第3話 古時計 その六
*
つかのま意識が遠のいていた。
目をあけると、そこは離れだった。ただし、現実の離れだと、本能的に悟った。見えるものは同じだが、空気感が違う。
「……なんで? 何が起こったんだ?」
頭を押さえて、龍郎は半身を起こす。
となりを見ると、青蘭も「うーん」と可愛い声を出して起きてくる。
「君が助けてくれたのか? せ……八重咲」
たずねると、青蘭はひじょうに怪訝そうな顔つきで、龍郎を凝視した。美しい瞳で見つめられて、視線が眼球の奥に食いこんできそうだ。ものすごい圧を感じる。
「あの……?」
やがて、ぼそりと低い声で言いすてる。
「ボクじゃない」
「え?」
「君が自分でしたことだ」
「おれが? 何を?」
「……君は、無効化の魔術が使えるのか?」
龍郎は笑った。
青蘭が冗談を言っていると思ったのだ。
「そんなわけないだろ? おれは魔術師でも手品師でもないよ」
「…………」
青蘭の視線がそれないので、いいかげん居心地が悪くなってきた。そわそわする龍郎の手を、とつぜん、青蘭がにぎった。何か言いたげな物憂い瞳で、龍郎の双眸をのぞきこんでくる。
「えーと……八重咲?」
「青蘭でいいよ」
「さっきは青蘭呼ばわりされる覚えはないって——」
「イヤなら、けっこう」
「イヤなわけじゃない」
「素直に嬉しいと言いたまえ」
まったく、コイツにはかなわないなぁと思う。
でも、それも悪くない。
ちょっぴり傲岸に微笑した青蘭は、とても魅惑的だったから。
龍郎は照れかくしに顔をそらした。
そして、あらためて室内の惨状に気づいた。
壁の一面が真っ赤になっていた。
柱時計のふたが中途半端にひらき、そこから腕が一本とびだしている。幻のような魔術の世界で見た獣の腕……ではなかった。苦悶を体現するようにこわばっているが、女の腕である。その柱時計から大量の血がしたたり落ちて壁づたいに流れている。
なかをのぞくと、史織が柱時計のなかで絶命していた。
こときれていることは確認する必要がない。
なにしろ、一メートルほどの細長い時計のなかに、史織の体はムリヤリ押しこめられ、全身が不自然な形に歪み、ひしゃげていたからだ。もともとの半分ほどのサイズに圧縮されている。
「この女が時計のゼンマイをまわしたんだ。ボクたちが離れから出ていったとき、誰かが入れかわりで入っていった。あれが、この女だったんだ。彼女はこの家の跡取りと結婚するか、そうでなければ後を継ぐ者が全員いなくなってほしいと思っていた。もちろん、財産を自分のものにするために。君がなびかないから、消えてほしいと願ったようだな」と、青蘭が説明した。
思いだした。
なぜ、龍郎が時計のゼンマイのことを知っていたのかを。
子どものころ、動かしてはいけないと言われていた時計のゼンマイをイタズラで巻いたのは、史織だった。龍郎は止めたのだが、史織は龍郎の言うことなど聞かなかった。
そのあとすぐに、叔父が昏睡状態になった。
「彼は死にたがっていたから、心をはざまの世界に囚われてしまったんだな。そして、彼の生命エネルギーがヤツの魔力の供給源になっていた。ヤツはこの時計の生みだす“時”のなかにひそんでいる。時計の針が動いているときだけ魔術が発動する」
そう言って、青蘭はスーツの内ポケットから何かをとりだした。銀色の十字架のように見えた。それを勢いよくふりあげ、青蘭は古時計の文字盤につきたてた。
悲鳴があがった。
古時計から真っ黒なタールのような血が噴出する。真っ赤な血を真っ黒な血が塗りつぶした。
その瞬間、人形のように眠る叔父の髪がいっきに白くなった。止まっていた叔父の時間が動きだしたのだ。
そのまま叔父は帰らぬ人となった。
了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます