実験器具や薬品の置かれた棚があり、蔵書とおぼしい円盤がジュークボックスに収まるCDのように、ぎっしり収納されていた。研究室をかねた書庫のようだ。


 つまり、ここは彼らの科学を裏打ちする塔だ。彼らの知識が保管されている。


 おそらく、リエルやフレデリック神父あたりなら、喉から手が出るほど、欲しくてならない情報もあるのだろう。

 しかし、龍郎は彼らの世界のありかたより、女王を倒すことのほうに関心がある。急いで無人の部屋を出て、スロープをかけあがる。


 前方から人影がおりてきた。ハッとして、壁を通って室内に隠れる。ドアの上部にある小さな換気口から覗くと、ヘルメットをかぶった戦闘天使が二人組みで歩いていく。魔法のバトンのような、あのパイプを持っている。


 ちょうどいい。あいつらから、武器を調達しよう。


 そう思って、龍郎は再度、壁をすりぬけようとした。そのとき、背後で声がした。


「まあ、待て。龍郎。そんなに急ぐことはないだろ? 少し話していかないか?」


 独特のしわがれ声。

 龍郎は驚いて、ふりかえった。

 窓を背に、黒いシルエットが立っている。姿は見えない。だが、その声は明らかに、アンドロマリウスだ。


「なぜ、おまえが、ここに?」

「おまえも、もう気づいてるだろうが、おれは今、精神的な存在だ。あの火事のとき、クトゥグアの攻撃を退けたのでな。肉体が傷ついた。おれもアスモデウスも、だからこそ、青蘭の体内に間借りしている」


「おまえたちの事情に青蘭をまきこむのはやめろ」

「しかたないさ。青蘭はアスモデウスの魂だ。青蘭という存在こそが、仮初め。真の姿ではない」

「…………」


「もし、おまえが苦痛の玉をおれにくれるなら、おれたちは青蘭のなかから出ていってやってもいいんだぞ?」

「おまえは悪魔だ。苦痛の玉にさわることもできない」

「アスモデウスにならさわることができる。なぜなら、彼女はもともと天使だからな」

「うるさい!」


 なぜ、いつも、アンドロマリウスと話していると、こんなにもイライラするのだろう?


 いや、理由なんてわかっている。

 アンドロマリウスは青蘭をあくまでアスモデウスの一部としてしか見なしていないからだ。それが、龍郎の感情を逆なでする。


 アンドロマリウスは皮肉な含み笑いをもらした。


「おまえだって、見ただろう? アスモデウスの本来の姿を。あの神々しいまでに麗しい天使を。なぜ、青蘭をあの姿に戻してやろうと思わないんだ? それが青蘭のためだろ?」


「違う。おれが愛したのは人間の青蘭だ。アスモデウスがどれほど凄い天使だったとしても、おれには関係ない」


「ほんとに、そうかな? なんで、アスモデウスが処刑されたんだと思う? まあ、悪魔のおれと愛しあったからというのは、おれのついた嘘だよ。戦場で初めてアスモデウスを見たとき、おれはひとめで虜になった。でも、アスモデウスが見ていたのは、ほかの誰かだった。おれは彼女が地上に堕とされたとき、すぐに追ったよ。今なら彼女を手に入れられると思ったからな。でも、そのときにはもう、アスモデウスのなかには魂がなかった」


「だから……ずっと人間に化身して、カラになったアスモデウスの体を守っていたのか? そうしながら、魂が転生してくるのを待った?」

「ああ。けなげだろう? 我ながら、これほど誰かに情熱を燃やすなんて考えもしなかった」

「じゃあ、どうして、青蘭にあんなヒドイことを——」

「ヒドイ?」

「青蘭が子どものとき、絶望している心のすきまにつけこんで、むりやり契約させた上、暴行におよんだ」


 アンドロマリウスは声をあげて笑った。


「おれはおれのやりかたで、好きな相手をものにしただけだ。それの何が悪い?」

「…………」


 たしかに、責めてもしかたがない。

 アンドロマリウスは悪魔だ。

 そういう存在なのだとしか言いようがない。悪魔が悪魔であることを責めるのは、水が炎を消すことを裁こうとするのも同然だ。


「去れ。アンドロマリウス。おれはおまえの口車には乗らない」

「頑固だなぁ。龍郎。おまえ、ガブリエルと話しただろう? そろそろ、真相に気づいたんじゃないのか?」

「なんのことだ?」

「ふん。まだか。まあ、それならそれで……」


 急に、人影がグラリとゆれた。

 龍郎がかけよると、それは青蘭だった。青蘭のなかで、アンドロマリウスが眠りについたのだ。

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