第7話 人魚 その四
この村の異様なふんいきの元凶が何かわかるのではないかと期待した。
しかし、老婆は入れ歯のかみあわせをたしかめるかのように、しばらく口をふがふがするばかりだった。
「あの、食べると、どうなるんですか?」
問いただしても、返事はない。
やがて、老婆は言った。
「この村は、もうおしまいじゃ。悪いことは言わん。おまえさんも早く逃げるんじゃ」
「いや、でも、そうは言っても兄のことがあるので、義姉の行方を知りたいんですよ」
すると老婆は、ふがふがと笑う。
「おまえさん、今どきの若いもんにしては、なかなか見どころがあるのう。まっすぐで、いい目をしとる」
「ありがとうございます!」
「あの女が来たのは、この村がこんなふうになる少し前じゃったかのう。ふらりとどこからかやってきて、漁港で働いとったがの。そのうち、夜中に海岸で泳いどっただの、そのとき女のまわりに大きなイカだかタコだかの足がウヨウヨしとっただの、変なウワサが立ってな。町から男が視察に来たときについていったんじゃよ。あれがおまえさんの兄さんじゃったかな?」
「はい。たぶん。義姉がどこから来たのか、わかりませんか? ウワサでもかまいません」
「あの島から泳いできたんじゃと言う者もおったのう。月の明るい晩に漁をしとったら、島のほうから波が立った。女が裸で泳いでいたとか」
その光景を想像して、龍郎はゾッとした。繭子のあの触手。やはり、あれは海の魔物なのだ。
「島……あのクジラ島ですね?」
龍郎がたずねると、老婆は言った。
「いんま島じゃ」
「いんま、ですか?」
「ご神域じゃからの。魔を忌むと書いて、
龍郎は言いにくい名前だなぁと考えていた。ちょっと舌をかみそうだと。
しかし、青蘭は何やら難しい顔になって、小首をかしげている。
「いんま……か」と、気がかりげにつぶやきすらした。
しばらくして、青蘭はこう言いだした。
「あの島へ渡ることはできないか?」
行くつもりらしい。
青蘭には神域とか禁忌なんて関係ないのだろう。
龍郎もふだんだったら気にするが、今はそこに繭子の手がかりがあるのかもしれないと思えば、行かざるを得ない。
どう見てもフェリーなんて運航していなさそうだ。漁船を雇って島まで行ってもらうしかないだろう。
問題は禁忌の島へ行ってくれる漁師がいるかどうかだ。
老婆は龍郎と青蘭を等分にながめていた。龍郎が何度もうなずくと、ようやく口をひらく。
「島に残っとる漁師は一人しかおらんよ。みんな、死んだ。あとの者は村から出ていった。この村は呪われとるんじゃ。呪いにやられる前に、まともな者たちは、みんな逃げだした」
気持ちが高ぶったのか、何かに取り憑かれたように口早にまくしたてる老婆を、青蘭が端的な言葉でさえぎる。
「残った一人は、誰だ?」
「重松んとこの邦雄じゃよ」
「
「さっき話した男じゃ。村に災厄を持ちこんだのは重松じゃ。女房を亡くしてから、ちょっとおかしくなってのう。毎日、海に出ては女房の死体を探しに船を出すんじゃ」
女房……船……漁……なんだか、気になるワードが立て続けに出てきた。
つい最近、それらをどこかで耳にした。胸の裏側をさわさわと繊毛でなでられたような感触をおぼえた。
青蘭はその感覚を味わっているのかどうか知らないが、平然として老婆に問う。
「重松はどこにいる?」
「今の時間じゃ海に出とるじゃろう。日が暮れたら港に帰ってくる」
「港だな」
青蘭は礼も言わずに港の方角へ歩きだす。あいかわらずの選民主義全開だ。
龍郎はかわりに、コメツキバッタ並みにペコペコしておいた。
「ありがとう。おばあさん。お元気で」
「わしはもういいんじゃよ。この年じゃでなあ。充分、生きたわい」
龍郎は一礼して、青蘭のあとを追った。
「待ってくれよ。青蘭。そんなに急がなくてもいいだろ?」
「もうすぐ日没だ。日が暮れれば帰ってくる」
龍郎は急ぎ足の青蘭にならんで歩きながら、気になっていることを切りだした。
「なあ、ここに来る前に立ちよった喫茶店」
「ああ」
「あそこに女の客がいただろ?」
「うん」
「あの人が下の岩場で網をなげてる男のことを、自分の夫だと言ってたよな?」
くすりと、青蘭は笑った。
おバカさんですねと言ってるも同然の目つきで、龍郎を見あげてくる。
そのまま、下を向いてクスクス笑っているので、龍郎は落ちつかない。
「な、何?」
「いいえ。やっぱり可愛いなぁって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます