第30話 五の世界 その三



「青蘭? 大丈夫?」


 抱きとめて、ささやくと、青蘭は目をあけた。龍郎を見あげて、しがみついてくる。


「龍郎さん」

「うん。一人にさせて、ごめん」

「信じてた。龍郎さんなら、きっと来てくれるって」


 青蘭の言葉が痛い。

 こんなに信頼されているのに、いまだに龍郎は一度たりと、青蘭を守りきれていない。


「青蘭。女王はおまえのなかにある快楽の玉が欲しいんだ。だから、おまえは、ここで待っててくれ。おれは今から、この塔の最上部にある魔法の媒体を壊してくる」


「いやだ。龍郎さんと離れたくない」


「青蘭。今のおまえは知らないと思うけど……ここは、とても危険なんだよ。媒体を壊すと、すごく強い戦闘天使がやってくるんだ。おれは、たぶんまた、あいつに捕まるか殺される。おまえだけでも無事でいてほしい」


「龍郎さんが死ぬなら、ボクも死ぬ」


 ああ、なんで、こんなに可愛いワガママを言ってくれるのだろう?


 龍郎は弱りはてて、青蘭を見つめる。


「青蘭。おれだって、ずっといっしょにいたいよ。おまえを現実世界につれて帰りたい。だから、今は行かないと」

「せっかく会えたのに」

「ぶじに帰ることさえできれば、もう離れないよ」

「……約束」

「うん。約束だ」


 子どもっぽい仕草で、青蘭は指きりをせがんできた。

 なんて、とろけそうに愛しいのだろうか。

 青蘭は青蘭のままでいい。アスモデウスがどれほどのものか知らないが、龍郎にとっては、今のままの青蘭が完璧だ。


「青蘭。好きだよ。必ず、いっしょに帰ろう」

「うん」


 青蘭をその場に残し、龍郎はさらに上部にむかった。

 スロープをのぼっていくと、どこからかゼンマイのような音が聞こえた。不思議に思い、龍郎は立ち止まって耳をすます。


(あの部屋からだ)


 塔のかなり上階だ。

 もう屋上へつながる扉も見えている。

 その手前の部屋から、キリキリと機械的な音がする。


 壁ぬけの要領で、顔だけつっこんで、なかを覗いてみた。

 まるで大きな時計のなかに入りこんだような機械仕掛けが室内にギッチリ詰まっていた。


 なんだかわからないが、この世界にとって重要なものであることだけは間違いない。そんな気がする。


 龍郎があたりを見まわすと、壁にスイッチのようなものが並んでいた。七つある。七つの世界を有する異界で、七つのスイッチ。この符号は気になる。


 思いきって、スイッチを切りかえてみた。せわしなく動いていた歯車やゼンマイが、ゆっくりと止まる。

 しかし、反応を待ったものの、何かが起こる気配はなかった。


(なんだったんだ? 時計みたいだったけど)


 とにかく屋上へ出ていく。

 武器がないが、女王を右手で殴ったとき、傷つけることができた。もしかしたら、媒体も肉体を持つ者なら、苦痛の玉の力で破壊することができるかもしれない。


 扉をあけると、やはり、中央あたりに台座があり、大きな赤ん坊が目を閉じたまま、ふわふわと浮かんでいた。


 昨日の子どもは女の子だった。でも、今日の赤子は男か女かわからない。まだ、胎児だからだ。赤黒い肉塊は見ただけでは、生きているのか死んでいるのかもわからない。


 悪夢に出てきそうなグロテスクな景色だなと、龍郎は思った。

 そんなことを考えている場合ではないのだが。


 なぜなら、台座の前に天使が立っている。

 サンダリンだ。バトンを手にうつむいているが、有翼の戦闘天使は彼だけだ。

 サンダリンがおもてをあげると、邪眼が龍郎を射抜く。


「待っていたぞ。星の戦士。おまえをここで討つ」


 サンダリンは翼を広げ、高く羽ばたいた。パイプを刀のように持ち、滑空してくる。どうやらパイプは銃としてだけでなく、剣としても使用できるらしい。滑空の勢いで龍郎を切り裂く心積もりのようだ。


 わかっているが、彼の邪眼ににらまれると金縛りにかかってしまう。動けない。龍郎は重力さえ感じる眼差しから逃れようと必死に抗った。


(約束したんだ。必ず青蘭とともに帰ると。負けてなんかいられない!)


 青蘭の微笑みを思うと、かすかに右手が動いた。



 ——守るのだろう? おまえの大切なものを。ならば屈するな。



 男の声が頭のなかで響く。

 ハッとした。

 その声に聞きおぼえがあった。

 以前、清美の実家が神主をつとめていた痣人あざと神社を守護していた侍の霊だ。


(そうだ。おれは約束したんだよな。おまえと。青蘭を必ず守る。そして、いつかは、痣人神社や青蘭の実家を焼き滅ぼしたクトゥグアも倒すと。だからこそ、おまえはおれに苦痛の玉の力を授けてくれた)


 あのとき受けとった玉の欠片かけらが、右手のなかで熱く疼いた。

 まるで何者かの意思の力が凝ったかのように、そこから硬質なかたまりが突きだしてくるのを、龍郎は感じた。


 刀だ。

 痣人神社の祭壇で龍郎が手にとった、古めかしい直刀。青く刀身が燃えながら、圧倒的に清冽な空気を放つ。

 それをにぎりしめると、あたり一帯の邪気が一掃された。


 龍郎は両手に直刀を持ちなおし、身構えた。


 そのときには、すでにサンダリンは目前に迫っていた。空中で龍郎の手にした刀を見て、驚愕したようだ。が、もはや二人が衝突することを回避できる距離ではない。


 固い金属音とともに、龍郎とサンダリンの武器がぶつかりあった。

 キイイイーンッと、金属のふれあう高音の響きが耳をつんざく。

 同時に重い衝撃が腕に走った。

 骨まで痺れる。


 だが、龍郎は持ちこたえた。苦痛の玉が龍郎の意思に応えている気がした。今ならなんでもできる。どこからか、無限に力が湧いてくる。


「チェストーッ!」


 それは痣人神社を守っていた侍の流派のかけ声だ。しぜんに声が出ていた。あの居合の達人が龍郎に力を貸してくれている。


 思いきり刀をふりかぶると、サンダリンは爆風にあおられたように、魔法媒体のある台座のもとまでふっとばされた。サンダリンの手にしていたパイプが真っ二つに切れている。


 そのまま、龍郎は上段でふみこんだ。サンダリンは呆然としている。


 人間の体を一撃で両断したという薬丸自顕流。

 その達人の剣技で、青く燃える神刀をふりおろすと、次元を裂くあの感覚があった。胎児の形をした魔法媒体が崩れおちる。


 やった。七つの世界にまたがる、すべての媒体を破壊した。その感触が刀に伝わった。


 それだけではない。

 龍郎の太刀筋は媒体と、その台座の前に倒れたサンダリンの体を同時に切断していた。サンダリンが咆哮をあげる。片翼がちぎれていた。血を流しながら、サンダリンは逃げ去った。


 だが、龍郎も体力を使いはたしたようだ。苦痛の玉の力は膨大すぎる。人間が使うには負荷がかかりすぎるのだ。


 龍郎はその場にくずおれた。




 了

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