泣き声のする方角を聞き取ろうと、イヤホンを耳から外した。

空から落ちてくるどんよりした憂鬱に傘が悲鳴をあげていて、辺りの音が上手く聞き取れない事に苛立ち、チッと舌を鳴らす。

乱暴に傘を畳むと、さっきまで身体にあたることの無かった憂鬱で、一瞬にして全身が満たされる。それでもこの泣き声の元へ向かわずには居られなかったのだ。

か細い音を拾う聴覚に全神経を傾け、バスの通る道を逸れ路地裏へと足を進める。心做しか小走りになる足に気付かない程、神経は全て鼓膜に注がれていた。

住宅街の角を何度も曲がる。1度曲がる度にその泣き声は少しずつ近付いていく。

髪の毛から滴る水滴が目に入った。反射的に瞼を閉じ、沁みた目をこする。再び目を開けた先、電信柱の影に小さな紺色の靴のシルエットが、まるで冷蔵庫からはみ出した野菜がドアを閉める事を嫌がるように、雨に沁みた視界にぼんやりと映りこんだ。それは小さな小さな、人の足だった。

鼓動がはやるのを感じた。思えば理由もなく夢中にここまでやって来たが、この後どうすればいいのだろうか?職場への電車の時間はとうに過ぎている。今電話を会社に入れたとて、頭の固い上司のイヤミを聞かされるだけだ。

雨に濡れた頭がさらに重くなる。衝動的に歩き出した何分か前の自分に悪態をつきたくなる。何よりも、後ろに下がって理性に従って会社に行く事も、前に進んで本能に従い紺色の靴に話しかける事も出来ない自分に、とても嫌気がさしていた。

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