第17話 空き家の怪 その六



「清美さん! 何するんだッ?」


 清美は目をギラギラ輝かせて両手をつきだしてくる。

 やっぱり、ふつうじゃない。

 まるで何かに取り憑かれているかのようだ。


 龍郎は清美の両手を手首でつかんで、攻撃をとどめる。ものすごい力だ。龍郎の力に女の細腕で拮抗きっこうしている。とがった爪が龍郎の目を狙う。


「清美さん! やめてくれ!」

「よくも……わたしは…………のに……」

「清美さん!」


 清美がまともじゃない。

 何かにあやつられている。

 このままでは目をつぶされる。

 だが、清美の腕力を押さえこめない。


 そのとき、龍郎は思いついた。

 清美はショゴスを持っている。亡くなった叔父の形見の品だ。肌身離さず御守りがわりにしているのだ。今も所持しているに違いない。


(ショゴスがおれの命令に従うか?)


 思案している猶予はない。

 龍郎は叫んだ。


「ショゴスに命ずる! 清美さんの両手足の自由を束縛しろ!」


 清美のパジャマのポケットから、ズルンと毛布のように巨大なドロドロしたものがとびだした。緑色のスライムだが、ときおり、ふとした瞬間に人形ひとがたになる。ショゴスだ。


 ショゴスはズルッと紐状にひろがると、清美の肩から下を自分の体でグルグル巻きにした。


(あれ? 言うこと聞いたぞ)


 とにかく、チャンスだ。

 龍郎は清美をそこに寝かせた。清美は何かブツブツとつぶやいている。「あれが憎い」とか、「祟ってやる」などと言っている。どうやら、清美はこの家に巣食う悪魔に取り憑かれているようだ。


「おい、おまえ。名前はなんていうんだ?」

「…………殺してやる」


 ダメだ。話にならない。会話はできない。


 懐中電灯をひろうと、清美を縁側に転がしたまま、悪魔の本体を探しまわった。

 あの音が強まっている。


 カタカタ……カタタ……カタ、カタ、カタン——!


 聴覚をとぎすまして、音源をたどっていく。

 広間のなかではない。続きの間も違う。廊下に出ると、書斎にむかうほうから音が聞こえる。


(書斎? いや、違う。もっと近い……)


 わかった。床の間だ。あの床の間のある六畳の和室から音がする。


 龍郎は勢いよくふすまをあけた。室内は無人。懐中電灯で床の間を照らすが、異変はない。床の間のとなりの違い棚も静かにほこりをかぶっているだけだ。


 だが、音はする。

 カタカタ。カタカタ。硬質なものどうしが、振動でふれあう音だ。


 龍郎は部屋中を見まわした。

 そして、奇妙なことに気づく。


 部屋のすみに意匠の美しい古い和箪笥わだんすがある。その一番下のひきだしだけ、引き手の金具が揺れている。とくに風もないし、地震が起こっているわけでもない。それなのに、一番下の金具だけが、カタカタ、カタカタ、音を立てて揺れ動いている。他のひきだしの金具は微動もしていないのに。


 龍郎が箪笥の前に立つと、金具はさらに激しく鳴った。

 なんだか、このなかから異様な気配がする……。


 思いきって、金具に手をかけた。なかのものが歓喜するような力の流動が、金具を通して感じられた。ぐッと両手に力をこめて、ひきだしをあける。


 すうっと引きだすと——


「刀だ……」


 禍々しい。

 邪気をはらんだ日本刀が一振り。

 さやをはらうと、懐中電灯の薄暗い光のなかでさえ、美しい刃文がヒヤリと冷気をまとって輝く。乱れ刃。片落かたおのようだ。備前長船景光びぜんおさふねかげみつか。あるいは、兼光かねみつ


 景光は龍郎の実家にも、先祖の遺した名刀として伝わっている。が、これは、どこか違った。

 名は知れないが、まぎれもない妖刀だ。邪悪な気が刀身からあふれて視覚化されている。


 これだ。まちがいなく、この家の怪異は、この刀のせいで起こっている。


 足音が近づいてきた。

 龍郎がふりかえると、あけっぱなしにした襖のすきまから、男が覗いていた。かみしもはかま姿の武士だ。だが、目つきがおかしい。


「お清はどこだ?」

 そう言うと、龍郎の手から妖刀を奪おうとした。


 とっさに龍郎は、右手で男の顔をつかんだ。男は叫び声をあげた。ひるんだすきに妖刀をふるう。肩から袈裟懸けさがけにふりおろすと、男の姿は消えた。


 すると、いつのまにか廊下に清美が正座していた。涙を流している。


「清美さん?」

「ありがとうございます。これで思い残すことはございません」


 廊下に頭がつくほど深くおじぎをし、清美はそのまま失神する。憑いていたものが去ったらしい。


 家のなかの気配も感じられなくなった。




 *


 翌日。

 ようすを見にきた三宮を問いつめた。

 彼が白状したところによると、ここは昔、罪人の首をはねていた武士の家だったらしい。人の首をはね続けていた男は、あるとき急に気が狂い、妻を殺して自害したのだという。


「……すいません。やっぱり、この家、買いませんよね?」

 三宮は泣きそうだ。


「買いません!」と、清美は即座に返答した。が、龍郎の考えは違う。


「なら、おれが買うよ。二百万だろ? トイレはリフォームしないとなぁ。水洗にしないと」

「えッ? 買うんですか? いいんですか?」

「ここなら三人でも暮らせるし、車も置けるし、多少さわいでも、まわりに迷惑かからないのもいいね」


 じっさいには、すでに悪魔がいなくなったから、家のなかで奇怪なことは二度と起こらないだろう。でも、それを言うと資産価値が上がってしまう。今なら、二百万。お買い得ではないかと思う。この敷地の広さなら、土地代だけでも、そのくらいはする。


「ええッ? 三人って、わたしも住むんですか?」

「いやなら、清美さんは、おれが借りてるアパートに残りなよ」

「うーん。そう言われると、さみしいような」

「じゃあ、いっしょに住もう」

「はい」


 清美は昨夜のことを覚えているのだろうか? 自分が悪魔に取り憑かれていたときのことを?


(青蘭も自分のなかに魔王を飼ってる。青蘭と清美さんは従姉妹だ。もしかしたら、憑依体質の家系なのかもしれない。たぶん、清美さんの能力は、それに関係してるんだ)


 そんなことを思案しながら、アパートに戻った。


 玄関のドアをひらくと、青蘭が布団のなかで泣いていた。帰ってきた龍郎たちを見て、青蘭はあわてふためく。しかし、ごまかしようはなかった。清美のダンボールがあれもこれも開けられて、今しもそのなかの一冊を読みながら、青蘭は涙を流しているのだ。


「……青蘭、もしかして、それが読みたくて留守番したの?」

「違いますよ……」

「じゃあ、なんで泣いてるのかな?」

「だって、ボクに似た子は、みんな最後には不幸になるんだ。死んだり、好きな人と別れたり、捨てられたり……」

「おれは捨てないよ?」

「うん」


 まったく、いつも、とびっきりにキュート。青蘭は龍郎の心を射抜く天才だ。


「さあ、おれたちの新しい家が決まったよ。ちょっとリフォームが必要だけど、静かで、いい家だ」


 引っ越しは、もう少しさきになるだろう。





 了

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