「ママ、ママ…?」

ペタペタと荒い足音を立てて、母親を呼ぶこんの方へ向かう。

その不安そうな声のする部屋のドアは半開きだった。その隙間から、こんの小さな後ろ姿が見える。そのドアは、当然こんでも開けられる何の変哲もないドアなのに、何故かとても重く、軋んでいるように感じた。この部屋にはきっと、何かとても…足を踏み入れたら戻れない何かがあるのだと、脳が理解する。ドアノブを握る手に力を込める。落ち着け。開けるんだ。こんが血の気の引いた顔でこちらを振り返った。その視線に射抜かれて、遂に決心がついた。震える手でドアノブを引くと、ドアは何の音も立てずにこちらの進路を譲ってくれた。

最初に目に入ったのは、小綺麗な花柄のシーツで統一された少し大きめのベッドに横たわる、こんの母親の姿だった。こんの母親の姿を、どう形容すればいいだろう。言葉が浮かばないので敢えてそのまま書こうと思う。

どう見ても。

どう見ても、もう魂がこの世には居ない。こんの母親は死んでいる。こんもそれを察したようだ。母親は全身は青ざめいていて冷たく、瞼は辛うじて黒目が見えないが、完全には閉じきっていない。身体の角度も変な角度に曲がっており、人が眠っている様とするには程遠いと言うしか無かった。

傍には、ガラスの透明なコップ。中の水は1/3程残っている。横には、日付毎に仕分けされたピルケース。百均に売っているようなものだろう。その中には仕事で毎日見慣れている薬も入っていた。この間日本で認可の降りた薬だ。新しい薬なので、需要がある。もし、今日いつも通り仕事へ向かっていたとしたら、今日のドライブのお供は、こんではなくこの薬だっただろう。

「ママはどうしちゃったの…?」

こんが口を開いた。絞り出したような声でこちらに問いかけている。勿論、こんも『ママがどうちゃったのか』は、分かっているようだった。

死んでる、なんて言える訳もなく、室内を見渡す。乱雑に置かれた洋服、伸びたスマホ用のコンセント、子供用の玩具…しかし、最終的に目が止まったのは明らかに部屋の景観と合わない開きかけの箱だった。中身を覗き込むと、それは薬箱のようだ。薬の説明書などもゴムで束ねられている。1番後ろの説明書はどうやら、日本語ではないらしい。

日本未認可の薬なのだろうか。治験等でたまに見かける事がある。これは何の薬だろう。

そのように考えを働かせている間、こんはずっと、時々呻き声をあげながら泣いていた。それは、ショッピングモールに置いてきた雨を呼んでいるように聞こえた。

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