第五話 玻璃鏡

第5話 玻璃鏡 その一

https://kakuyomu.jp/users/kaoru-todo/news/16816700429534072055挿絵



 師も走る師走。

 とつぜん、アパートの窓が全開になった。昨夜、義姉に割られてしまったからだ。ダンボールをあてがって応急処理をしたものの、そのくらいではM市の寒風はふせげない。小泉八雲に永住を断念させたほどの寒さなのだ。今年はまだ積雪こそないが、いつ降りだしてもおかしくない。


「ボクを凍死させるつもりでないなら、今すぐコレ、なんとかして」


 すきま風に身をふるわせ、コートの前をかきあわせながら、青蘭がガラスの粉々にくだけた窓枠を指さして命じてくる。


「じゃないと、あなたはクビです」

「いや、その……わかった」


 寒いのならホテルに行けばいいのにと思ったが、とりあえず、このままクビになっては困るので、龍郎はアパートに置きっぱなしの電話帳を調べた。前の住人が残していったものだが、あると意外と便利なときがある。


 電話帳に修繕専門の工務店が載っていた。住所を見ると、わりに近所だ。電話をかけると、さっそく来てくれるという。


「よかった。すぐ来るって」

「そう。当然です」


 昨夜はベッドのなかで幼いころのツライ記憶に涙を流していたくせに、やっぱり昼間になると傲岸ごうがんな態度を見せる。青蘭はほんとに複雑な人間だ。どっちがほんとの顔なんだろうか? 龍郎には、わからない。


「じゃあさ。コーヒーでも飲む? インスタントだけど」

「…………飲みます」


 かなり長い間をとってからの返事だった。コーヒーがインスタントだなんて考えられない、とか思ったのかもしれない。


 コートを着た人間が二人でコタツにあたり、コーヒーをすするというシュールな絵面のなか、工務店の店員はやってきた。


「こんにちは。各務かがみ工務店です。お電話いただいた本柳さんですよね?」


 作業着を着た三十代と二十代の男がバディを組んできて、やぶれた窓を見て、おおげさに嘆息した。


「これはまた、派手にやりましたね。窓枠ごと、とりかえたほうがいいですよ」

「えっ? そうですか? ガラスだけとりかえるわけにはいかないですか? 借家だから勝手にリフォームするわけにいかないんですが」

「この型のガラス、今じゃ規格外なんですよね。とりよせてたら、年末までかかりますよ?」

「それは、ちょっと困るな。せめて三日で直りませんか?」

「ムリですねぇ。早くても二週間」

「そこをなんとか、一週間で」


 すると、急に三十代の男が「あッ」と言ったあと、つかのま黙考する。

 やがて、

「いいですよ。明日まで待ってもらえたら、ちょうどいいガラスを持ってきます。そのかわり料金は割り増しになりますが、かまいませんか?」

「いくらです?」

「工賃も含めて三万円ほど」

「まあ、そのくらいなら、お願いします」


 というわけで、この日は軽蔑の眼差しをなげてくる青蘭を説得して、ホテルに泊まった。


 翌日、家に帰ると、約束の時間に工務店の男がやってきた。今度は先輩のほうが一人だ。預けておいた窓枠には、しっかり新しいガラスがハマっている。窓枠をとりつけると元どおりだ。


「助かりました。ありがとうございます」

「はいはい。じゃあ、これが請求書ね」

「今、支払います」


 現金を用意しておいたので、その場で手渡し、領収書を受けとった。

 これで、ようやく寒さをしのげる。


「よかったな。青蘭。ていうか、なんでついてきたの? ホテル暮らしでいいじゃないか」

「君は義理の姉に狙われている。一人にしておくと、また来る可能性が高いが、それでもいいのか?」

「なんだ。おれのこと気づかってくれてたのか。ありがとう」


 礼を言うと、青蘭はちょっと頰を赤らめて顔をそらした。まさかと思うが、照れているのだろうか。もしそうなら嬉しいのだが。


「じゃあ、今日は体があったまるように鍋にしよう。青蘭は何鍋が好き?」

「すごく甘ったるいすき焼き? それか、ものすごく辛いチゲ鍋?」


 どっちもごめんだと、龍郎は心のなかでつぶやいた。


「わかった。あいだをとって豆乳鍋にしよう」

「……まあ、いいよ」

「なら、買い物に行ってくる」


 龍郎は工務店の人から貰ったお釣りを財布に入れて、外に出た。

 アパートは二階建てだが、龍郎の部屋は一階。二階は以前、孤独死があったらしく、長いこと空室になっている。もちろん、遺体が見つかったあと、室内はきれいにクリーニングされ、内装も変えられたらしいのだが。


 近くのスーパーまで買い物に行って、帰ってきたとき、龍郎は自分の部屋の窓を見て、ギョッとした。老人が部屋のなかから、こっちをながめている。まさか、青蘭が勝手に室内にあがらせたのだろうか?


「青蘭!」


 あわてて玄関の鍵をあけて室内にとびこむと、青蘭はコタツで丸くなっていた。猫みたいにコタツ布団に首まで入りこんでいる。よっぽど寒がりなのだろう。


「あれ? 今、ここに誰かいなかった?」

「ボクがいましたけど?」

「いや、この場合、もちろん、青蘭以外にって意味だよ」

「いませんよ」


 たしかに、いない。

 では、あれは見間違いだったのだろうか?

 白髪の老人が立っていたように見えたのだが……。

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