第三話 古時計

第3話 古時計 その一

https://kakuyomu.jp/users/kaoru-todo/news/16816700429534610101挿絵



 兄の通夜が実家で行われた。


 ありのままを告げても誰にも信じてもらえないことはわかっていたので、警察には義姉が兄を殺して逃げたとだけ述べた。

 途中で気を失ったので、どうやって兄の死体を持ち去ったのかはわからないと。


 残された血痕が兄のものであり、その量から言って、兄が死亡していることは鑑識によって認められた。


 しかし、警察は龍郎を疑っているようだった。兄と兄嫁を殺しておいて、何食わぬ顔をしているのではないかと考えたのだ。


 青蘭は警察が到着する前にいなくなっていたし……。


(青蘭……)


 あんなに恐ろしいことがあったのに、なぜか気になるのは、謎めいたあの美女のことだ。もう二度と会えないのではないかと思うと、むしょうに胸がしめつけられる。


 あの美貌だから惹かれない人間はいないだろう。だが、龍郎が気になるのは、彼女のおもての麗しさだけではない。


 ときおり、かいまみせる物悲しい表情のわけが知りたかった。瞳の奥にある絶望のように深い狂気の色が、なぜか、彼女をほうっておけない心地にさせる。


 とは言え、知っているのは名前だけだ。

 住所も電話番号もメアドも趣味も嗜好しこうも何も知らない。

 離れてしまえば、探しに行くことはできない。


(もう一度、会いたいな)


 今日は兄の通夜だというのに、龍郎は兄の死よりも、そのことで気分がふさいでいた。もちろん、兄の凄惨な死にかたもショッキングだった。仲のいい兄弟だったから、悲しみは、むろんある。


 それやこれやで暗い気持ちのまま、ため息を連発していた。


 とつぜんの跡取り息子の死で、両親は龍郎よりさらに打ちひしがれていた。とくに母は号泣して泣きやまない。祖父母はすでに他界しているが、親類一同が集まってきて、みな沈んだ顔つきをしている。


 古くてだだっ広い旧家は湿っぽいふんいきに包まれていた。


「ひさしぶりだね。龍郎くん」と声をかけてきたのは、従姉妹の史織しおりだ。二さい年上の二十四さいで、今は地元で公務員になったはずだ。


 龍郎は幼少のころから、史織が苦手だ。

 史織はいわゆる要領のいい子どもだった。大人の前では優等生を演じていたが、子どもだけになると急にイジワルをする。


 兄の保は将来の本柳もとやなぎ家の家長だから、兄には自分をよく見せようとしていたのだろう。年も兄のほうが史織より上だったし、イジワルをしているところを見たことがない。


 しかし、龍郎に対しては、かなりキツイことを平気で言った。


 サンタクロースの正体が両親だと五歳の龍郎に教えこんだのも、近所の犬が交尾しているところへ手をひいてつれていったのも、祖父の盆栽をめちゃくちゃにしておいて龍郎のせいにしたのも、みんな、この史織だ。


 思えば、ろくな思い出がない。


「ああ、どうも……」

 てきとうに生返事をすると、史織は龍郎の肩に手をかけてきた。

「ほんとに急だったね。お兄さん。すごく優しくて、いい人だったのに、悲しいね」


 片手ににぎりしめたハンカチを目元にあてるのだが、どうも龍郎にはウソ泣きのように見えてならない。

 だまっていると、肩にかけた手をすうっとすべらせて、龍郎の指をにぎってきた。


(なんだろう? こんなにベタベタしてたっけ? 気持ち悪いな)


 龍郎が困っていると、弔問客のなかに信じられない姿を見つけた。こんなぐうぜんがあるのだろうか? これで三度めだ。いつものように黒いスーツをまとった麗美なその姿。


「青蘭!」


 思わず、史織の手をふりほどき、龍郎は土間へかけおりた。

 悔やみを述べに来た近所の人たちにまじって立つ姿は、真実、青い花であるかのように清涼な光を放って見える。


 靴下裸足で土間におりて、かけよる龍郎を、青蘭はちょっと白けたような目で見る。


「……また君か。三度めは、ぐうぜんと思えない」

「おれに会いにきてくれたんじゃないのか?」

「まさか。前と同じだよ。匂いをたどってきたんだ。このあたりから強い匂いがする」

「…………」


 龍郎は言葉に詰まった。

 青蘭が匂いがすると言うとき、そこにはなんらかの怪異が起こると考えたほうがいい。

 また何かおぞましいことが起こるのか?

 そう思うと、単純に再会を喜ぶこともできない。


 龍郎は玄関口に置かれたサンダルをはくと、人目をはばかって、青蘭を前庭に誘った。


「義姉かな? この近くにいるんだろうか? けっきょく、あれきり行方がわからない」

「それは違うな。あのときとは気配が異なる」

「義姉はいったい、どこに行ったんだろう?」

「さあな。それはわからない」


 龍郎は不思議に思った。

「君はなんのために、こんなことをしてるんだ? 君は悪魔を追っているんだろう?」


 電車のなかのスーツケースの男、兄嫁。どちらも悪魔の化身だった。


 だが、悪魔に遭遇したあと、彼は何かをしたわけではない。ただ見送って逃がしている。しいて言えば、龍郎を助けたことくらいだが、そのために悪魔を探していたわけではあるまい。


 青蘭はなんだか思案するような目で、龍郎をながめる。

 しかし、返ってきた答えは、

「君には関係ないだろ?」という冷たい一言だった。


「関係ないかもしれないけど、気になるじゃないか。この前、君は言っていたね? 『ボクのなかにいるヤツと戦いたいのか?』って。あれは、つまり、君のなかに……」


 龍郎の言葉をさえぎるように、青蘭は指をあげた。

「あれは何?」


 つられて、龍郎はそっちを見る。

 平屋建ての小さな建物が中庭の向こうに見えている。


「ああ、あれか。離れだよ」


 本柳家は昔、武家だった。家屋も築百年になる母屋、蔵、離れのほか、馬屋を改築した車庫がある。問題の離れの建てられた時期は、母屋よりかなり新しい。


 龍郎は顔をしかめた。


「あそこには寝たきりの叔父がいるんだ」

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