世界の車窓から殺し屋日記2 ブラジル編

久里 琳

初日 木曜日

第1話 サンパウロ

 三十時間もの空の旅から漸く解放されて降り立ったサンパウロの地は、っとした暑さに包まれていた。

 日本の肌寒さに慣れきっていた私の体は、長旅の揚句に季節が反対になった南半球に放り出されてすっかり途惑っている。薄手のセーターを脱いで、鞄に入れた。お前は此処では用無しだ。ブラジルの地にいる間は其処でじっとしているがい。


 空港の出口で落ち合ったエージェントは日系ブラジル人。三世だと云う彼女は、日本人とまったく変わらぬ外観で、ほぼ完璧な日本語を話した。名はクリスティナ・陽子・喜屋武きやん・森田。両親との会話はだいたいポルトガル語だが、四人の祖父母(うちお二人は先年相次いで亡くなられたとのよし)とは日本語で会話しているのだという。



 ホテルでチェックインを済ますと彼女は、夕食にしましょうと言った。時計はちょうど午后七時を指している。たしかに夕食どきなのだが――内心弱ったと思うのを、私は表情に出さないよう努めた。


 乗り継ぎを含めて三十時間。まる一日以上もの間を狭い座席に押し籠められて、次から次へと届けられる食事を胃に詰め込まれたのだ。養鶏場の鶏でもあるまいに、もう喉の辺りまで食べ物で一杯になっている。

 すぐ夕食と云われて食べられたものではない。く軽く、と希望を告げると彼女は首を傾げて、

「判りました」と云った。お誂え向きの処があるのだ、と。


 そして連れていかれた先は、通りに面した軽食屋。半分オープンエアになって、円卓テーブルと椅子が歩道まで占拠している。

 そこでまず運ばれてきたのは、パステウ。揚げ春巻きのような見た目だ。齧ると熱々のチーズが口のなかに広がって、歯の裏が火傷する。

 次にコロッケ風のコシーニャ。同じくコロッケ風、ボリーニョ。ジャガイモやキャッサバ生地の中には鱈や蟹身が入っている。

 ビールはブラーマ。スーパーでは五十円ぐらいで買える庶民的な缶ビールだ。

 円卓の上にずらっと並んだ料理を眺めて、心の中でため息をいた。軽くと云いながら、これではだ養鶏場から逃げおおせていないようだ。



 今回、私は二つ仕事を果たさなければならない。

 毎度のことではあるが、気が重い。こんな因果な稼業を十年以上も続けて、引退の見通しも立たないのでは、余程よほど前世の行いが悪かったのだろうとしか思えない。


 日本とは眺めが異なる筈の南半球の夜空を見上げた。大都会はそれ自体が発光しているようで、その光のみ込んだ夜空に星を見つけることは叶わなかった。


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