第7話 人魚 その六


「青蘭ッ?」


 あの声は青蘭だ。

 青蘭に何かあったのだろうか?

 急いで中古の軽を停めた漁業組合所の前まで戻る。


 車のまわりに人だかりがしていた。

 しかし、その姿は薄闇にまぎれて、黒いシルエットになっている。

 龍郎はなんだか違和感をおぼえた。

 シルエットの形が、どうも……あたりまえの人間に見えない。

 思わず、立ちすくんでいたが、車のドアがひらいていて、そこから青蘭がつれだされようとしていた。


「青蘭!」

「龍郎さん!」


 青蘭の声が聞こえた気がした。

 しかし、龍郎がかけよったときには、黒い影たちはひとかたまりになって、海のほうへ向かっていた。

 青蘭の姿が見あたらない。車内は無人だ。ドアがあいたままになっている。

 青蘭はさらわれてしまったのだ。


「青蘭! 青蘭!」


 あわてて、さっきの黒いヤツらを追うものの、すでに姿は見えなくなっていた。いったい、どこに消えたというのか?

 あたりに建物はない。船にも誰かの乗りこんだような気配はない。もしそうなら、まだ甲板に姿が見える。


「青蘭ー!」


 そのあと、龍郎は青蘭を探し続けた。

 しかし、すっかり日が暮れて夜になっても見つけることはできなかった。

 龍郎が途方に暮れていると、背後から声をかけられた。

「あんた、今夜、うちに泊まっていくかい?」

 ふりかえると、重松邦雄が立っていた。


「でも、つれがさらわれて……」

「その人は忌魔島につれていかれたんだと思う」

「えっ?」

「あんたのつれ、若い女だろう? ヤツらは昔から女をさらっていったんだ」

「ヤツらって?」

「人魚だよ」

「やっぱり、あの島には人魚がいるんですね?」


 重松はだまりこんだ。

 しばらくして、背中をむけると、ぼそりと告げる。

「泊まるとこないんだろ? 来な」


 歩きだすので、しかたなく、龍郎は重松についていった。

 昼間に歩いた車道のようだが、途中でわき道に入ったらしく、どこを歩いているのか見当もつかない。

 やがて、重松は一軒の家屋の前で立ちどまり、ガラガラと引戸をあけた。おどろいたことに鍵をかけていない。

 なんだか海岸沿いに敷石をされた細い道が続き、岩壁にしがみつくフジツボみたいな小さな家がならんでいた。

 重松の自宅はそのなかの一軒だ。


 入れ——と、重松は手ぶりで示す。


「じゃあ、お邪魔します……」

 とは言うものの、青蘭のことが気がかりでしかたない。

「あの、ほんとは今すぐ忌魔島に行きたいんですが」


 玄関さきでためらっていると、重松はひとあしさきに家内にあがり、電灯のスイッチを入れた。真っ暗だった家のなかが、ぼんやり明るくなる。電球が古いのかワットが低いのか、点灯しているのに薄暗く感じる。

 玄関をあがるとすぐに四畳ほどの和室があり、その奥にも和室、となりも和室。あいだの襖があけっぱなしになっているので、間取りが丸見えだ。


(うわぁ。レトロだなぁ)


 昭和初期の家に迷いこんでしまった気分だ。たしかに、これなら鍵をかけなくても、盗みに入る泥棒はいないだろう。金目のものは何もない。障子のやぶれめから、蚊や害虫くらいは入ってくるかもしれないが……。


 立ちつくしていると、重松が言った。

「今はムリだ。夜はヤツらの時間だ」

「え?」


 家のなかの惨状に目をうばわれていた龍郎は、言われている意味が一瞬わからなかった。


「なんですか?」

「夜は島には渡れんと言ったんだ。朝になったらつれていってやる」

「ほんとですかッ?」

「ああ」

「ありがとうございます!」


 よかった。これで青蘭を助けに行ける。心ははやるが、青蘭はああ見えて、こういった事件には慣れている。きっと……きっと、龍郎が行くまで自力でどうにかピンチを乗り越えてくれるはず……。


 そう自分に言い聞かせた。


 重松の出してくれた質素な茶漬けで、ぼそぼそと夕飯をすまし、玄関のとなりの和室に布団を敷いてもらった。

 そこはおそらく、重松の死んだ息子の部屋だったのだろう。箱に入ったままのランドセルが新品の机の上に置かれていた。小学校へあがる前に亡くなったということか。


 明日のためにも早く寝ようとするが、なかなか寝られない。

 青蘭のことが心配だ。近すぎる潮騒も睡眠をさまたげる。


 気晴らしに障子をあけると、縁側になっていた。眼下に大海原が一望できる。月の光が銀色に海を照らしている。

 昼間とは別の美しさだ。幻想的で、この世とは異なる世界へ通じているかのようだ。

 どこか物悲しい景色だが、ながめていると心が落ちついた。

 どのくらいのあいだ見つめていたのかわからない。


 ふと、濃紺と黒と銀の絶妙にブレンドされた海面に、ぽつりと立ちあがる杭のようなものが目についた。

 さっきまで、あんなものがあっただろうか? 記憶にない。


 よく見れば、杭のような黒く細長い影は、水面のあちこちに見える。一直線にならんでいた。


(あれ? 動いてないか?)


 杭のようなものは海面をすべるように、じりじりと移動している。


 それに、気のせいかもしれないが、その形状は棒きれのようにまっすぐではなかった。先端が丸く、マッチ棒のようなくびれがあって……そう。人の形に見える。


 海の上を大勢の人間が等間隔にならび、一直線に歩いている——

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