act.5 甘口カレーパン

 オグシエモンは再び体毛の中に手を突っ込み、中をまさぐる。手の動きに合わせるように、その大きな目の黒い部分が、キョロキョロとせわしなく動いた。

 全体、あの長い体毛の中は、どうなっているのだろう。


「あ、あった」


 しばらく手を動かしていたオグシエモンは、目当ての何かを見つけたらしい。俺の方を向き、ニタリと目を細めた。

 そして体毛の中に突っ込んだ両手を出した時、その手にはコンビニのビニール袋が下がっていた。中身は沢山詰まっているらしく、かなり膨らんだ状態だ。


「さて、お前さん。大きなつづらと、小さなつづらの話だ。大きなものと、小さなもの。どっちを選ぶ?」


 唐突な質問だ。おそらく、渡すものを決めるための質問なのだろうが、さして面白くもないし、なんなら俺は少しだけイラついて舌打ちしようとしていた。

 けど、こいつはこいつなりに、この場を和ませようと、気を利かせているのだろう。


「そうだな。じゃあ、こういう時は小さなつづらって相場が決まっているから、小さいので」


 そうか、こいつが神様で、こっちを歩いている道すがら買った物だとしたなら、俺たちの住む世界では味わない、何かこう……不思議なものを手渡されるに違いない。

 食べられないものだったら、それはそれで困るが、大丈夫だろうか。俺の中で、好奇心が頭をもたげ、期待が鼓動を早めた。


「ほいきた。じゃあ、これ」


 やつはビニール袋から1つを取り出し、俺に手渡した。

 俺は受け取った物に目を落とす。

 透明なビニールには、黄色と橙色のカラーでラインが引かれており、同じ配色で文字もあしらわれている。外から入ってくる光を反射し、ビニールは静かに赤く光る。透明な部分からは、中身がうかがえる。丸みを帯びたそれは、細かいトゲトゲとしたものが、表面を覆っている。

 俺はこれに近いものを知っていた。

 いや違う。近いものというか、それそのものを知っていた。

 ビニールの包みの文字は俺にも理解できた。それはこう書いてある。


『カレーパン』


 そう、コンビニやスーパーで売っている、お馴染みの、1個100円前後の金額で売られている、あの大手パンメーカー製のカレーパンだ。

 俺はその包み紙と、オグシエモンを交互に見る。


「なにを鳩が豆鉄砲食ったような顔してやがる。嫌いかい?」


「い、いやなんというか……なんでカレーパン、なのかなって」


「オイラ、カレーパンにゃ目がなくてよお。人間の住む場所に行くと、買ってくるんだ。珍しい物だから、帰る時の手土産にと買ったんだがよ、腹が減っちゃあナントカっていうし、タダで休ませてもらう訳にもいかねぇしよぉ。納めとくんな」


 オグシエモンはそう言いながらビニール袋をまさぐり、今度は白い包み紙を取り出した。

 外からの光だけでも、その包みに書かれた文字は読めた。

 それは新宿のレストランが出している、俺の渡された物より値の張るカレーパンだった。


「へへっ。大きいつづらはこっち。そっちも遠慮しねえで、いっとくんな」


 オグシエモンは笑いながら、自身の頭を掴んで持ち上げる。

 掴んだ頭の一部がポットの蓋のように開く。その中は空洞になっており、俺の方から見えるその内側の壁は、外と同じ赤黒くよどんでいる。

 その淀みをはらんだ中に、包みを解いたカレーパンを放り込むと、手でつかんでいた頭の一部を元へと戻す。中で咀嚼しているのか、オグシエモンはリズムよく長い体毛を揺らした。

 なんとも奇妙で不気味なその光景に、俺は目を丸くするだけだった。

 俺は改めて、手にしたカレーパンの包みを見る。

 メーカーは変わらず俺の知る会社で、成分表示も、俺の知るそれだ。賞味期限も問題ない。

 しかし、今この自分以外の奇妙な光景の中、食えたものだろうか。

 頭でためらった俺ではあったが、腹の虫だけは正直だった。

 折角だ。いただこう。

 俺はビニール袋を、クシャクシャと音をさせながら開いた。甘みと油の混じった香りが、微かに漂う。この時点では、流石にカレーの匂いはしてこない。

 丸く厚みのあるパンの形は整っており、その周りは黄金色をしたパン粉が、トゲトゲと小さく立っている。しかし決して固くはなく、手で持った感触と、視覚に入った情報は『柔らかい』で一致していた。

 開けた方とは反対の部分に指をあて、カレーパンを押し出す。開封口からやや顔を覗かせたそいつに、俺は小さく齧りついた。

 当然ながらそれは揚げパンであるものの、揚げたてではない。前歯に感じるのは、しっとりとした弾力のあるパン生地。舌と唇にあたるパン粉も、見た目と違い柔らかい。

 嚙み切られて舌に乗った生地は、ほんのりと甘さを広げる。もし目隠しされているならば、今食べているこれがカレーパンだとは、誰も思わないだろう。特に何かに浸しているわけでもない、このパン生地は、コーティングしている油で風味を増し、噛めば噛むほど口の中に甘みが広がる。

 小さく齧ったため、まだカレーには辿り着いていない。この商品、生地が厚いのだ。そんなことは承知の上で、俺はそうしたのだ。

 何をするにしても、俺はまず小さく始める。仕事も、趣味も、いつも食う飯でさえも。その後に何が待ちかえているか分からないから、用心して、という事もあるが、殆どは小さい頃からの悪癖だろう。こうして最初に小さく食べる事は、誰に言われてもついぞ治らなかった。いや、正さずともよいと俺自身は思っているのだ。

 一口目を飲み込んだ俺は、先ほどよりも大きくカレーパンを押し出し、大きくかぶりついた。同じく油と混じった甘くやわらかな生地が先行する。程なく、俺の舌に、生地のそれではない味が到達した。

 スパイスの風味は、昨今流行はやりのいやらしく強いものではなく、やさしく、然しはっきりとカレーである事を主張している。ふと感じる油分は、カレーに入っている肉やおよそビーフソースと呼ばれる調味料のせいか。きっとこれがあることで、まろやかさを出しているのだ。

 固めのカレーペーストの中に入っているだろう野菜、そして牛豚の合挽肉が、小さくころころと舌で遊ぶ。その傍ら、スパイスの香りはふわりと浮上し、鼻孔をからかって外へと抜けた。

 俺はカレーでいえば、辛味を含ませたものを好んで食べる。だから、時折口にするこういった甘口カレーの味は、なんだか懐かしさをおぼえる。嫌いなのではない。歳を負う毎に好みが移ってしまったのだ。それだけに、この郷愁は、俺の心をほっとさせるのだ。

 パン生地の甘さは、カレーの風味に引けを取ることなく、依然としてその味を残し、噛むほどにカレーと混じりあう。カレーを内包していたそいつは、いつしかカレーのほのかな辛味と邂逅し、俺の口内から胃袋へと侵攻を続けた。

 カレーパンは小ぶりであるため、数口で食べ終わる。最後は最初と同じく、あの甘い生地だけがそこにあった。けれど最初にはなかった口内のカレー味が、加わりその有終を飾っていた。

 味わって食べていた筈が、あっという間の出来事である。

 俺はため息をつきながら、包みを丸め、それを助手席側にあるゴミ箱へと放り込んだ。


「足りたかい?」


 オグシエモンは煙管で煙をくゆらせながら、俺に聞いた。

 俺は少し返答に困った。

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