第3話 古時計 その三


「動かない時計に動かない人——か。意味深だな」

 青蘭は朱唇に毒々しい笑みを浮かべ、時計に近づいていく。


(マズイ。こいつ、針を動かす気だ)


 だんだん行動パターンがわかってきた。

 龍郎は急いで青蘭の腕をつかみ、ひきとめる。


「やらせないぞ」

「ただの迷信だろ? 信じてるの?」

「そりゃまあ、自分の家に関係することだから、それのせいで家族に何か起こったら後悔するだろ?」

「愚民はことなかれ主義だな」

「愚民はよけいだよ」


 しかし、なんとか諦めてくれたようで、そのまま離れを出た。

 中庭を歩いているときに、龍郎は離れをふりかえった。


 眠っている叔父の死んだように静謐な気配に心苦しくなったのだ。会ったからと言って、とくに病気が感染するようすもない。親の言いなりになって見舞いにも行かなかったことを反省した。


 だが、龍郎がふりむいてみたときだ。

 離れのなかに入っていく人影があった。


 暗くてよく見えなかったが、黒いシルエットがよぎったようだった。錯覚だったのだろうか?


 思わず立ちどまっていると、ドンと地面が揺れた。大きな縦揺れだった。


「わッ! 地震だ」


 龍郎は青蘭をかばって身をかぶせながら、しゃがみこむ。

 よく考えたら建物のなかではないので、上から落下してくるようなものはないのだが。


 中庭の錦鯉の泳ぐ池の水が、つかのま、ゆらゆらしていたが、それきり揺れることはなかった。


「なんだったんだ? さっきの。地震にしては変な揺れだったな」


 見ると、青蘭が龍郎の作る安全地帯のなかで、ニンマリ笑っている。


「ボクを助けてくれたんだ?」

「えーと……」


 龍郎は急に恥ずかしくなって立ちあがった。

「みんな、大丈夫だったかな?」


 母屋へむかって走っていく。

 玄関にかけこむと、妙に家のなかが静かだ。土間にたくさんいた弔問客も誰もいない。


「あれ? みんな、帰ったのかな?」


 それにしては帰っていく姿をまったく見かけなかったのだが。

 龍郎たちが離れに入っているあいだに帰宅したのかもしれない。とは言え、親族の姿まで見あたらないのは変だ。あいさつに来ただけの近所の人たちとは違い、遠くの親戚は、今夜はみんな泊まっていく予定である。


 だが、あがりがまちをあがって座敷をのぞいても、誰もいない。


 兄は遺体がないので、祭壇の前には無人の布団だけが敷かれている。棺おけもカラだ。遺影は運転免許証の写真が拡大され、モノクロに編集されている。


 誰かの供えたばかりらしい線香の先端が小さく赤い。

 それなのに、人影が見えないのだ。

 なんだか異様なふんいきだった。


「変だな。親戚は寝てしまったとしても、父さんと母さんくらいは順番に起きて線香の番をするはずだけどな」


 しかたないので、龍郎は畳の上にあぐらをかいた。

 誰か来るまで、火を絶やさないように見ておかなければ。


 青蘭が何か言うかと思ったが、さっきから妙におとなしい。

 龍郎のかたわらに、ちょこんと借りてきた猫みたいにすわる。ひかえめすぎて気持ち悪い。


「父さんたち、どこ行ったのかな?」

「…………」


 線香の煙がひとすじ、ゆらめきながら天井に伸びていくのをながめるうちに、いつのまにか龍郎は居眠りしていた。ほんの一瞬だろうか? 長くとも五分かそこら。すわったまま舟をこいで、バランスをくずしそうになり、ハッと目がさめた。


「しまった。寝てた。線香は?」


 あわてて確認すると、線香はまだ充分な長さを保っている。

 青蘭が新しいものを立ててくれたのだろうか?


「ありがとう。せ……八重咲」


 となりを見ると、青蘭の姿はなかった。


「あれ? おーい、八重咲。どこ行ったんだ?」


 トイレにでも行ったのだろうか?

 いや、そんな常識的な人物とは思えない。そう言えば、離れの古時計が気になっていたようだ。さては、一人で離れに行ってしまったのかもしれない。


 龍郎は迷ったが、あの感じなら十五分くらい放置していても、線香が切れることはないだろう。立ちあがって座敷を出た。ろうかは電球に照らされ薄暗い。そして、あいかわらず無人。


 さすがに龍郎も異様に感じた。

 これは、おかしい。

 みんな、どこへ行ってしまったのだろうか?


「おーい、母さん。父さん。どこにいるんだよ?」


 キッチンをのぞくが誰もいない。風呂場、トイレ、無人。

 客間も一つずつ、のぞいていく。やはり、無人。

 広い家なので、部屋数だけはムダに多い。ギシギシ軋む階段をのぼって二階も調べたが、人間を見つけることはできなかった。


(いったい、どうしたっていうんだ? まさか、おれの知らない古い風習があって、みんなでいっせいに移動したんだろうか? 墓とか、寺とかかな?)


 考えこみながら階段をおりる。

 ろうかにおりたところで、声を聞いた。誰かが泣いている。


「母さん?」


 きっと、母だ。兄の死を嘆いているのだ。

 龍郎はそう思い、声のするほうへ急いだ。

 声は祭壇のある座敷から聞こえてくる。

 ガラリと襖をあけ、座敷にとびこむ。


 薄暗い蛍光灯の明かりのもとで、違和感が龍郎を襲った。

 視界に入るものに、不自然なところがある。それがなんなのか、すぐにはわからない。


 龍郎は立ちつくしたまま目をこらした。

 すみから順番に、じっと凝視していく。


(わかった……)


 線香だ。


 部屋を出たときに火をつけたばかりと見受けた線香。正確な長さで言えば十六、七センチはあった。それが、二十分近くも放置して帰ってきた今も、ほとんど変わらないくらいの長さを保っている。変わらないくらい、ではない。同じにしか見えない。


(なんだこれ? なんで短くならないんだ? だって火がついて、ちゃんと燃えてるんだぞ?)


 誰かがそばについて新しい線香に変えたのならわかる。しかし、家屋のなかには人っ子一人いない。


 なんとも無気味だ。

 龍郎は無意識に祭壇に歩みよった。


 おかしい。香炉のなかに灰がくずれたあとがない。燃えつきたばかりの灰は形を残しつつ、おりかさなっているはずだ。

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