act.2 帰路の行列

「ゆれますなぁ……」


 俺がぼそりと、隣にいた顧客に呟く。


「ゆれますねぇ……」


 顧客がそれを受けて、不安げに返す。

 する頃が途端になくなった俺は、顧客と一緒に窓の外を眺めるしかなかったのだ。

 窓から見えるビルの向こう。方向的には赤坂あたりの高層ビルが、まるでそよぐ木々のように揺れる。コンクリートの建造物たちについた窓では、ブラインドカーテンが大きく揺れているのが見て取れた。


 ――で、何処からの連絡だって?


 俺はおもむろに携帯を開く。あの15時前に起こった揺れの後、郷里の親父から安否確認の電話が入ったきりで、そこから後は、画面に通信制限を伝える文字が出たままだ。連絡なんて来るはずもない。

 寧ろどこも大混乱で、ひとつひとつに指示など出せていないはずだ。俺は無駄にやる気だけ満々の若造を、今すぐ怒鳴りつけたくて仕方がなかった。

 しかし先にも言ったように、相手は腐っても元請けから来た人間。おいそれとそんな事ができる筈もなく、俺は大きく揺れる窓の外に視線を注いだ。


 だだっ広い部屋で待って1時間。


「やはり帰りましょう。私の権限で、今日は中止にします」


 顧客のその一言が、一番強かった。

 俺たちは後片付けに入り、ここよりは安全だろうと、作業車を駐車させていた広大なコインパーキングに全員で向かった。

 昼間は閑散としていたパーキングも、あちこちのビルから出てきた人々でごった返している。車を出そうとしても動かせない状態なので、俺はカーステレオでラジオをつけ、一方的に流れてくる情報に耳を傾けるしかなかった。

 3月中旬。春になったとはいえ、夕方はまだ冷える。ビルがはじいた乾いた寒風が、その場にいる全員の体を震わせた。

 16時半に差し掛かるころだろうか。集まっていた人々が、次々にその場から立ち退いた。

 ひとまず自分の職場に帰ろうといったところか。

 元請けとうちの事務所からも、ようやく連絡が入った。

 それは『この状況なので、流石に中止もやむを得ぬ』という、届くのが遅れた便りだった。

 それぞれに全員の無事と現状だけ伝え、俺はすぐに電話を切った。

 車が出せる程に人が減った頃。

 顧客は『本社が心配なので』と退散。元請けの新人もそれに続いて帰宅した。何か言っていたが、まあ、大したことではないだろう。

 俺たちは夕暮れが雲間から顔を見せる中、車を出した……までは良かったが、そこからが大変だった。赤坂見附方面から四谷を経由し、高円寺方面に向かうのが、もっとも近いだろうと舵を切ったものの、そこから渋滞にはまってしまった。

 折しも週末の帰宅時間帯。しかもあの地震で大混乱ときている。

 この界隈、多少の渋滞は日常茶飯事だが、その比ではない。どこを見回しても車が待ち、歩道は人びとであふれかえっている。

 一斉に帰るからだろうと考えていたが、サブがカーナビの画面をテレビに切り替えて、その状況が初めて分かった。

 太平洋側のコンビナートでの火災、千葉浦安あたりの液状化。鉄道の運行停止。

 それよりも酷かった震源地。海から黒い水が押し寄せ、町を丸ごと飲み込む映像、小さく映り込む、流されていく人や車。燃料に引火したのか、その黒い水の上を、まがまがしい色をした炎が隊列をなして流れていく様……。

 画面を通じて届く映像は、地獄でしかなかった。他に言葉を持たなかった。

 ショッキングなものと知り、目を背けたいと思う反面。俺たちはその光景を眺め、耳にしていた。

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