第2話 予感

君に出会ったのは去年の年末で、僕は出張で鹿児島に来ていた。


天文館の外れにあるホテルにタクシーで向かうと、運転手が話しかけてきた。


「今日は冷たいですね」


「え、何がですか?」


と聞いてすぐに僕は後悔した。


そんなの風に決まっている、寒いですね、という意味しかあり得ないのだ。


「ほら、あそこに桜島が見えるでしょう」


運転手は僕の問いには答えずに、別の話を始めた。


左を見ると桜島が海の中にどっしりと座っている。


空に噛みつくような形をした頂上から、柔らかい稜線が麓まで伸びている。


「あの頂上から出ているのは煙ですか?」


「そうです。あの白いのは水蒸気ね、そしてその奥に灰色の煙が見えるでしょう。あれが灰です」


見ると、もくもくと立ち上った白と灰が、青い空のパレットで混ざり合い、その境界線を失っている。


「水蒸気はいいんですけどね、灰が多いと大変ですよ。風向きもあるんですが、フロントガラスに前が見えないほど積もることもしょっちゅうありますよ」


「へぇ、それは大変ですねぇ…」


僕たちが花粉だ黄砂だと悩んでいる間に、鹿児島の人たちは毎日火山灰を気にして生きているのを思い、僕はそう言ったのだが、それは車内に変に白々しく響いた。


「なんのこっちゃない。私たちは桜島のパワーをもらったと思って喜んでいますよ」


彼はそう言って明るく笑ったが、僕は何か申し訳ないような気持になった。


そして、火山灰が降ってもそれをもろともせずに、受け入れて共生している人々の、力強さを感じた。


僕はその自分の間抜けさと気まずさを誤魔化すように腕時計を見た。


3時22分...とその時、急に手首が軽くなり、時計が足元に転がった。


僕はびっくりして時計を拾おうと屈んだのだが、その時にわき腹が攣り、つかみかけた時計がもう一度転がって助手席の下に入った。


舌打ちをしながら、わき腹を庇うように後部座席に寝そべり手を伸ばしたが、その恰好は哀れだった。


「大丈夫ですか?」


運転手が心配そうに尋ねてきた。


「ベルトのピンが折れたみたいで、腕から時計が落ちたんです」


僕はわき腹をさすりながら状況を説明した。


「車の中で良かったですね。外だと落ちて壊れていたかもしれません」


とその運転手は言った。


僕は彼の底抜けの前向きさに少し明るい気持ちになったのだが、しかし車内には変な空気が流れていた。


ホテルにチェックインすると、ケータイが鳴った。


母からだった。


夏に感じたのと全く同じ嫌な予感がして、しばらく出るか迷ったが、鳴り止まない。


鳴れば鳴るほど、その嫌な予感が徐々に現実に変わっていきそうな気がして、僕は仕方なく電話に出た。

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