第7話 人魚 その七


 島だ。

 あの島をめざしているのだ。

 夜の海をすべるように歩きながら、人々は忌魔島へ向かっている。



 魂の葬列——



 そのとき、ふと、そんな言葉が龍郎の脳裏に浮かんだ。


 すると、いつのまにか、となりに少年がすわっていた。縁側に腰かけて足をブラブラさせながら、海を見つめている。


「ねえ、知ってる? ぼくのお母さんはね。ほんとは人魚だったんだ」と、とうとつに龍郎のほうを向いて、少年は言った。

 五歳か六歳くらいの少年。

 どことなくだが、重松邦雄に似た面差しである。


「君は、重松さんの息子さん?」

「うん。ぼく、はるみ。春の海って書いて、はるみなんだって。学校に行けなかったから、自分じゃ書けないけど」


 これは春海の霊だろうか?

 それとも、また夢でも見ているのか?


「春海くん。君は死んだって村の人に聞いたけど」

「ぼく死んだの? よくわかんない」

「病気だったんだって?」

「病気は治ったよ。前に村で流行ったやつだよね? お母さんがね。これを飲みなさいって、お薬をくれたんだ。そしたら治ったよ」

「お母さんが?」


 なんだか聞いた話と違う。

 老婆に聞いた話では、病に倒れた息子に、神域の地でとれた魚を邦雄が食べさせたということだったのだが。

 それでも治らず死んだ、と、あの老婆は話していた。


「ほんとにお母さんがお薬をくれたのかい?」

「うん。トマトジュースみたいなお薬。変な味がしたよ。でもそのせいで、お母さんが村の人に……」

「村の人に?」


 春海は急に悲しげな顔になって、だまりこんだ。


「お母さんが村の人に何かされたの? 教えてくれないかな? 春海くん」

 春海は涙の浮かぶ目で龍郎をあおぎみる。

「お母さんは人魚なんだ。だからね。人魚の肉はお薬になるんだって」

「えッ……?」


 たしかに人魚は古来より不老不死だと言われる。日本では八尾比丘尼の伝承などが有名だ。

 地域によってはその人魚の神秘的な力を、肉を食うことによって薬として体内にとりこむという言い伝えもあるかもしれない。

 しかし、人魚なんて、この世にいない。すべては、ただの空想の話だ——と、ちょっと前までの龍郎なら考えていたのだが……。


(重松さんは忌魔島に人魚がいると言っていた。あの島の住人を見たことがあるってことだ。もしも、その住人というのが、春海くんのお母さんのことだとしたら?)


 推測だが、おそらく、重松は忌魔島の周辺で、春海の母となる者に出会った。それが人ではないことを知りながら結婚した。そして、両者のあいだに春海が生まれた。

 春海が病気になったとき、母となった人魚は自分の血肉を薬として息子にあたえた。息子は回復した。が、それによって彼女が人魚だと、村人に知られてしまったのではないだろうか?


(しかも、そのとき、村では病気が流行してたらしい。春海くんの病気も、そのせいだった。つまり、村中の人が春海くんと同じ症状に苦しんでいた……)


 そんなときに少年が一人だけ快気すれば、村人はなんと思うだろう?

 自分や自分の家族が苦しんでいれば、春海が助かった“薬”が欲しいと考えるのではないだろうか?



 ——病気は治ったよ。お母さんがね。薬をくれたから。そのせいで、お母さんは村の人に……。



 そうだ。まちがいない。

 春海の母は村の人たちに殺されたのだ。その血肉は薬として喰われた。

 そこまで考えて、龍郎はハッと思いあたった。すべての謎が一本の線上につながった。


(魚じゃないんだ! あのとき、おばあさんは魚を食べた人たちに何かが起こったと言ったけど、魚なんかじゃない。彼らは人魚の肉を喰った。だから……)


 きっと病気は治ったのだろう。だが、村人の身に予想もしていなかった災厄がふりかかったのだ。

 それは人体が変化するような、何か。

 昼間、龍郎が見た鱗の生えた人間の腕。あれは見まちがいなどではなかった。たしかに、そういう“もの”に、彼らはなってしまったのだ。


 思えば、“魚”を食うと鱗が生えてくると言った青蘭の言葉も、ただのジョークではなかったのかもしれない。

 悪魔の匂いがわかる青蘭には、この村で起こっていることのすべてが、あのとき、すでに理解できていたのだろう。


(あの島に行かないと——)


 青蘭に危険が迫っている。

 そんな気がする。


 龍郎が歯をくいしばって、はやる心を抑えていると、春海が立ちあがった。

 半ズボンからのぞいた足を見て、龍郎はすくんだ。キラリと足の表面が月光を反射する。鱗……に見えた。


「ぼく、もう行かないと。おにいちゃん。お父さんに言っといてね。ぼく、お父さんのとこに帰れないけど、元気だよって」

「待ってくれ。君は——」


 ひきとめようとしたときには、少年は縁側からとびおりていた。

 彼方の海へ。


 まもなく、島へ向かう葬列のような人影の最後尾に、ひときわ小さな子どもの姿がくわわった。


 あれは死者の魂ではない。

 人魚の肉を食べて、みずからも人魚になってしまった者たちが、夜になると以前の自分を偲びにくるのだ。

 もとの家族をひとめでも見ようと、そっと訪ねてくる。




 *


 翌朝、龍郎は真夜中にあったことを重松に伝えた。

 重松は顔をそらしたが、その目には涙が光ったように見えた。





 了

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