第7話 人魚 その五
急速に日が傾きつつあった。
高台からながめる海の夕日はかくべつの美しさだ。オレンジ色に輝く落日が海面を黄金色に染めあげ、夕凪のさざ波が金粉のようにキラキラときらめく。空も海も茜色に燃えている。
急にそのことに気づいたように、青蘭は海側から山側に移って、龍郎の体の影に入った。
ばかりか、きゅッと、龍郎の袖をつかんでくるではないか。
まったく、可愛いのはどっちだと、龍郎はドキドキしながら思う。
(やっぱり、あの火事を思いだすような情景は苦手なんだな。かわいそうに)
あやうく、青蘭の肩を抱きよせようとしかけて、龍郎は我に返る。
(いかん。いかん。雇い主に何しようとしてるんだ? おれ?)
ようやく港が見えてきた。
やはり、漁港には一人も人影が見えない。老婆が言っていたとおり、この村にはもう漁師らしい漁師はほとんどいないのだろう。
「ここで、重松さんが帰ってくるのを待とうか?」
漁港の入口で龍郎が声をかけると、青蘭はだまって自動車のなかに入った。
よほど気分が悪いらしい。
龍郎は一人で波止場まで歩いていった。
遠くに見えるクジラの形をした島が、夕焼けのなかで黒々と浮きたち、存在感をいやがうえにも増していた。
やがて、海面をすべるように一艘のボートが近づいてくる。
(あれか)
今から島まで運んでくれと言っても、たぶん夜は断られるだろう。
それに、龍郎自身も禁忌の島に夜間、侵入するのは勇気がいる。
じっさいに島に渡るのは明日以降になりそうだ。
港へ近づいてくる船をなにげなく見ていると……。
目の錯覚だろうか?
落日があまりにもまぶしくて、陽炎でも見えているのだろうか?
エンジン音を響かせながら水面を走る漁船のあとを、黒っぽい筋のようなものがついてくる。
一瞬、それは人の形のように見えた。
だが、おどろいて見なおしたときには、黒くゆらめくような影は消えていた。
(ハレーション……かな? 陽炎とか? 夕日がまぶしすぎたから)
背中はゾクゾクするのだが、龍郎はそう思いこもうとした。自分が“見える”人だという事実を、まだ受け入れられない。
港に入ってきた船には、五十代くらいの男が一人乗っていた。もしかしたら、実年齢はもっと若いのかもしれないが、とにかく苦渋に満ちた顔に刻まれたしわが深い。このところの心労のせいではないかと見受けられた。
龍郎は船を波止場にもやる男に声をかけた。
「こんにちは。重松邦雄さんですか?」
男は素早くふりかえるのだが、その目つきはまるで大口あけて噛みつこうとする瞬間のライオンのようで、思わず龍郎はあとずさる。
「えーと……」
「なんだ、おまえは?」
「重松さんですよね?」
「だったらなんだ!」
一言ずつ怒鳴るように返答してくるので、男の龍郎でも怖い。女性なら即行、逃げだしているところだ。
「あの、すみません。この村で今でも船を出しているのが重松さんだけだと聞いたので、じつはお願いがあるんです。お礼はしますので、忌魔島まで送迎してもらえませんか? できれば行きと帰り、両方、お願いしたいんですが」
絶対、「何ぬかしてやがる、てめぇ! さっさと失せろ!」と、どやされると思ったのに、答えは違った。
「……おまえ、あの島のヤツらか?」
「えっ?」
「あの島から来たのかって聞いてるんだ」
「いえ、違いますけど」
龍郎は、ふと思った。
「あの、もしかして重松さんは、あの島に上陸したことがあるんですか?」
さっき、龍郎のことを“あの島のヤツらか”と聞いてきた。ということは、重松は忌魔島の住人を見たことがあるということだ。
「重松さんは、息子さんがご病気のときに、あの島へ行って魚をとってきたそうですね? もしや、そのときに住人のようすを見たんですか? というか、あの島に人が住んでいるんですね?」
重松は、じっとりと龍郎をにらむ。
「知らん」
返ってきたのは、そっけない答えだ。だが、知らないわけではない。知っているが隠しているのだと、その硬質な態度が告げていた。
さて、どうやって口を割らせようか……と考えていたときだ。
どこかで悲鳴が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます