第3話 古時計 その四


 考えていると、ガタンと音がした。

 ビクッと龍郎はとびあがる。

 音は棺おけのなかから聞こえた。


(な、なんで棺おけから?)


 棺おけはカラのはずだ。いや、もしも遺体が入っていたとしてもだ。遺体が音を立てることなどない。


 ほんとはイヤだが、確認しないのも気になってしょうがない。

 龍郎は覚悟を決めた。

 柩のふたに手をかける。ちょうど顔のところに小窓がついていて、故人の死に顔をながめることができるのだが、その小窓の留め金を外し、ゆっくりと持ちあげる。


(なかはカラ。なかはカラ。なかはカラ)


 呪文のように唱えながら、小窓をあけていく。その間、無意識に目をとじていた。小窓をあけきったところで、ふうっと深呼吸をつくと、龍郎は思いきって目をあけた。


 そして——


「わあーッ!」


 叫び声をあげて尻もちをついた。

 棺おけのなかに人がよこたわっていたのだ。八十か百か、どのくらいの年齢か見当もつかないほどの老婆だ。頭髪は真っ白で、顔はしわくちゃ。地味な着物を着ている。


 まったく見ず知らずの老婆だ。いや、どこかで見たことがあるような気もするが思いだせない。


 老婆は龍郎の見ている前で、とつじょ、カッと両眼をひらいた。


「わあッ!」


 ふたたび絶叫して、龍郎は畳の上を這うようにあとずさる。


 老婆は半身を起こし、棺おけからぬけだしてくる。

 上から覆いかぶさるようにして龍郎の顔をのぞきこんできたが、「なんだ。龍雄たつおかい」と言って、ろうかのほうへ歩いていった。


(龍雄? 龍雄は親父の名前だ)


 首をひねって考えていると、ちょうど視線が上をむいた。鴨居にかけられた数枚の遺影が目に入る。それは亡くなった先祖たちだ。祖父や祖母の顔はすぐに見分けがつくが、それ以前の先祖たちは写真でしか見たことがない。


 なにげなくそれらを見ていた龍郎はギョッとした。


 どこかで見たことがあると思った、さきほどの老婆。


 そうだ。子どものころから、しょっちゅう目にはしていた。ただし生きているところを見たことはない。モノクロの写真としてしか知らないから、実物を見ても、すぐにはわからなかった。


 老婆はかかげられた先祖の遺影の内の一つ。

 曽祖母だ。たしか名前はお鉄と言った。明治生まれ明治育ち。女で“鉄”は当時としても珍しいのではないだろうか。


 とっくに鬼籍の人となったはずの曽祖母が、家のなかを平気な顔して歩いている。


 ぼうぜんとしていると、またもや、どこからか泣き声が聞こえた。母ではない。子どもの声だ。


 障子のむこうが、いやに明るいなと思い、縁側に出てみると、真っ赤な炎が燃えさかっていた。火事だ。離れが燃えている。

 泣き声はそのなかから届いてくるようだ。


 龍郎は離れへと走った。

 中庭をよこぎって家屋の前に立つ。


 そのときすでに、龍郎の知っている離れではないことに気づいていた。本柳家の離れよりはるかに大きな洋館だ。西洋の城のようである。白亜の城が夕日のような鮮やかなオレンジ色の炎に包まれ、黒煙が暗い空に、とぐろをまく大蛇のように伸びている。


 炎のうなり声がとどろいた。

 熱風がうずまく。

 パチパチと何かのはぜる音。ガラガラと壁や天井のくずれる音。ときおり爆発するような音が響いて、ガラス窓が破裂した。


 轟音をぬって、そのとき、かすかな悲鳴が聞こえた。


「助けて! 誰か、助けて! パパ、ママー!」


 もはや個人の手で消火できるような規模ではなかった。まもなく、その広大な屋敷は炎のなかに崩れおちるだろう。とり残された子どもは死んでしまう。


 龍郎は屋敷のまわりを走りまわった。窓を一つ一つ外からのぞく。そのすべての窓からも、金色に輝く炎が火炎放射器のように激しく噴きだしてくる。


 しかし、いくつめかの窓をながめたとき、龍郎は見た。炎のなかをよろめくようにさまよう小さな黒い影を。


「そっちへ行くな! こっちだ!」


 その窓はすでにガラスが粉々にくだけ、室内も黒く炭化していた。火の手がピークをすぎ、弱まったあとのようだ。この周辺だけなら、なんとか入ってみることができる。


 窓の下の花壇には庭木にかけるためか、水がめに水がためられていた。龍郎はそれを頭からかぶると、骨組みだけになった窓をやぶり、内部へ侵入した。


「おーい、どこだ? 返事をしてくれ」


 ろうかへ出ると、すぐに子どもが倒れていた。

 しかし、その姿を見て、龍郎は思わず息を飲んだ。

 ひどい火傷だ。全身のほとんどが焼けただれている。もとの相好もわからない。つれだしても助からないかもしれない。助かったとしても、おそらく一生、傷跡が残るだろう。


「……しっかりしろ。今、外につれてってやるからな」


 龍郎はぬれた喪服の上着をぬいで、少年(あるいは少女?)に着せかけた。ちょくせつ触れるのは感染症にさせる恐れがあるから、さけたほうがいいだろうと思った。


 龍郎が子どもを抱きあげたときだ。

 真っ赤に焼けて血と体液を流す子どもが、パチッと目をあけた。まっすぐに龍郎をながめる。その宇宙の深暗のような漆黒の瞳——漆黒の奥に瑠璃色の炎のゆれているような瞳は、まぎれもなく、ある人物のものだ。


「……青蘭?」


 子どもは何かつぶやいた。

 喉の内側もただれているのか、ほとんど声にならないようなささやきだった。


 しかし、龍郎はハッキリと聞きとった。



 ——契約するよ。



 そう聞こえた。


 そのとき、壁がくずれた。

 龍郎はあわてて、さきほどの部屋までかけこみ、窓から外へとびだした。間一髪で、館は業火に飲まれ、完全に崩壊した。炎のうずまく轟音が、巨大な生き物のあげる断末魔の叫びのようだった。

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