第3話 古時計 その二

「病気?」

「……いや、うん、まあ、そうなるのかな。二十五歳のときからずっと昏睡状態で。もう十五年になるかな」

「ということは、今、四十歳か」

「父の一番下の弟だから、年が離れてるんだ。子どものころはいっしょに遊んでもらったりしたよ」


 青蘭は瑠璃のように不思議な青みのある瞳で、龍郎の双眸をのぞきこんでくる。視線に意識がからめとられそうだ。


「な、何?」

「思いあがるなよ? 愚昧ぐまいな君が、このボクに隠しごとができるとでも?」

「いや、ムリ……かな」

「では、正直に白状したまえ。愚民」


 龍郎は嘆息した。

 この美女、見目麗しいことはこの上ないが、どうにも口が悪い。ルックスのよさから差し引いてもお釣りが来る。


「なんていうか、うちの恥だからって、外で話すことを家族には止められているんだが……呪いらしいんだ。うちの家系には、たまに叔父と同じ症状になる人があるらしい。何代かに一人。老若男女にかかわらず、昨日まで健康だったのに、とつぜん、眠ったまま意識が目覚めなくなる。自発呼吸などはしているから、ほんとうに眠っているだけのような状態らしいんだ。遺伝的な病気じゃないかと、祖父は叔父を診てもらったが、医者にも原因がわからないんだそうだ」


「ふうん。あの離れにいるんだな?」


 そう言うと青蘭は母屋の前をよこぎり、中庭を通って離れへ向かう。


「ちょ、ちょっと。ダメだって。離れには誰も入っちゃいけないことになってるんだ。伝染する病気じゃないみたいだけど、何が起こるかわからないからさ」


 青蘭は聞いていない。

 スタスタ歩いていく。


「待てよ。せ……」


 青蘭と言おうとしたが、いきなり下の名前で呼ぶのは、なれなれしいだろうか。出会ってから三回めだ。やはり距離感から言えば、まだ名字で呼ぶほうがふさわしい……。


 そんな思考に、ついついハマってしまい、気づけば離れの前にいた。


「ちょっと待ってくれ」


 あわてて止めるものの、そのときには、すでに青蘭は離れの引戸をガラガラとあけはなっていた。


 もちろん、昏睡状態とは言え、ずっと叔父を放置しているわけではない。専任の家政婦がいて看病はしている。本柳家の人間だけが近寄らないのだ。病気は感染しなくても、呪いは感染するかもしれないから。


 龍郎も叔父が寝たきりになってからは、会うことを禁じられてきた。今、十数年ぶりに見た叔父の姿は、不思議なことに以前とまったく変わっていないように見えた。


 八畳ほどの和室のまんなかに布団が敷かれ、白い着物を着た叔父が寝かされている。まるで経帷子きょうかたびらだ。死出に向かう死装束である。


 無表情によこたわるさまは、よくできた人形のようで、叔父の上でだけ時間が止まっているかのように見える。


 子どものころは優しいお兄さんとしか思ったことがなかったが、こうして大人になってから見ると、叔父は線の細い中性的な感じのするイケメンだ。青蘭ほど圧倒的な美形というわけではないが、十人並みよりは、かなりいい。


穂波ほなみ叔父さん。変わらないなぁ。子どものころに見たまんまだ。父さんはなんで、この叔父さんを嫌ってたのかな?」

「嫌ってたのか?」

「うん。なんか、二人が話してるとこ見たことないな。よそよそしかった」


 青蘭は人形のように寝たきりの叔父の上に、いきなり馬乗りになった。龍郎はビックリしすぎて声も出ない。


「な、な……何してるんだ?」

「彼がそうなのかと思ったが、波動は感じないな」

「悪魔の?」

「悪魔の」

「悪魔ってけっきょく、生物として悪魔なのか? それとも、人間が悪魔に取り憑かれてるのか?」


 もっともな質問を龍郎はぶつけてみた。

 青蘭は一瞬、だまりこむ。


「……君は、意外に鋭いな。じっさい、おどろくよ」


 さもイヤなものを見る目つきで凝視してくるので、龍郎は落ちこんだ。

 青蘭は自分の美貌の破壊力をもっと自覚するべきだ。彼女に罵られると物理的に胸が痛い。


「あれは、なんだ?」と、室内を見まわしていた青蘭が、とつぜん、宙空を指さした。ピカピカ光る貝殻みたいな爪の示すさきには大きな柱時計がある。


「ああ、あれか。予兆の古時計だよ」

「予兆?」

「本柳家に悪いことが起こるときに動きだすっていうんだ」


 それはロンドンの博物館にでも展示してありそうな古式ゆかしい大時計だが、針が止まっている。ずいぶん前から、その状態だ。それならそれで修理に出せばいいようなものだが、この針は決して動いてはならないのである。


 悪いことが起こる前に前知らせとして動く。ということは逆説的に言えば、動けば家に不幸が起こる。だから、動かしてはいけないという三段論法だ。


「ゼンマイを巻いて動かすようになってるはずなんだ。でも、こうやって放置してあるってことは、ゼンマイを巻いてないんだろうな。故障してるのかどうかって以前に、動力を与えられてない」


 言いながら、龍郎は、なぜ自分はゼンマイのことなんて知っているのだろうと疑問に思った。


 龍郎が子どものころから、ここは叔父の部屋だった。叔父がまだ意識があって元気だったころも。遊んでいるときに叔父が教えてくれたのかもしれない。

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