超えられない数字

ささたけ はじめ

修行開始

 一、二、三、四、五――


 数を数える。ただそれだけ。


 六、七、八、九、十――


 その他のことは考えてはならない。


 十一、十二、十三、十四、十五――


 これは修行である。


 十六、十七、十八、十九、二十――


 いい調子。もうすぐだ、もうすぐ到達できる。


 にじゅうい――


 ――失敗だ。

 これまでに超えられなかった二十一を前にして、つい雑念が混ざってしまった。

 また一からやり直しである。


 一、二、三、四、五――


 香の香りが立ち込める初春の堂内で、私は座りながらひたすら数を数えていた。それこそが修行――否、本来は数を数えることすらしない。

 只管打座しかんだざ

 すなわち、正しくは「ただひたすらその場に座り続けること」が修行なのである。

 しかし、私はまだ修行を始めたての未熟者であり「ただ座る」ことも難しいため、意識を集中する手助けとして心の中で数字を刻んでいるのだ。


 六、七、八、九、十――


 悟りへと至ることのみを目的とし、そのために座り続ける。

 念願叶い悟りへ至ったとしてもなお続く。

 むしろ悟ってからが始まりですらある。

 それが禅の修行である。


 十一、十二、十三、十四、十五――


 横で「ぴしゃり」と音が鳴る。隣に座る僧が警策けいさく――巡回の僧が持つ細長い木の棒――にて打たれた音だ。その音に思わず耳がピクリと反応してしまう。やり直し。


 一、二、三、四、五――


 ふたたび「ぴしゃり」と音が聞こえた。どこかでまた別の僧が打たれたのだろう。

 そのたび――頭では理解しているのに――ふいに発せられる音にはどうしても反応してしまう。作法として半眼になっているせいもあるが、そもそも私は視力が弱く、対照的に聴力が人より優れている。そのため小さな音にも反応しやすい体質なのだ。

 気を取り直して、なんとか集中を試みる。


 一、二、三、四、五――


 一、二、三、四――


 一、二、三――


 ――駄目だ。


 先ほどまでの集中力は消え失せてしまった。

 今はいつ来るとも知れぬ警策の音に反応してはならぬと、そればかりを考えてしまう。そのせいで、二十一はおろか、満足に十まで数えることすらできなくなってしまった。


 ここはひとつ、私も警策をいただくとしよう。


 警策はただの体罰ではない。文殊菩薩もんじゅぼさつの手の代わりであり、座禅修行が円滑に進むようにと与えられる「菩薩よりの励まし」なのだ。そのため打つ側は「与える」、打たれる側は「いただく」というのが正しい表現となる。

 そして私は、警策をいただくための作法として背を丸めた。雑念に覆われた心身を改めるため、自ら警策をいただきたい場合には、こうして巡回中の僧にその旨を知らせるのだ。


 しかし――。


 待てど暮らせど、私に警策を与えられることはなかった。

 雑念にまみれた心は様々なことに想いが移ろい、もはや数を数えることも能わない。

 

 どこかで警策の与えられる音。


 座り続けて温くなった床の堅さ。


 まだ鼻に冷たい初春の空気。


 堂内に漂う線香の香り。


 その線香の残りは幾許いくばくも無い。


 これが燃え尽きたとき、今日の座禅修行は終了となる。


 ああ、今日もまた悟りに至ることは叶わないのか――。


           ※


 座禅が終わり、次々と僧たちが立ち上がる。

 彼らは機敏な動きでお堂を後にしていく。この後も清掃や炊事などの様々な業務が控えており、それらすべてが僧たちにとっては修行なのである。そのため無駄な所作は一切許されない。

 必然――最後までその場に留まる者は、修行を初めてまだ日の浅い未熟者である。

 ある僧は、その未熟ゆえに足の痺れに勝てず、立ち上がれぬまま傍らの者へと声をかけた。


「いいなあ、お前は。我々の様に悟るの悟らないのと煩うこともなく、そんなに呑気に眠れるのだから。まったく――私も猫に生まれたかったものだよ」


 それを聞いた半眼の猫は、不満気に低いうなり声をあげた。

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超えられない数字 ささたけ はじめ @sasatake-hajime

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